リリース/1975
Polydor MP-2474

ジェームス・ラストはドイツ人ですが、特にヨーロッパを中心に絶大な人気を誇っていました。ここで、過去形を使いましたが、そう、2015年6月9日に亡くなっています。いってみればイージー・リスニング界の最後の巨匠といった存在でした。1965年に「Non-stop-Dancing」というアルバムを発売し100万枚を超えるセールスを記録しました。これはその第1集です。日本では1975年に発売されましたが、何とライナーはジャケット裏にちょろっと書かれているだけというお粗末な仕様です。日本ポリドールは本当に売る気があったのでしょうかね。
ヨーロッパでの人気は高く、マントヴァーニなど「ムード音楽」創生期のスターがピークを過ぎた70年代になって、さっそうと登場した印象があります。1929年のブレーメン生まれですから戦前から活躍していました。ただ、日本ではぱっとした人気はありませんでした。まあ、唯一知られているといえば、多分この曲でしょう。
本当の曲名は「VIBRATION」なんですが、日本ではフジテレビの「プロ野球ニュース」での「今日のホームラン」で親しまれているのではないでしょうか。このライブの映像を見ても分ると思いますが、ビッグバンド編成に数十人のストリングスを加え、バックコーラスを従えたゴージャスな編成で、前面に陣取るホーンセクションがかなり印象的で、どうもストリングスを主体としたイージー・リスニングとはちょっと違う所があります。こういう所が日本人の感覚からするイージー・リスニング本流とは思われなかったのかもしれません。ヨーロッパでは絶大な人気を誇り、中国でも「世界三大軽音楽楽団(マントヴァーニ、ポール・モーリア、ジェームズ・ラスト)」のひとつとされ、中国公演も行ったジェームス・ラストですが、日本での人気はいまひとつで、1976年にはNHKに招かれ日本公演を行い、それなりの観客は動員したようですが、レコード売上げはいまひとつぱっとしませんでした。1979年の来日が最後となっていますが、当時は、ポール・モーリア、レイモン・ルフェーブル、フランク・プゥルセルなどのフランス勢の陰に隠れてしまっていました。
それを物語るように、日本版wikiではわずか3行でしか紹介されていません。ということで、少々彼のバイオグラフィを。ブレーメン時代に市立音楽学校でピアノとベースを学び、17才のころにはブレーメン放送局のメンバーになります。20才のころには兄のロベルト・ラストを含む6人編成のラスト=ベッカー・アンサンブルを結成しています。このバンドはダンスミュージック風だったようですが、彼はベースを担当していました。結成2年後から4年連続でドイツ・ジャズ評論家の投票により 「ジャズ・ミュージシャン人気 第一位」 に選ばれているところを見るとかなりジャズっぽいサウンドだったのかも知れません。その後、1955年にラストは北ドイツ放送局に移籍し、ここで本格的な大編成オーケストラを作り、編曲・演奏活動を行いはじめます。初期の頃は本名の「ハンス・ラスト楽団」と名乗っていました。1964年 ドイツ・ポリドールと契約、同時にオーケストラ・メンバーを一新してレコーディング活動を始めのす。この頃がジェームス・ラスト・オーケストラの正式発足といえます。レコード・デビューの「ノンストップ・ダンシング」は大ヒットをして、これは息の長いシリーズとなりました。更に生の演奏で楽しみたいというファンの要望でコンサート・ツアーを始めるようになり、この一環として1976年に来日して日本での全国公演を行っています。1980年 映画「アメリカン・ジゴロ」の愛のテーマ「セダクション」(全米28位)がヒットしアメリカでも注目されました。「スタンダード集」「クラシック小品集」などのオーソドックスなものから、ノンストップ・ダンシング・ミュージックまで、彼のジャンルは幅広いというよりも、オールラウンドでした。どのアルバムを聴いても、ジェームス・ラストらしいアレンジを楽しむことが出来ます。そして、獲得したゴールドディスクは100作を超え、トータルで4000万枚以上を売り上げた偉大なミュージシャンなんです。
ジェームズ・ラストはコンサート・オーケストラ的な要素が強く、レコーディングと平行してコンサート活動を頻繁に行っていました。それがヨーロッパでの人気を不動のものとしたようです。このアルバムでも登場しているビートルズの曲もアレンジを変えて色々な曲とのコラボを展開しています。ストリングスは活躍しない時は、身体を動かしてのダンスパフォーマンスを繰り広げています。
YouTubeで検索してもライブ映像の多いこと!その中でも傑作はBBCライブでしょうか。時代的には1970年代で、ノンストップスタイルという彼の手法で一気に曲を聴かせてくれます。
ところで、このアルバムの帯の下部に「SAL74」という文字が見えます。ドイツ・ノイマン社製のカッティング・マシーン「SAL-74/SX-74」によるトータル・カッティング・システムを採用し、これをステイタスとして表示したものです。この当時の最新鋭システムで制作されたレコードということです。周波数も7Hz~25000Hzをカッテイング出来るそうです。ちなみに、最近またLPが復活していますがマスターこそデジタル化されていますが、製盤するカッティングにはこのSAL-74/SX-74」によるトータル・カッティング・システムが使用されています。つまり、1970年代も今も変わらないシステムでレコード盤は出来ているということですな。
さて、最後は亡くなる2ヶ月前の2015年4月6日のラストコンサートツァーの映像と追悼番組です。