シュテファン・ザンデルリンクのハイドン | geezenstacの森

geezenstacの森

音楽に映画たまに美術、そして読書三昧のブログです

シュテファン・ザンデルリンクのハイドン

曲目/ハイドン
交響曲第43番変ホ長調「マーキュリー」 
1.第1楽章Allegro 6:46
2.第2楽章Adagio 5:37
3.第3楽章Menuetto & Trio 3:07
4.第4楽章Finale. Allegro 4:30
ハイドン:交響曲第44番ホ短調「悲しみ」
5.第1楽章Allegro Con Brio 6:39
6.第2楽章Menuetto & Trio. Allegretto 4:56
7.第3楽章Adagio 4:21
8.第4楽章Finale. Presto 3:47
ハイドン:交響曲第45番嬰ヘ短調「告別」 
9.第1楽章Allegro Assai 5:18
10.第2楽章Adagio 6:09
11.第3楽章Menuet & Trio. Allegretto 3:29
12.第4楽章Finale. Presto - Adagio 6:57


 

指揮/シュテファン・ザンデルリンク
演奏/ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団

 

録音/11995/10 CTSスタジオ

 

MEMBRAN-DOCUMENTS 233253-13

 

イメージ 1

 

 激安の『グレート・クラシカル・マスターワークス2』に含まれる一枚です。シュテファン・ザンデルリンクの名前につられてこの一枚を引っ張り出しました。この第2集にはハイドンの交響曲集は3枚収録されています。他の2枚はジーン・グラヴァーの指揮ですが、この一枚がシュテファン・ザンデルリンクのものです。彼のハイドンは第1集にも交響曲第94、100番を収録したものがありますし、メンデルスゾーンの「イタリア」と「スコットランド」をカップリングしたものもあります。

 

 さて、そのシュテファン・ザンデルリンクですが、名前からも分るようにクルト・ザンデルリンクの息子です。シュテファンの兄には、大阪シンフォニカーの音楽監督・常任指揮者を努めたトーマス・ザンデルリング、弟にはチェロ奏者・指揮者のミヒャエル・ザンデルリングがいます。1964年生まれです。wikiには、
ライプチヒ音楽大学でクルト・マズアに師事したのち、1988年に南カリフォルニア大学に留学、タングルウッドでは、バーンスタイン、小澤らのもとで研鑚を積む。1989年にタングルウッドでデビュー、その後、ポツダムにおいて職業指揮者としてデビューし、マインツ州立劇場およびマインツ州立フィルハーモニー管弦楽団の音楽監督に就任した。1996年にブルターニュ管弦楽団の首席指揮者に就任。ブルターニュ管弦楽団在任中に、同楽団のチェリストであったイザベル・ブザンソンと知り合い、2002年11月に結婚した。現在はトレド交響楽団の首席指揮者を務めている。2008年の夏のシーズン開始より、シャトークァ交響楽団(Chautauqua Symphony Orchestra)の音楽監督兼指揮者に就任。とあります。

 

 日本デビューは1995年の読売日本交響楽団、2000年にはNHK交響楽団も指揮しています。彼が20代にNAXOSに録音したストラヴィンスキーやチャイコフスキーは中々の怪演でした。そんなことで注目していた指揮者です。ただ、最近は新録音も無く兄弟共々その動静があまり伝わって来ません。

 

 話が横道にそれますが、指揮者の世襲は通用するものなのでしょうか。エーリッヒ・クライバーの息子のカルロス・クライバーは父親を凌ぐカリスマ性があって人気がありましたが、他はどうなんだろうと考えてみました。現役バリバリで第一線で活躍しているのはコンセルトヘボウのシェフのアルヴィド・ヤンソンスの息子のマリス・ヤンソンス、hr交響楽団(フランクフルト放送交響楽団)のシェフのネーメ・ヤルヴィの息子のパーヴォ・ヤルヴィ(2015年からはNHK交響楽団の主席指揮者になるようです)、それに我が日本の尾高忠明(父はNHK交響楽団指揮者の尾高尚忠)ぐらい名ものでしょう。ネーメ・ヤルヴィにはもう一人、末っ子のクリスチャン・ヤルヴィが指揮者として活躍していますが兄ほど目立っていません。こう考えると親の七光り的な部分も若干感じられます。まあ、これには逆もあるものでスービン・メータは世界一流指揮者の一人ですが、彼の父メリー・メータも指揮者でありながら鳴かず飛ばずでしたし、かのカラヤンの兄のウォルフガング・カラヤンも一応指揮をしていましたが、弟との差は歴然でもっぱらオルガニストとして活躍していました。

 

 こういうことから推察しても、概して、本人に実力が無いと指揮者として広く認められるのは困難ということでしょう。政治家のように地盤、看板、鞄(これは持っていそうだな)を持っていない指揮者は、カラヤンでも最後はベルリンフィルから愛想を尽かされるほどですから、中々難しい職業なのでしょう。そう思うと、このシュテファン・ザンデルリンクも、もう一皮むけないと世界のトップの仲間入りは難しいのかもしれません。しかし、ここで聴かれる演奏は中々フレッシュで勢いがあります。ハイドンの交響曲というとロンドンセットがコンサートの中心で、「シュトゥルム・ウント・ドラング(疾風怒濤)期」の作品を取り上げるとなるとそれなりの意気込みを感じます。

