為吉 北町奉行所ものがたり | geezenstacの森

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為吉 北町奉行所ものがたり

著者 宇江佐真理
発行 実業之日本社

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 心のお裁きはまだ終わっちゃいねえ――
為吉は幼いころ呉服屋「摂津屋」の跡取り息子だったが、両親を押し込み強盗に殺されていた。その後、北町奉行所付きの中間となっていたが、両親を殺した盗賊集団・青蜥蜴の首領が捕まったとの知らせが届く。その首領の発したひと言は為吉の心に大きな波紋を広げ……。与力、見習い同心、岡っ引きなど、江戸の治安を守る<狼>達が集う庭の、悲喜交々の人間模様。そして、為吉の人生にも大きな転機が訪れる……。---データベース---

 月刊ジョイ・ノベル2013年2月号、5月号、2014年11月、2015年1月号、3月号、5月号発表の6編を2015年8月に刊行されています。前回取り上げた「うめばあ行状記」より前に出ていたんですなぁ。個人的にはこの本と最後に出会って良かったと思っています。何よりも、宇江佐さんといえば「髪結い伊三次シリーズ」が代表作ですから、それといくらか関連ある北町奉行所が舞台のこの作品は、そのオマージュにも思えるからです。ここでは、奉行所付の中間、下手人、見習同心、与力の妻、岡っ引き、下っ引きの6つの視点で奉行所仕事とその家族達の姿を味わい深く語っています。読めば分りますが、これは苦しい環境で育ってきた人間の成長の、苦労しても幸せをつかむ者と罪を犯して落ちていく者とがあること、また冤罪、汚職、ブラック職場、いじめ、裏切りなど、江戸の世に現代をみごとに投影していて、決していにしえの物語では無いということを見事に描写しています。作品としては淡々と語られていますが、そこには宇江佐さんの暖かい視線を感じる事が出来ます。章立ては以下のようになっています。

■奉行所付き中間 為吉
■下手人 磯松
■見習い同心 一之瀬春蔵
■与力の妻 村井あさ
■岡っ引き 田蔵
■下っ引き 為吉

 時代小説でも、中間を主人公に書いた作品は無かったのではないでしょうか。この作品での中間の為吉は、北町奉行所に働く身分ということでは最下層の国家公務員ということになるので、一般的な諸藩の渡り中間とはちょっと性格を異にしているともいえます。その為吉は5歳の時に実家の呉服屋に強盗が入り、母親の機転で押し入れの天袋に放り込まれ、自分は助かる事になるのだけれど、両親や店の者達が殺され、跡取り息子が歩む道は厳しいものとなります。

 それでも、母親が着物の仕立てを回して家計を支えていたと言う近所のおせきが為吉の面倒をみる事になり、陰になり日向になり惜しみない情愛をを注いでくれた事で、ぐれもせずに育ってゆく事が出来ます。しかし、子供のいないおせき夫婦の亭主の義助は為吉に辛く当り二人の仲は益々こじれにこじれて事件を起こしてしまいます。

 江戸の街中の揉め事は南と北の奉行所で行っており、北町奉行所で調べを受ける中、定廻り同心をしていた坪内半右衛門という五十がらみの男に、拾われて北町奉行の中間として働き口を得る事が出来ます。元々素直で、勤勉な為吉は江戸で起こる色んな事件をつぶさに見ながら成長してゆく事になり、土岐には捕縛に駆り出され、色々な事件をつぶさに観察することにより様々な人間模様と出会っていきます。

 今も昔も、過ちを一度も犯した事のない人間なんているはずがなく、詰らぬことでカッとしたり、虫の居所具合で言葉に刺を含み、あらぬ事が起きてみたりと、そして反省したり、道理の通らぬ言い訳を押し通すのはなんだかなあと思いますが、世の中なんてそう言う色んな構成員で不思議なバランスをとっているのかもしれません。

 為吉の給金は一年3両、実家が強盗に押し入られて奪われたお金は300両。そんな大金を押し入った強盗が青蜥蜴の一味と知り、その首領が北町奉行所にお縄になります。為吉はその青蜥蜴を大番屋に連れて行く役を担当することになります。本来中間は下手人と口を聞くなんて出来ませんが、為吉にはそのチャンスがめぐっています。坪内半右衛門からは青蜥蜴が為吉の両親を殺した下手人だときかされていますから、直にその事を問いただします。それは意外な半農です。また、青蜥蜴は溜め町の両親が絡んだ事件は知らないとお白州で口上するのです。これには為吉もショックでした。しかし、奉行所の調べでは、黒と影一味を手引きしたのは為吉の乳母をしていた娘であることが分ります。幼い記憶の中で信じていた人物に裏切られたような気持ちになります。

 為吉の登場は一旦これで終わり、その後は2本見習い同心と与力の妻の話になります。これらを読んでいても、どうしても髪結い伊三次が思い出され設定こそ違え、一之瀬春蔵は不破龍之進、与力の妻は 村井あさは不破きいとオーバーラップします。

 さて、長い人生には、次から次へと予期せぬ事が起きる事は常ですが、為吉も周囲の多くの先輩達に見守られ、孤独な一人ぼっちから仲間が増えていきます。岡っ引きの田蔵が登場することで話の展開が一気に進み、子供の勾引し事件が縁で為吉は田蔵の娘と出会います。そして、それが縁で京橋界隈を縄張に持つ岡っ引き・田蔵の娘婿となり下っ引きとして修業を積むことになります。まあ、ここでは中間から下っ引きへと為吉は転職するわけですが、当時の社会制度からするとこれは出世とはいえず、はたしてハッピイエンドといえるのか分りませんが、為吉が自分から飛び込んだ世界としては妻を得てやがて家族をもつということならば、これはこれで幸せなのでしょう。

 そこには庶民としての江戸の治安を守る男達の逞しさや、小賢しさ、奇妙なプライド等などが錯綜し実に生々しい生活が描かれています。多分続編も考えられた本作ですが、とりあえずは為吉の新しい人生のスタートで幕を降ろしています。