ケルテス/ドヴォルザーク交響曲全集 |
曲目/ドヴォルザーク
[Disc1]
交響曲 第1番 作品3 ハ短調 ≪ズロニチェの鐘≫
1.第1楽章 : Maestoso - Allegro[18:58]
2.第2楽章 : Adagio di molto[13:42]
3.第3楽章 : Allegretto[8:42]
4.第4楽章 : Finale (Allegro animato)[12:54]
5.交響曲 第2番 変ロ長調 作品4 第1楽章 : Allegro con moto[16:27]
[Disc2]
交響曲 第2番 変ロ長調 作品4
1.第2楽章 : Poco adagio[14:11]
2.第3楽章 : Scherzo (Allegro con brio)[12:35]
3.第4楽章 : Finale (Allegro con fuoco)[11:19]
交響曲 第3番 変ホ長調 作品10
4.第1楽章 : Allegro moderato[11:39]
5.第2楽章 : Adagio molto, tempo di marcia[16:12]
6.第3楽章 : Finale (Allegro vivace)[7:59]
[Disc3]
交響曲 第4番 ニ短調 作品13
1.第1楽章 : Allegro[12:42]
2.第2楽章 : Andante sostenuto e molto cantabile[11:21]
3.第3楽章 : Scherzo (Allegro feroce)[6:22]
4.第4楽章 : Finale (Allegro con brio)[9:57]
交響曲 第5番 ヘ長調 作品76
5.第1楽章 : Allegro,ma non troppo[12:51]
6.第2楽章 : Andante con moto[8:15]
7.第3楽章 : Scherzo (Allegro scherzando)[6:41]
[Disc4]
1.交響曲 第5番 ヘ長調 作品76 第4楽章 : Finale (Allegro molto)[12:35]
交響曲 第6番 ニ長調 作品60
2.第1楽章 : Allegro non tanto[15:55]
3.第2楽章 : Adagio[11:34]
4.第3楽章 : Scherzo (Furiant) (Presto)[7:56]
5.第4楽章 : Finale (Allegro con spirito)[10:30]
6.序曲 ≪自然の王国で≫ 作品91[13:35]
[Disc5]
交響曲 第7番 ニ短調 作品70
1.第1楽章 : Allegro maestoso[10:21]
2.第2楽章 : Poco adagio[10:10]
3.第3楽章 : Scherzo (Vivace)[7:23]
4.第4楽章 : Finale (Allegro)[9:28]
交響曲 第8番 ト長調 作品88
5.第1楽章 : Allegro con brio[10:03]
6.交第2楽章 : Adagio[10:02]
7.第3楽章 : Allegretto grazioso - Molto vivace[6:05]
8.第4楽章 : Allegro ma non troppo[9:01]
[Disc6]
交響曲 第9番 ホ短調 作品95 ≪新世界より≫
1.第1楽章 : Adagio - Allegro molto[12:33]
2.第2楽章 : Largo[12:29]
3.第3楽章 : Scherzo (Molto vivace)[7:27]
4.第4楽章 : Allegro con fuoco[11:27]
5.序曲 ≪謝肉祭≫ 作品92[9:09]
6.スケルツォ・カプリチオーソ 作品66[11:59]
7.序曲 ≪わが家≫ 作品62[9:37]
指揮/イシュトヴァン・ケルテス
演奏/ロンドン交響楽団
演奏/ロンドン交響楽団
録音/第1番・第2番 1966年11月 第3番・第5番 1966年12月
第4番 1966年10月 第6番 1970年7月 第7番 1964年7月
第8番 1963年2月 第9番 1963年11月21・22日 12月3日 ロンドン キングズウェイ・ホール
第4番 1966年10月 第6番 1970年7月 第7番 1964年7月
第8番 1963年2月 第9番 1963年11月21・22日 12月3日 ロンドン キングズウェイ・ホール
P:レイ・ミンシェル
E:ケネス・ウィルキンソン、アーサー・リリー
E:ケネス・ウィルキンソン、アーサー・リリー
DECCA UCCD-9216/21

今度の東京旅行には、iPodミニとiPhone4s、そしてネクサス5というデバイスを持っていきました。今と成ってはiPodは旧式のものですが、どうしてどうしてまだまだ現役です。iPhoneはもっぱらiCloud 経由のメール専用と写真、そしてネクサス5がブラウザ経由のネット接続用という役割分担でした。で、iPodミニにはドヴォルザークの交響曲全集を取り込み、ずっとそれを鑑賞するという態勢で臨みました。まあ、今の高速バスは携帯用の電源は付いているし、尚かつ無線LANに接続出来る機能を搭載しています。ですからバスの中でもさくさくネットに繋がります。良い時代になったものです。
