
痒み止め薬「王疹膏」を売り出し中の瓶屋の主人、新兵衛が斬り殺された。本所深川の“ぼんくら”同心・井筒平四郎は、将来を期待される同心・間島信之輔(残念ながら醜男)と調べに乗り出す。その斬り口は、少し前にあがった身元不明の亡骸と同じだった。両者をつなぐ、隠され続けた二十年前の罪。さらなる亡骸…。瓶屋に遺された美しすぎる母娘は事件の鍵を握るのか。大人気“ぼんくら”シリーズ第三弾。あの愉快な仲間たちを存分に使い、前代未聞の構成で著者が挑む新境地。ー上巻
父親が殺され、瓶屋を仕切ることになった一人娘の史乃。気丈に振る舞う彼女を信之輔は気にかけていた。一方、新兵衛の奉公先だった生薬問屋の当主から明かされた二十年前の因縁と隠された罪。正は負に通じ、負はころりと正に変わる。平四郎の甥っ子・弓之助は絡まった人間関係を解きほぐすことができるのか。『ぼんくら』『日暮らし』に続くシリーズ第3作。ー下巻---データベース---
シリーズ3作目ともなると、キャラクターが定着しすぎていて、安心感はありますがわくわく感はどうしても薄くなってしまいます。まあ、そうならないように作者も工夫を凝らして同心の真島伸之輔、伯父の宮本源右衛門、さらには丸助、弓之助の兄の淳三郎におしんと新しいキャラクターが投入されています。核になる連続殺人事件は、その裾野の広がり方からして中々興味深いものがあります。ただ、題名の「おまえさん」は途中から消えてなくなります。これは明らかに作者が構想の中で持っていた結末と違う方向へ向かってしまったための苦肉の策ではないでしょうか。下巻では「おまえさん」の後に、「残り柿」、「転び神」、「磯の鮑」、「犬おどし」とタイトルが続きますが、ストーリー的にはここまで全部が「おまえさん」なのです。
さて、構想とストーリーがかけ離れてしまった端的な例は、宮部作品にはストーリーの前半にちゃんと犯人が誰であるかという伏線を張ってあることが多いのですが、この作品に関してはそういう仕掛けはありません。ましてや、全く関係のない殺人事件までぶち込んでストーリーをこんがらかせています。あげくの果ては、ほとんど関係の無いようなところから真犯人が浮かび上がって来ます。いゃあ、正直こんな展開になるとは思いませんでした。そして、真犯人は最後の最後まで姿を表しません。まるで「火車」のような展開です。但し、違うのは最後は一太刀交えて川の中へ逃げるのですが、これがあっさり死んでしまうのです。捕縛は生け捕りが基本です。ために間島信之輔は峰打ちで立ち向かいますが、くだんの真犯人は川で溺れ死んでしまうのです。最後にあっと驚く様などんでん返しもなく誠にあっけない幕切れで終わってしまいます。これだけの長編でこれはないよなぁ。
そんなことで、本編の捕物帳に関しては期待はずれの一言です。ただし、これだけの長編です。オールキャストで登場するサブストーリーはなかなかのものが揃っています。その第1が「おでこ」こと三太郎の本当の母親の登場です。政五郎は突然の母親「おきえ」の登場に、慌てます。今は政五郎に育てられしっかりものの三太郎ですが、いまさら実の母親にしゃしゃり出られては立つ瀬がありません。前半はこの母と子がすれ違いで、何とかことなきを得ますが、後編ではそうもいきません。ただ、本音を言うとこの話も何を今更という展開で終わってしまいます。そして、子供たちは成長しています。子供子供していた弓の助と三太郎ですが、年頃になって来て色気づいて来ます。三太郎はお徳屋のおもんに思いを寄せ、ラブレターまで書いてしまいますし、弓之助はこれまた殺された瓶屋の後家の佐多江に懸想してしまいます。年上の女に惚れるなんざ美形の色男も困ったものでございます。
今も昔も変わらないものに「宝くじ」があります。まあ、当時は「富くじ」といいましたが、今回はこの「富くじ」を巡って二つの事件が巻き起こります。一つは殺人未遂ですが、もう一つは殺人事件となってしまいます。こちらの方は本編と絡んでいるのですが、どうも絡み方が今ひとつしっくりと来ないので、サブストーリーも中途半端な幕切れです。まあ、あまりにもサブストーリーが多すぎるのでどれもこれもが中途半端な展開の様な気もします。ぼんくら同心の平四郎が中心なのは分りますが、ここは、少年ものが得意な宮部氏の力量発揮でスピンアウト的に弓之助と三太郎の活躍に絞ったストーリー展開でも良かったのではと思われてしまいます。
上巻の方がいろいろな事件が絡まりあってまだしもわくわくの展開なのですが、事件の真相を語る下巻の冒頭から謎解きが素直に謎解きにならない展開でいささかトーンダウンです。そのごは、先きのタイトルのサブテーマを中心にしての話しが続き、あれよあれよという間に終わってしまいます。やや迷走気味での一件落着は、何時もの宮部作品のキレはありません。そこが残念な一作となってしまいました。
作品の所々にちりばめられる、キャラクターに語らせる作者の思いは、なるほどと思わせるものがあります。曰く、事件について語る平四郎の妻の
「罪というものは、どんなに辛くても悲しくても一度きれいにしておかないと、雪のように自然に溶けて失くなることはありません。」
とか、本宮源右衛門の、
「己の名前を書けるようになれば、己というものがはっきりする。己と、己以外のものを分かつことができる」「それこそが学問の第一歩じゃ。そこから全てが始まる」「励むほどに、人というものの胡乱さ、混沌の深さがわかってくる。同時に、人が学問という精密なものを生み出したのもまた、その胡乱さと深い混沌故ということもわかってくる」「だから興趣が深い。道は遠い。」
という人生訓まで、至る所に得心する言葉がちりばめられています。そういう言葉に巡り会うのも、この小説の楽しみ方の一つかもしれません。
「罪というものは、どんなに辛くても悲しくても一度きれいにしておかないと、雪のように自然に溶けて失くなることはありません。」
とか、本宮源右衛門の、
「己の名前を書けるようになれば、己というものがはっきりする。己と、己以外のものを分かつことができる」「それこそが学問の第一歩じゃ。そこから全てが始まる」「励むほどに、人というものの胡乱さ、混沌の深さがわかってくる。同時に、人が学問という精密なものを生み出したのもまた、その胡乱さと深い混沌故ということもわかってくる」「だから興趣が深い。道は遠い。」
という人生訓まで、至る所に得心する言葉がちりばめられています。そういう言葉に巡り会うのも、この小説の楽しみ方の一つかもしれません。
このシリーズ、今度はスピンアウト作品でリベンジしてほしいと思います。