今回の京都行きは、唐突に決まったので、事前リサーチが充分ではありませんでした。
訪問予定の場所に「安楽寺」や「霊鑑寺」は公開期間が限定されていて、春と秋しか公開されていませんでした。とほほです。
安楽寺
霊鑑寺
この記事の書庫は「名古屋お徒歩日記」ですが、今回は「京都お徒歩日記」てなもんで、そのまま西へ進み「岡崎神社」へ向かいました。まあ、個人的にはいつもの散策のつもりでも街中の花々の写真も撮っているので苦にはなりません。
デプラデニアでしょうか。キョウチクトウ科の花です。
丁字草の仲間の「ヤナギバチョウジソウ」でしょうか。
アガパンサスは通常、紫色ですが、これは珍しい白い品種でした。
「八重クチナシ」です。辿り着いた「岡崎神社」に咲いていました。
6月30日が「夏越大祓式斉」ということで鳥居には大きな茅の輪が出来ていました。当然輪くぐりをさせてもらいました。
この岡崎神社は、御祭神が速素盞鳴尊(すさのをのみこと)、
奇稲田姫命(くしいなだひめのみこと)、三女五男八柱御子神(やはしらのみこがみ)ということで、子授け、安産、厄除の御利益があります。平安京の鎮護のため桓武天皇が四方に建立した社の一つで、都の東にあたるところから東天王と称されています。そんなことで、狛犬ならぬ、狛うさぎが鎮座しています。
奥の方には夫婦うさぎもいました。結婚式場もあり、年間約100組のカップルがこちらでゴールインしています。
岡崎神社は「京都十六社朱印所めぐり」のひとつでもあります。それ用の御朱印もあるのですが、今回は御祭神の御朱印を頂いてきました。
岡崎神社の直ぐ東側に細い道があります。ここを登っていくと「金戒光明寺」の山門があります。こちらは小門で、小高い岡になっている黒谷は自然の要塞になっており、城構え作りの「金戒光明寺」は南からは一度に攻め込めないようにこういう作りにしているそうです。
こちらから登っていくと右側にはたくさんのはかがあり、その突き当たりには寛永5年(1628)、3代将軍徳川家光の乳母・春日局(かすがのつぼね)が建てたお江の供養塔が残されています。
本殿となる「御影堂」です。御朱印はここで頂けます。到着したのは3次半ぐらいだったのですが、もう堂の入り口は閉まり始めていました。シーズンオフはこんなものなのでしょうか。
これが城郭の様な山門です。この金戒光明寺は幕末に会津藩の京都守護職の本陣となった所で、新撰組の発祥の地でもあります。この山門からは
御所まで約二㎞、粟田口(三条大橋東)東海道の発着点までは一・五㎞のくだり、西からやってくる敵に対しては大山崎(天王山)、淀川のあたりまで見渡せる小高い丘の上にあり馬で走れば約五分、人でも急げば十五分で到着できる要衝の地であったことで選ばれたと、ブラタモリで紹介されていましたね。
西門です。さて、ここからは岡崎通を南下して「平安神宮」へ向かいます。