さて、そのiPod。古いシステムですから当然我が家のiMacにも対応しています。ということで楽々ドヴォルザークを取り込む事が出来ました。このケルテスのドヴォルザークの交響曲全集は今となっては無理矢理6舞のCDに全曲を押込んでいるので、CDで聴く機会は滅多にありません。上のリストのように交響曲第2番からしてDisc1とDisc2に股がっていて不便でしょうがありません。長時間収録はありがたいのですが、こういうのはいただけませんなぁ。ちなみに手持ちのドヴォルザークの交響曲全集で同様の仕様になっているのはクーベリック/バイエルン放送交響楽団のものがそうです。ですから、このセットのあまり聴く機会がありません。
その点、iPodに落としてしまうと、こういう不都合からは解放されます。ホルダー構成を自由に変更出来るからです。ですから、バスの中では1番から順に作品を鑑賞する事が出来ました。イヤーフォンで聴くドヴォルザークの交響曲全集も乙なものです。
1960年代はドヴォルザークの交響曲は5曲というのが定説で、一番有名な「新世界から」はその第5番でした。ですからレコード時代は交響曲第1番から4番までは未知の曲でもあったのです。そういう時代に登場した、ケルテスのドヴォルザークの交響曲は新鮮でした。それも早くから全集として企画されているとアナウンスされていましたから、その発売には首を長くして待っていたものです。ただ、日本のリスナーは比較的冷静で、いや、ドヴォルザークには冷淡でもっぱら騒がれたのはカラヤンのベートーヴェン、ブラームスであり、さらにはチャイコフスキーだったでしょうか。でも、個人的にはチャイコフスキーの交響曲全集はあまり買いたいとは思いません。それより、ドヴォルザークです。当然最初に手を出したのがこのケルテスのドヴォルザークでした。
そして、ちょっと変わっていたのが一般にはここでも最初に録押されている交響曲第8番や9番辺りから聴き始める所ですが、既にそこら辺の曲は他の演奏でレコードを所有していましたから、集め出したのは交響曲第2番や第3番が最初でした。まあ、そう言う事も影響しているのでしょうか、いまだに交響曲第2番はとりわけ好きな曲です。いくつかの交響曲全集を購入した時も真っ先に聞くのはこの交響曲第2番です。
やはり、既にネットにはアップされていました。音質は充全ではありませんが、気軽に菊にはいいでしょう。演奏も、数ある第2番の中でも最右翼のものです。全集に取りかかったのがケルテス34歳という年ですから驚いてしまいます。まさにこれからという時に溺れて死んでしまうのですから、人生何があるか分りません。この第2番は楽譜がシュッパ゜ンされたのは1959年と言う事ですから、この録音の僅か7年前です。まさにレコード時代にあってはパイオニア的な録音ですが、既にしっかりとボヘミア色を出しながら、第2楽章なんかしっとりとした田園風景ののどかさを見事に表現しています。イヤフォンで聴く録音はデッカの特色であるFFSSを充分堪能させてくれる見事なサウンドで、デッカ録音陣の優秀さを堪能出来ます。
上は交響曲第3番です。ドヴォルザークの交響曲作品の中では最初に初演された作品です。いわば出世作なんですが知られていません。ドヴォルザークの交響曲の中で派ゆいいつ3楽章の作品です。しかし、これが世間の目に止まり、奨学金を得て経済的にも安定するきっかけとなっています。作品的にはワーグナーの影響を受けているといわれ、特に第2楽章にワーグナーの『タンホイザー』序曲のモチーフが引用されています。ケルテスはそういう作品の特性を良く捕まえ、歌謡的な旋律を強調させつつドラマティックな作品として演奏しています。
ケルテスの交響曲第7番は余り取り上げられませんが、ロンドン響の首席指揮者就任の前年の録音という事もあり、蜜月関係を感じさせる演奏です。この頃のロンドン響は名手が揃っており、ホルンなんか朗々とした響きで曲を盛り上げています。で、1966年には1番から5番までが集中的に録音されています。ただ、このセールスは余り順調ではなかったようで、首席指揮者就任から僅か4年で解任されています。なんでもケルテスではお客が呼べないという事が最大の問題であったようです。そんなことで全集の最後を飾る6番は1970年まで待たなくてはなりませんでした。
ウィーンフィルとのデビュー盤となった録音はセンセーショナルに向かい入れられ、逸れが全集録音に結びついているわけですが、このロンドン響との再録音は単に全集のための再録音という位置付けではなく、ロンドン響を手中に収めてケルテスの新世界を実現しているといってもいいでしょう。旧盤との違いは特に第1楽章で顕著で、スラーやフェルマータにウィーンフィルとは違う表情付けをさせています。これを聴くとウィーンフィルとは、全体はウィーン流に、ポイントだけはケルテスの主張を盛り込むという形で、かなりエキセントリックな表情付けをしていた事が分ります。その分ロンドン響との演奏は、幾分溌溂感が押さえられたという印象を感じます。でも、全集としての統一管はやはりこのロンドン響の演奏でしょうなぁ。