名鉄ハイキング/晩秋の明治村1 | geezenstacの森

geezenstacの森

音楽に映画たまに美術、そして読書三昧のブログです

名鉄ハイキング/晩秋の明治村1

イメージ 1


 東山植物園で日数を使いちょっと後回しになってしまいましたが、ウォーキングはスケジュール通りにこなし、11月24日には「名鉄ハイキング」に参加して明治村に行って来ました。今回は妻も参加するというので、行きは楽をしようと最初にまず明治村まで行ってしまいます。朝9時には、明治村に付いてしまいました。この明治村には村の北側に乗用車専用の大駐車場があるのですが、まだ、この時間では明治村が開いていませんし、バスの発着する正面ゲートには遠いので、敢えて正面近くの民間の駐車場を利用することに。で、そちらの方に回ってみると、あれっ?、駐車場にはフリーで入っていけます。よく見ると、湖の駐車場の奥の方は明治村の従業員指定の駐車場になっているようです。なことで、朝早くはフリーのようです。そんなことで、ただで停めさせていただきました。(^▽^;)

 朝早く、ここから乗車する人は我々夫婦と、もう一人しかいませんでした。で、名鉄ハイキングは終点の犬山駅東口からスタートです。前日は雨でしたが、この日は晴れました。風はやや冷たいようですが、ウォーキングには最適です。駅で今日のコース図を貰います。このコース図に明治村の入園割引クーポンが印刷されています。明治村は普段は大人一人1,600円します。それが、このハイキングに参加すると500円で入れるのです。JAFのイベントでも半額ですから、こんなチャンスはありません。妻もそういうことがあって、ハイキングよりも明治村見学に誘われての参加でした。

イメージ 2

イメージ 3


 途中には名鉄の犬山検査場のある陸橋を渡ります。ここは1985年に解説され、広さは約35,600m²あり、名古屋鉄道の検査場、検車区の中では2番目の規模です。基本的に瀬戸線を除く車両の日常検査、月検査、列車検査を行っているほか、日常修理、事故・故障対応も行っています。また、名鉄以外では小牧線を走る名古屋市交通局7000形電車の検査も行っています。また車両基地としては最大52両を留置可能です。

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7


 コースはひたすら明治村まで歩きます。この日のコースの最大の難所は大宮浅間神社からの山越えのコースです。標高300m足らずの山ですが、山には変わりありません。確かに名鉄のコースはハイキングです。コースは2種類用意されていますが、上級者向けのコースはスニーカーではちょいと無理でトレッキングシューズが必要なぐらいです。下り道なんか、人一人がようやく通れる箇所もありました。東道の途中には「銀明水」なる湧き水の流出しているところがあります。

イメージ 8


 しんどいながらも何とかコースを走破して、明治村のゴールに辿り着きます。ここで、妻はコースト中で配られる参加シールに印刷されたラッキーナンバーがあたり、プレゼントをもらいます。じつは、出発時にすでにこのラッキーナンバーは見てしまっていました。9時には堂々と張り出してあったのですから・・;)

イメージ 9

イメージ 10

イメージ 11


 夫婦で1,000円を払い入場です。時刻は昼を回っていました。ちょうど昼食時とあって村内は飲食ブースは長蛇の列です。まずは、入って直ぐ右手の「三重県尋常師範学校・蔵持小学校」です。恭室の風景は小生の子供時代まであまり変わりなく、教壇の脇にはオルガンがあります。三重ということで無いのでしょうか、小生の小学校には蒔きストーブが設置してありました。でも通知表とか時間割は全然違います。当時は、読み書きそろばんが主体であったことが分ります。授業が30分単位ということは、その方が集中出来るということなんでしょうかね。成績評定は甲乙丙丁の4段階ですね。
た赤、ビロードような質感の厚い花びら、優雅なダマスク香とまさに「深紅の薔薇」のイメージそのものですが、秋の花色はやや赤みが強いです。

イメージ 12


 村内は晩秋ということで木々がグラディエーションも見事に色づいています。

イメージ 13
     

 2丁目の方にいくと、行列の短い「食道楽のカレーパン」の見世があったのでそこでカレーパンを買うことにしました。本当は一緒に隠れた名物の唐揚げも買いたかったのですが、カレーパンの製造だけで手一杯なようで販売していませんでした。確かに、そのカレーパンも我々が買った直ぐ後には品切れで一時販売中止になりました。明治の村井弦斎の書いたベストセラー小説「食道楽(しょくどうらく)」の中で主人公の恋人が作ったカレーの材料と調理法を再現したカレーがたっぷり入っています。ベースになっているのはインド風のチキンカレーで、砕いた南京豆(ピーナッツ)が入っているのが特徴です。

イメージ 14
 
イメージ 15

イメージ 16

イメージ 17


 この2丁目で気になったのは木造3階建ての「東松家住宅」でした。ここは名古屋の中心部堀川沿いにあった商家で、明治20年代後半までは油屋を生業とし、その後昭和の初めまで堀川貯蓄銀行を営んでいました。塗屋造という江戸時代以来の伝統工法で建てられているこの建物は、創建以来、再三の増改築を経ている。江戸末期、平屋であったものを、明治28年後方へ曳家(ひきや)の上、2階の前半部を増築して現在の店構えを完成させ、明治34年3階以上を増築したということです。江戸時代にはいかに富裕でも武家以外のものが三階建ての建物を造ることは許されず、慶応3年(1867)に なってはじめて京都、東京でこの禁令が解かれ、以後順次全国で認められるようになりました。しかし、大正8年に市街地建築物法により木造高層住宅が禁止されたので、3階建以上の木造住宅はわずか50年ほどの間しか造られなかったそうです。

 堀川に面したこの商家は、間口が狭く奥行の深い典型的な町屋である。2階には露地にみたてた廊下、待合、原叟床風の床框や墨蹟窓などを備えた茶室が設けられています。正面の壁が三階まで直立していのは日本の建築になかったもので、ビル化する商店建築の先駆けと言えるもので、この2階は急な階段のある女中部屋となっています。

イメージ 18


 2丁目から3丁目に向かうところに京都市電七條駅があり市電が到着します。創業明治28年(1895)の市内電車としては我が国最初のものです。京都市電は明治28年現在の京都駅近くから伏見までの約6.4kmで開業しています。意外にも京都に次いで市内電車が登場したのは名古屋で、明治31年のことでした。東京は当時は馬車鉄道だったんですなぁ。ちなみに東京が電化されたのは明治33年だそうです。

 さて、この明治村も長くなりそうなので続きます。