 

 セットの中で最初に聴いたのはこのアルバムとアレクサンダー・ギブソンの指揮するベルリオーズの序曲集のものでした。ギブソンはまた別に取り上げるとして、このザンデルリンクのハイドンは最初聴いたときは、あまり印象に残りませんでした。通勤用の車の中にずっとCDを入れっぱなしにしておいたので、毎日のように聴いていると不思議とその良さがだんだんと分って来ました。要はこの演奏はカリスマ的な指揮者の演奏ではなく、噛めば噛むほど味が出る(?)、スルメの様な演奏であったわけです。

 

 アレグロですがややゆったりしたテンポで始まる1楽章は尻上がりに面白くなります。全集を録音したアダム・フィッシャーよりは乗りのいいテンポです。切れ味が良いので、現代楽器で聴くハイドンとしてはホグウッドの様な新鮮さがあります。オーケストラはどちらかというと丸い響きなので、不思議なことにアクセントが強くならず、さわやかな演奏に仕上がっています。この曲は「マーキュリー」というニックネームが付いていますが由来ははっきりしないようです。まあ、モーツァルトにも「ジュピター」があって、これも実際はオリンポス12神のユーピテル(ユピテル、英:ジュピター、ゼウスに相当)に由来するということなので、この体でいくと「マーキュリー」はメルクリウス(英:マーキュリー、仏:メルキュール、ヘルメースに相当)ということになりそうです。商業、羊飼いの守護神でゼウスの息子になります。まあ、そう考えると青年の様な溌剌とした第1楽章はこのシュテファンの演奏の方が相応しい感じがします。下は「マーキュリー」と次の「哀しみ」の第1楽章を続けて収録しています。

 

 

 第2楽章は、おとなしめのヴァイオリンが楚々とした主題を演奏しています。元々この曲は弦5部とオーボエ2、ホルン2という簡素な構成です。ソナタ形式で書かれていて見通しの良い構成ですが、さすがに交響曲の父と言われるだけあって、この時期になるとベートーヴェンを予見させる思索的な風情があります。ホルンの扱いもしみじみとしていていい響きで捉えられています。アダージョですがシュテファンは5分台の快速で駆け抜けていきます。

 

 第3楽章のメヌエットは格調高い仕上がり、かなり宮廷風な感じですが、いつにも増してリズムが太く、また対位法の線がきれいなのが印象的に響きます。もともとこのシリーズは録音が優秀なので非常に聴き映えのする演奏です。トリオはソロ・ヴァイオリンがフィーチャーされ、ちょっと静謐な感じもあるこれまた格調高いもので、第2楽章同様、音楽として純度の高さを感じさせます。

 

 最終楽章では第1楽章の明るく伸びやかな雰囲気に戻って進んでいきます。ここではやや編成の大きなオーケストラで演奏されていますので、中々風格のある演奏になっています。ここでも、ソナタ形式が撮られているのでがっしりとした構成の音楽が展開されます。先にも書きましたが曲自体も一回聴いただけでは中々理解出来ない作品で、何度も繰り返して聴くと曲の面白さが分って来ます。古楽器で菊この時期の演奏も良いですが、現代楽器のフルオーケストラで聴くハイドンも捨てたものではありません。そういうハイドンの曲の楽しさを再認識させてくれる演奏です。

 

 次の「悲しみ」と題された交響曲第44番はホ短調という珍しい調性で書かれています。この調性はベートーヴェンやシューベルトには無く、次に現れるのはブラームスの交響曲第4番まで待たなくてはなりません。面白いことに、実際、ブラームスはウィーン楽友協会芸術監督(1872年~1875年)を務めた際に、指揮者として交響曲はこの1曲のみ演奏しており、何らかの影響を与えた可能性があるとwikiに書かれています。

 

 ハイドンはこの曲の緩徐楽章を自分の葬儀の際に演奏してほしいと述べていたといわれています。そして実際、1809年のハイドン追悼の記念行事にてこの楽章が演奏されたという。この曲の「悲しみ」(Trauer)という通称はそこに由来しているようです。

 

 ザンデルリンクは、この曲ではことさら標題に縛られるわけではなく、曲に指定されたテンポで淡々と演奏していきます。しかし、素っ気ないかというとそうでは無く、押さえがちながらアクセントを付けて旋律線は強調しています。まあ、そういうところは上の演奏で確認出来ると思います。

 

第二楽章

 

 最後は有名な「告別」です。第4楽章で奏者が一人ずつ退場していくところばかりが強調されますが、それ以外にも聴き所はあるわけで、小生としては第1楽章の切迫した雰囲気の楽員の心情を最初から吐露させた雰囲気が好きです。元々は13人編成のオーケストラ曲として書かれていますが、ここで聴かれる大編成で聴くと、ハイドンの標題音楽描写の的確さを感じずに入られません。既に交響曲にこういう手法を取り入れている辺りがやはり交響曲の父たる所以でしょう。

 

第一楽章

第四楽章