船に乗れ!(3)合奏協奏曲 | geezenstacの森

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船に乗れ!(3)合奏協奏曲

著者 藤谷治
発行 ポプラ社 ポプラ文庫ピュアフル

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 三年生になろうとしているある日、伊藤は言った。「津島、大丈夫か?チェロが、おとなしくなってる」。津島の懊悩をかえりみることなく、学校は、音楽エリート育成に力を入れ始めた。津島は、自らの未来に対する不安を胸に、チェロを弾き続ける。そして、運命の日が訪れた―。生きることの“歓び”と“ままならなさ”を歌い上げた青春音楽小説の金字塔、堂々完結!津島と伊藤の二十七年後を描いたスピンオフ短編「再会」を特別収録。---データベース---

 この小説、一応はジュブナイル小説に分類はされていますが、決してハッピーエンドでは終わりません。一応音楽青春小説の形は取っていますが、それだけではありません。哲学書としての側面を持っていて、この巻でも最後にニーチェが引用されています。そして、タイトルの「船に乗れ!」もそのニーチェの言葉から取られています。クラシック音楽を聞きかじるものなら、ニーチェの「ツァラトゥストラはかく語りき」はR.シュトラウスの名曲としても親しんでいると思います。ただ、冒頭のテーマは映画「2001年宇宙の旅」に使われてから一挙にポピュラーになりましたが、やはり音楽も難解なものです。

 物語としては前巻の後日談からスタートします。小説は年度ではなく1月からスタートします。そして2月、チェロ専攻の音楽科二年生津島サトルと伊藤慧(フルート)と山路満(コントラバス)がNHK交響楽団のコンサートに出かけます。サトルのチェロの師である佐伯先生は同交響楽団のチェロ奏者としてこのコンサートに参加しているからです。プログラムはベートーヴェンの序曲「プロメテウスの創造物」、シューマンのチェロ協奏曲、そしてマーラーの交響曲第5番。このコンサートのチェリストは毎日音楽コンクールの優勝者が演奏しているのですが、名前はぼかされています。しかし、指揮者は福田という事になっています。この時代の福田性の指揮者といったら福田一雄氏しかいないのではないでしょうかね。個人的にはバレエ専門の指揮者という認識ですが、この当時はこういうプログラムも振っていたのでしょうか。作中でこのマーラーの5番が使用された作品のルキノ・ヴィスコンティの名作「ベニスに死す」が登場する所からこのコンサートは1970年代中頃以降という事になるのでしょう。まあ、小生もこの映画のおかげでマーラーを知ったぐらいですから、この映画の果たした役割は大きかったのではないでしょうか。それにしても、ここでシューマンのチェロ協奏曲が余り印象的に描かれていないのは後々のサトルの心境の変化の予兆となっています。

 この年、芸大の合格者もでなかったため、そんなに派手なお祝いムードもないまま卒業式を迎え、サトルたちは三年生になります。新年度の新入生は60名ほどで、しかも女子ばかりです。学校は方針を変え、男子の入学を募集しませんでした。そして、オーケストラの曲はモーツァルトの交響曲第41番。編成を小さくして、副科としてオーケストラに参加する人員をなくし、全員専攻の楽器を担当してオーケストラに臨むことが発表されます。今までサトルよりいい演奏をするチェロ奏者などだれもいなかったのに、新入生たちのレベルが相当高いことがわかると、サトルたち三年生は動揺します。そして、先制のレッスンでもバッハが上手く弾けず、自分のチェロの才能に、チェロを演奏することの意味に、疑問を抱き始めていきます。サトルは、ピアノの師、北島先生のレッスンでジムノペディを弾いたあと、重大な決意を真っ先に打ち明けています。両親でも友人でも、ましてやチェロの先生でもなかったんですなぁ。唯一彼の音楽性に共感しの回を示してくれていたのがこの北島先生だったのでしょう。これに後押しされて、その勢いで両親にも話をする事が出来ます。

 その悩みの末、ついにサトルは文化祭でのオーディションに落ちるという事態を招きます。この年、大学に自前のホールが完成する事やレベルが上がった事で、夏の合宿も無くなります。これとは別に、3年生のミニコンサートはバイオリン専攻の鮎川、フルート専攻の伊藤らと出場することに決めていたのですが、なかなか演目が決まらず、あれこれ思案するうちにバッハの「ブランデンブルク協奏曲第5番」が選ばれます。これこそ、第三巻副題の「合奏協奏曲」であり、本書のテーマなんですね。

 ミニコンサートは毎年大失敗をやらかす伝統がありますが、今年はサトルの家に集まって30畳のリビングで練習を開始します。この練習に、鮎川はラジオカセットを持参して練習を録音、帰って聴き直して練習するというのです。サトルは8月は大学受験の為の予備校の講習会に参加してきっぱりと音楽から足を洗う事にしていました。2回目以降の練習にも鮎川はマイクを持参して練習を録音します。まあ、この伏線である程度予想はつきました。チェロサトルが指揮者まがいのリード役となる事で、初めは合わなかった音も次第に出来上がってきて、メンバーがほかのメンバーの音を聞きながら演奏できるようになって本番を迎えます。その当日、楽屋裏に意外な人物が来ています。

 それは本当はあってはならない事ですが、メンバーが一人増えて演奏に臨みます。椅子が足りず、メンバーはチェロとチェンバロ以外は立って演奏する事になります。この曲はヴァイオリン、フルート、チェンバロなどがソロを務める合奏協奏曲です。そして、本来ヴァイオリンのソロは鮎川が務める事になっていたのですが、本番では何と南が演奏していたのです。そう、学校を退学し結婚していた南枝里子がこのコンサートに戻って来たのです。南はこの3年間舞台でソロを弾いた事が無かったのですが、この演奏会でその夢を叶える事ができました。

