
江戸を高波が襲った夜、人気絵師・喜多川歌麿の女房が惨殺された。歌麿の絵に込められた風刺を憎む幕閣から妨害されながらも、事件の真相を追う同心・仙波の前に、やがて明らかとなる黒幕の正体と、あまりに意外な歌麿のもう一つの顔とは!? 浮世絵研究の泰斗でもある著者が、満を持して放つ傑作時代小説。--データベース---
今まで高橋克彦氏の作品を呼んできましたが、それは題材は浮世絵であるにしてもストーリーの骨幹は現代の仁の視点でミステリーを描いたものでした。しかし、この作品は完全な時代小説です。そして、タイトルに「歌麿」がつくということは時代は寛政時代であろうと察しがつきます。タイトルは歌麿ですが、ここでの主人公は南町奉行所の同心仙波一之進です。あだ名は千一、千に一つも取りこぼしがないという堅物の役人で、嫁の来てが無い独身の身です。江戸深川一帯が嵐による高波に襲われ、大勢の死者を出したので、月番として応援に駆り出されていました。その深川の九右衛門町には浮世絵師「喜多川歌麿」の妻が住んでいました。ただ、この嵐で行方知らずです。秋田藩の藩士が安否を尋ねて来たので、仙波も一緒に捜すことにします。しかし、住まいは物取りに荒らされたの如くで姿はありません。状況からどうやら高波で死んだのではないらしいことが察せられます。このとき当の歌麿は画会が催された江ノ島へ赴いていました。
のっけから、歌麿の名が登場し、秋田藩が絡んでくるという展開です。時は田沼意次の時代から、松平定信の「寛政の改革」に突入しています。そんなことで、役者が揃って来ます。まさにオールスターキャストといってもいいでしょう。この時代の背景を少しでもかじっていると喜多川歌麿とくれば蔦屋重三郎、葛飾北斎(この頃はまだ春朗といっていました)、幕府側は北町奉行-初鹿野河内守信興(1788年 - 1791年)、南町奉行-池田筑後守長恵(1789年 - 1795年)そして、火付盗賊改方の長官-長谷川平蔵(1787年-1795年)が登場して火花を散らします。
さて、歌麿の恋女房の「おりよ」は無惨な姿で殺されていました。事件の背景を探るために仙波は江ノ島へ出かけますが、そこで浪人風の男に襲われます。一人は切りますが、もう一人は取り逃がしてしまいます。しかし、この件に首を突っ込んだ仙波は上司からは詮索を止められます。仙波は南町では厄介者になっていました。そして、たまたま知り合った火付盗賊改の中山という男から仙波を引き抜くという話がもたらされます。もとより、この事件は押込み絡みの展開をみせ、捜査の主導権は南町奉行から火付盗賊改に移っていました。渡りに船です。仙波は火付盗賊改で、中山と行動を共にします。
ところが、手がかりとなったもう一人の男も、見つけた時には既に殺されていました。どうも火付盗賊改のなかにも敵がいるようです。そんなことで、謎が謎を呼ぶ展開となり、連続して押込み強盗が発生すると世間は火付盗賊改にも批判の目が向いて来ます。
この作品、「贅沢」を厳しく取り締まった時代に浮世絵文化を担った喜多川歌麿と、その仲間の版元・蔦屋、更には春朗を登場させて、作者の得意分野である浮世絵に関する知識を、事件の謎にかぶせてきます。事件解決の糸口には当時大流行した「狂歌」が巧みに使われ、ここでは春朗がまるで仙波の手下の如く動き回り、歌麿の過去を暴いていきます。また、忍者の如く北町奉行の妾の邸宅ら潜り込んだりと、なかなかの活躍です。これは彼の父親の素性が関係しているのですが、そういう点は浮世絵三部作を先に読んでいるとさもありなんと納得してしまいます。
不可思議な事件ですが、事件の黒幕は早いうちに割れます。なんと、それは老中松平定信と火付盗賊改めの鬼平こと、長谷川平蔵です。かの池波正太郎氏の傑作時代小説「鬼平犯科帳」の主人公ですが、その二人がここでは悪役に回っています。しかし、直接の下手人がなかなか分りませんし、火付盗賊改として出動した事件で浪人者三人を斬り殺してしまい、謹慎の身になってしまいます。
推理小説愛好家なら登場人物の設定でピンと来るところがありますが、事の大きさはたかが一同心の力ではどうすることも出来ません。歌麿の意外な正体を絡めて、仙波は起死回生の一手でこの難事に立ち向かっていきます。そこがまた痛快です。このくだりは書かない方がいいでしょう。この作品、2009年にドラマ化されています。まあ、ドラマの方はタイトル通り「歌麿」が主役になってしまい、仙波は脇役に回っていますし、小説には後半の要になっている北町奉行が登場しないという、とんでもない設定に変えられてしまっています。ここは是非とも原作を先に読んで下さい。最後の大団円は痛快です。これ一作で見事完結していますが、蔦屋が身上半減になったところで終わっていますから、その後の展開も気になるところですが、ちらっと写楽の正体を暗示するエピソードが何気なく盛りこまれているところなど心憎い部分もあります。
作品がヒットしたことにより、更に続編が書かれています。といってもスピンアウト的な作品ですが、「おこう紅絵暦」、「春朗合わせ鏡」、「蘭陽きらら舞」の三作がそれに該当します。また、水谷豊主演のドラマも評判が良かったのか、この秋頃第2弾が放送されるようです。多分、「おこう紅絵暦」がベースになるのではと考えられます。ただ、前作で仙波の父親が描かれていないので、とんでもなく原作とかけ離れた作品になるのではと危惧されます。先に、きちっと原作を読んでおかなくては・・・・