とことこ二川宿-二川宿本陣資料館4 | geezenstacの森

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駅ちかウォーキング とことこ二川宿-二川宿本陣資料館4

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       清明屋旅館看板

 史跡「二川宿本陣資料館」の見所は二川宿本陣とその隣りに合った清明屋旅館が一体で復元されているところです。資料館を見て旅籠に回るには裏口から入ることになります。ここは裏座敷を伴った旅籠で残された資料から文化14年(1817年)に建てられたことが分っています。本陣の直ぐ脇にあることから大名行列が本陣に宿泊する際には、家老などの上級武士の宿泊所ともなっていたようです。新居宿にあった「紀伊国屋」という旅籠も2階建ての立派な旅籠で紀州藩の御用宿でしたが、この「清明屋」も規模は小さいながら格式を感じさせます。


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       裏口
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       離れの間
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       手水の内庭
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       離れに通じる土間口
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       土間
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       井戸

 ところで、屋号の「清明屋」というのに小生は引っかかりました。ひょっとして安倍晴明に関係あるのではないかと考えたのです。で、暖簾を確認すると「五芒星」があしらわれているではありませんか。五芒星は、陰陽道では魔除けの呪符として伝えられています。今回の訪問では五芒星の痕跡は暖簾と見世の間から2階への上がり口の桟のところにある物体にそのマークが確認出来ただけですが、他にも残っているのでしょうか?

       暖簾
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       店の間
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       店口
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      主部屋
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      食事
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      風呂
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      駕篭
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     行灯

 店口の写真からは「清明屋」が「浪花講」や「関東講」の常宿であったことが分ります。また、旅籠屋「清明屋」には2ヶ所の湯殿がありました。二川宿本陣の湯殿は桶に沸かしたお湯を入れる方式ですがこちらは炊く方式です。いわゆる五右衛門風呂ですな。多分泊まり客によって風呂を使い分けていたのでしょう。

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     本陣玄関

 さて、いよいよ本題の本陣です。旅籠と比べたらその広さに圧倒されます。平屋作りですが、いうなれば大名の屋敷がそっくり旅籠になったと同じ様なものです。その広さは下の映像でご覧になった方が分りやすいでしょう。

 

 二川宿本陣は、文化4年(1807)から明治3年(1870)まで本陣職を勤めた馬場家の史跡です。表門は、袖塀の付いた薬医門形式で、本陣を引き継いだ文化4年(1807)に建設されましたが、嘉永2年(1849)の主屋改造に続いて建て替えられ、翌3年12月に完成しました。本陣の正門で、大名などの宿泊の際には大名の定紋入りの幔幕を張り、高張提灯を掲げました。

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     板の間

 主屋は、家族や使用人の居住部分と、利用者が使用する休泊部分に分かれていました。板の間には蔀戸が備えられ、街道から直接荷物を運び込むことができました。

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     書院の間

 上段の間は、大名等の貴人が休泊する部屋で、本陣の中で最も重要な部分でした。他の部屋より一段高くなっており、大床・付書院・御簾が付けられていました。ここには左隅に時計が置かれています。

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     大名風呂
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     厠
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     中湯殿
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     部屋
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     式台
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     茶室
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     つぼ庭
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     当時の食器類

 さすが本陣で、大名専用の厠や風呂があり、用心とは別の仕様です。まあ、時代が時代ならこういうところは一般人は入ることも出来なかったんでしょうが、興味深い史跡です。

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 外庭にはこの時期、紫陽花が奇麗に咲いていました。帰りは、丁度西の枡形の角にある「中原屋」にたちより、ちょいとお土産を。ここは麩餅で有名なんですが、時節柄ということで「一枚流し」を購入しました。水羊羹なんですが、板状になっていて好みの大きさに切って食べることが出来ます。小豆とこしあんがありますが、小豆を所望しました。家族に喜ばれました。

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