 そう、第2巻で消えてしまった南がこの第3巻でほんの一瞬ですが帰って来たのです。まさにこの小説のクライマックスでしょう。たった、30分弱の短い時間ですが、同期の3年生が揃い一緒にブランデンブルクを合奏出来たのです。これに比べたら、この後のオーケストラコンサートは付け足しみたいなものです。しかし、これも感動的で、それはサトルのチェロ人生の最後の演奏でもありました。演奏会はモーツァルトのハフナーと41番という2本建てでした。そして、鳴り止まない拍手の為にハフナーの第1楽章がアンコール演奏されたのです。ここまでは、ジュブナイルしています。

 最後は、もう一つのけりをつけるストーリーが用意されていました。サトルは蒲田駅で電車を降ります。そこは初めて先生の家に行った思い出の駅でもありました。倫理の金漥先生、そうサトルが辞めさせる原因を作った先生です。そのアパートは、引っ越しの準備の真っ最中でした。先生はサトルを許してはくれませんでした。でも、こうして先生の前に現われたという事で謝罪は受け入れてくれます。そして、ニーチェは読んでいるかとの質問に、サトルはノーと答えます。難解で理解出来ないと答えたのです。すると先生は何かを書き記してくれます。それがこの本のメインタイトルになっている「船に乗れ!」です。

 ここで紹介されている「船に乗れ」はニーチェ全集の「『悦ばしき知識』第289節」で語られているものです。ちょいと長いですが引用してみます。
「船に乗れ!
その人流儀の生き方や考え方に関する哲学的な全般的是認が、それぞれの人にどういう影響を及ぼすか(すなわち温め祝福し実らせつつ特別にそ人を照らす太陽のように)、また、そうした是認は、どんなに人を毀誉褒貶から自由にし、自足させ、豊かにし幸福や好意を恵むうえで気前良くさせるか、また、それはどんなに絶え間なく悪を善に改造し、あらゆる力を開花・成熟させ、大小とりまぜての怨恨や不機嫌の雑草を皆目生ぜしめないようにするか、
そうしたことを考えると、とうとうわれわれは待ちきれなくなって叫びを上げるのだ。
おお、もっと多くのそういう新しい太陽が創造されたらいいのに!悪人も、不幸者も、例外人も、自分の哲学、自分の正当の権利、自分の太陽の光を持つべきだ。(中略)
彼らに必要なのは、むしろ、ひとつの新しい正義なのだ!(中略)さらに別の一世界が発見されねばならぬ。いな、一つに限らず多くの世界が!
船に乗れ、君ら哲学者たちよ!」(ちくま学芸文庫)

 この小説ではこの原典は示されていませんし、作者の意訳になっています。もう少しわかりやすい言葉ですが、要は船に乗ったら、船酔いもするだろう、そして船酔いは克服で来ても船は揺れ続ける。人生とは一生揺れている船に乗っている事だ。ということをいっています。自分の中にある一つの可能性に、自分で見切りをつけること。これはとてもつらいことです。ことに自分が好きで、情熱を注ぎ込めて、憧れを持つものであればなおさらのことでしょう。主人公サトルは、三流孝行の音楽科の生徒にすぎません。その彼は目覚めてしまいます。みんなが、才能を開花させ、その道で食っていけ、トップに立てるわけではない。ほんの一握りの人だけが、それを実現することができるのが現実というもの。そんなほろ苦い思いをしながら、多くの人はそれでも生きている。サトルが最後にたどり着くところ、というのは実は無いのであって、サトルも、それを読んでいる人もまた、それぞれ「船に乗って、航海中」なんでしょう。

 後日談で、2浪してそれでもまあまあの大学しかいけなかった主人公のエピローグがそれを物語っています。自伝という事なれば、この後サラリーマンを経験し、そこも辞めて独立し本屋を開く事になります。そこで、客としてきた女性を妻として迎え入れます。鮎川の交流はその後も続いていて、カノジョからの誘いでアマチュアオーケストラでふたたび弾かないかという誘いを受ける所でこの小説は終わります。

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                              著者とチェロ

 さて、文庫本にはこの後の出来事も「再会」として収録されています。ここでは現在形という事で本編の「僕」という一人称から「私」という一人称に変わっています。ふたたびチェロを弾こうとしてチェロを修理に出す処から始まり、パリで活躍している伊藤が日本でソロコンサートを開くという事で、それに出掛ける事が記されています。確かに唯一無二の親友でしょう。しかし、コンサート終了後楽屋に顔を出す事はしませんでした。それでも、ホテルに戻った彼に電話をします。確かに再会です。そして、この再会はもう一つチェロとの再会でもあります。修理から戻って来たチェロを確認しながら運指します。それは今の私がチェロを抱きしめる事だったのです。

 音楽青春小説として、今回もクラシックの曲が満載です。先にあげたマーラーやモーツァルトの交響曲やバッハのブランデンブルク以外にも、ベートーヴェンのチェロ・ソナタ第4番やピアノソナタ第28番、そして、ドビュッシーの「シリンクス」、エリック・サティ「三つのジムノペディ」などです。たぶん、サティの作品なんてこの時代はまだ殆どレコードも発売されていなかったはずで、小生もオーケストラ編曲版でこの頃初めて知ったぐらいでした。いい曲です。

 ところで、作者が経営していた本屋の「書店フィクショネス」は、昨年(2014)7月閉店してしまいました。作家活動が忙しくなったんですかね。