新幹線がなかったら | geezenstacの森

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新幹線がなかったら

著者 山之内 秀一郎
発行 東京新聞出版局

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 世界一と言われる新幹線。しかしその誕生までの道のりは決して易しくはなかった。新幹線の計画段階から、設備トラブル、労使間の対立や事故を乗り越えてきた歴史を、海外の鉄道事情も絡め、自身の経験と豊富なデータや写真で、JR東日本会長(執筆当時)の著者が綴る。---データベース---

 本書は,旧国鉄に入社し,JR東日本副社長(その後,同社会長)にまでなった鉄道一筋の技術者が書いた本です。戦後の混乱期から東北・上越新幹線までの開発の歴史に身を置いた人の記述だけに,どのページを開いても発見があるし,技術の進歩の歴史として読んでも教えられるものが多い興味深い本になっています。小生が入手したのは単行本ですが、今は文庫本でも読む事が出来るようです。面白い事に単行本は中日新聞系の東京新聞の発行なんですが、文庫本は朝日新聞社系の朝日文庫から発売されています。どうなっているんでしょうねぇ。不思議です。

 「新幹線がなかったら」というタイトルで新幹線に関する本と思われるかもしれませんが、そういう物だと思い込むとがっかりします。しかし、いわゆる鉄道ファンに取っては実に興味深い本でしょう。この本、実は3月に「リニア鉄道館」に行くために予習という事で何気なく手に取った一冊でした。しかし、読めども嫁ども肝心の新幹線についての記述は出て来ません。そんなことで暫くうっちゃってあったのも事実です。しかし、新幹線を頭の隅から追いやると、これほど面白い戦後の鉄道史の内幕を描いた本は読んだ事がありません。鉄道技術は、世界的に見ても大したレベルではなく、狭軌という制約にあって日本の鉄道は世界の中で捉えればむしろ異端児的な存在であった事が浮き彫りになります。世界の状況は電車ではなく機関車が中心で、むしろ電車に特化していく日本は特異な存在でしかありません。戦前、戦後の国鉄はフランス国鉄に学んだ所が大きいというのも、この本で初めて知りました。

 そんな日本が、東海道線の輸送量の限界を見た時に、狭軌ではだめだ在来線を走るよりも新線を作らなくてはという発想のもとに出来上がったのが新幹線というわけです。しかし、これだけでは標準軌道を採用する世界とようやく同じ土俵に立ったというだけです。そこに日本の技術の粋を集めた、在来線にはない新幹線が登場したのです。これは奇しくも東京オリンピックという世界に情報を発信するには一番良い機会でした。そこから、日本の鉄道は世界の注目する所となったのです。時代はモータリゼーションの中にあり、東名、名神という2大高速道路も一方では完成しています。また、やがてくるであろう航空機時代に対応するためにもこの新幹線の登場は、まさにこの時代しかなかったという登場の仕方であった事がこの本を読んでいると分ります。

 「もしも新幹線がなかったら,今ころ日本の鉄道は東京・大阪を除けば赤字ローカル線しかなく,鉄道そのものが姿を消していたのではないか」とか,「新幹線の成功がなければ,フランスのTGVもドイツのICEもなく,鉄道の旅客輸送は衰退していただろう」という著者の指摘はには十分説得性があるし,「現在,東海道新幹線が運んでいる人間を飛行機で運ぼうとするとジャンボ機を100往復させるか,40人乗りバスを10秒間隔で走らせなければいけない」というのも事実でしょう。それだけの輸送力を持つ公共交通手段は新幹線しかないのです。新幹線がなかったらという状況は,そういう現実があります。また、一方では新幹線は開業以来旅客死者を出していません。しかし、高速での事故は年々ひどくなるばかりで一向に減りませんし、航空機にしても日航機墜落事故に照らしても分るようにあっという間に数百人のいのちが消えてなくなります。

 東海道新幹線の建設計画が正式スタートしたのは,何と1956年(昭和31年)です。ようやく戦後の混乱期を抜け出し、朝鮮戦争によって経済が上向きかけた時期です。実はこの年ようやく,東海道線全線の電化が終わったばかりであり,日本国の大部分はまだ,蒸気機関車が煙を吐きながら走っていた時代です。そんな時代に,世界に類を見ない新幹線を計画し,その実現に向けて研究し,次々に直面し山積する難問を解決し,ついに1964年に開通させてしまったのです。何しろ,200kmで走行させようにも平野が少ない日本の国土だから,試験走行が十分にできない状況でした。パンタグラフの構造をどうしたらいいのか,ブレーキ構造はどうしたらいいのか,200km走行でも快適な乗り心地を確保するための車体ばねの構造は何がいいのか・・・など,まったくの手探りで始まった計画である。また、当時は労使の紛争が激しさを増していた時代でもあります。技術的な難問だけなら何とかできても,労使関係となると全く別である。人間相手の交渉も必要て、著者はその最前線で活躍していた事もあり、本書には,こういう血なまぐさい話,生々しい話もきっちりと書かれています。まあ、余り所はどろどろとした所はあっさり書き散らしていますが、それでも、国鉄の歴史の中にはこういう紛争もあったのは事実です。

 もしも,東海道新幹線建設計画が10年遅れだったらどうだったでしょう。時代は既にマイカー時代となり,高速道路建設が国是となっていた時代ですから,新幹線計画そのものが受け入れられず,途中で頓挫していた可能性が強いし,完成しても現在ほどの乗客がいたかどうかもかなり怪しいものです。乗客が少なければ運転本数は少なくなり,そのため使い勝手は悪くなり,その結果,乗客はさらに少なくなる。まさにこれは,1980年代までのヨーロッパの鉄道が辿った道でもあります。

 この1964年の東海道新幹線の開業が、その後の世界の鉄道を替えたといっても過言ではありません。安全性と高速性を両立させた新幹線の前代未聞の成功、先のフランスのTGVも、ドイツのICEもユーロスターも日本の新幹線の成功があって初めて動き出したプロジェクトです。

 本文中に次のような記述があります。
いまから四年ほど前、フランスの鉄道雑誌に日本の鉄道を紹介した記事を見つけた。読んでみると、なんと「世界で一日に鉄道を利用する人の半分は日本だ」と書いてある。これにはびっくりした。
さっそく調べてみると、世界で一日に鉄道を利用する人は全部で1億6000万人。そのうち実に6200万人が日本なのである。世界の中にはもちろん中国やインド、ロシアも含まれている。半分とまではいかないが全世界の40%に相当する。この数字の中には JR と民鉄や地下鉄など異なった会社に乗り換えて利用される方は二重、三重に計算されているので、実際にはもう少し少ないのだろうが、それにしても日本は大変な鉄道大国なのである。フランスの新幹線にあたる TGV の路線の中でも最も輸送量の多いパリとリヨン間ですら1日の利用客は4万8000人。その輸送量は東海道新幹線の7分の1で、上越新幹援と同じらいなのです。

 この本はどこから読んでも面白く出来ています。鉄道技術の発達史なら前半を読むと言いでしょうし、日本とヨーロッパの鉄道の違いを知るなら中盤以降が面白いでしょう。振子式電車に着いて知りたいなら一章が逸れに咲かれています。まあ、兎に角鉄道ファンなら読んで損する事はありません。