
戦国の英雄たちの中で群を抜いて輝く2人の武将──天稟の智将・真田幸村と、千軍万馬の勇将・後藤又兵衛の、名将なるが故の葛藤と互いの深い洞察を語る表題作の他、争乱の時代を溌刺と自由に生きた、戦さにも強く女にも強い、生き物の典型としての男たち、それを慕う女たちを描く、興趣尽きない好短編集。---データベース---
軍師ということで、「関が原の戦い」周辺の戦国時代を生きた武将にまつわる8つの短編を収録しています。家康や秀吉などの英雄ではなく、彼らを支えた名もない人物にスポットをあてているところが良いですね。さほど戦国時代には詳しく無いので、ここで描かれるちょっとマイナーな主人公たちに心惹かれました。そして、小説という事で、どのストーリーも女が絡んできます。その関わり方を見ていると、戦国時代の女たちの人間としての本能というか性に対する執着まで感じ取る事が出来ます。戦国の世であっても男は女がなくては生きていけないものなのかもしれません。ちなみの収録作のうち、「女は遊べ物語」、「侍大将の胸毛」、「一夜官女」の3作が別途「戦国の女たち」と題されたアンソロジー集にも収録されています。
♦「雑賀の船鉄砲」
1578年(天正七年)~1579年(天正八年)にかけてのストーリーです。秀吉(信長)の防兵糧攻めをされている本願寺・別所の三木城と、そこに居合わせた雑賀の鉄砲傭兵、雑賀市兵衛が主人公です。当時の鉄砲傭兵がどのように雇われ、生計を立て、活躍していたのかが垣間見られて面白い内容です。
1578年(天正七年)~1579年(天正八年)にかけてのストーリーです。秀吉(信長)の防兵糧攻めをされている本願寺・別所の三木城と、そこに居合わせた雑賀の鉄砲傭兵、雑賀市兵衛が主人公です。当時の鉄砲傭兵がどのように雇われ、生計を立て、活躍していたのかが垣間見られて面白い内容です。
中世の比叡山は、たんなる宗教の本山ではありません。比叡山延暦寺は、近江をはじめ、尾張、美濃、三河、山城、筑前など、全国に広大な荘園領を持っていたし、本山は要塞化され、僧兵によって固められていましたた。おまけに政治力もあったので武士による政治主導のためにはこれらの勢力は排除しなければならなかったのですな。そのための信長の比叡山焼き討ちに始まる武装僧侶団の駆逐もサブテーマになっていて、無心論者の信長が当時の一大勢力であった寺社の僧兵ちたを一掃した事が天下統一への道筋であった事がこういうサブストーリーを読んでいると浮かび上がって来ます。
さて、鉄砲といえば雑賀衆は有名ですが、トロイの木馬のような船鉄砲というのははじめて聞きました。生きて帰れない戦術という点では、太平洋戦争の特攻隊の精神でしょうか・・・やはり、無謀な作戦のようです。
♦「女は遊べ物語」
1571年(元亀二年)~1584年頃(天正十二年)にかけてのストーリーです。時代はちょっとさかのぼって、姉川の戦い以降でしょうか。浪費家の女房を甘やかすために、功名争いをし、禄高アップを目指し戦場を駆け回る亭主の話です。主人公は伊藤七蔵政国という信長配下の武将でが、後に秀吉に仕え大金持ちになった男です。妻女の小梅は、七蔵の留守に、親戚縁者の女どもをあつめては馳走して遊びさわぐのが好きで、そのうえ、途方もないおごり口です。伊勢の鯛、近江の鮒、丹波の山芋などをはるばると取りよせたり、夏は、飛騨の氷室から高価な氷を購うといった、贅沢ぶりです。三百石ばかりの七蔵にはとてもささえられず、戦場で必死に手柄をたて続けるしかありません。
1571年(元亀二年)~1584年頃(天正十二年)にかけてのストーリーです。時代はちょっとさかのぼって、姉川の戦い以降でしょうか。浪費家の女房を甘やかすために、功名争いをし、禄高アップを目指し戦場を駆け回る亭主の話です。主人公は伊藤七蔵政国という信長配下の武将でが、後に秀吉に仕え大金持ちになった男です。妻女の小梅は、七蔵の留守に、親戚縁者の女どもをあつめては馳走して遊びさわぐのが好きで、そのうえ、途方もないおごり口です。伊勢の鯛、近江の鮒、丹波の山芋などをはるばると取りよせたり、夏は、飛騨の氷室から高価な氷を購うといった、贅沢ぶりです。三百石ばかりの七蔵にはとてもささえられず、戦場で必死に手柄をたて続けるしかありません。
そこに、助け舟をだしたのが、羽柴秀吉です。苦労人の秀吉は七蔵を気に入り、信長から彼をもらいうけます。秀吉は、最初に七蔵に、今後いっさい出世はさせないことを言いわたします。そのかわり、手柄に対してはすべて現金支給と決めたのです。ですから七蔵は石高は増えないので部下は増やさなくても良くなり経費は押さえて金持ちになるという訳です。悪妻必ずしも悪妻ならずといったところでしょうか。
♦ 「嬖女守り(めかけもり)」
時は1600年(慶長五年)、天下分け目の関ヶ原の戦いの時代です。その関が原の戦いが起こる直前、家康は大阪城に女たちを残して、引き上げていきました。その残された女たちの守り役をおおせつかってしまったのが佐野綱正です。家康の残した女は「お茶阿」、「お万」、「お勝」の3人です。いずれも一癖も二癖もある妾たちです。家康の妾たちは、誰もがワガママで、綱正はノイローゼになってしまいます。大阪に留まっていると、石田三成に捕らわれてしまうので、逃げようとするのですが、家康の妾たちは、百姓の家に逃げ込みたくない、とか、やたら権柄ずくで、手に負えないんですね。そんなことで、今で言う職場放棄をしてしまいます。最期は彼女たちに見切りをつけて、戦場で華々しく散っていきました。結局、恩賞にはありつけないんです。サラリーマンは辛いものです。
時は1600年(慶長五年)、天下分け目の関ヶ原の戦いの時代です。その関が原の戦いが起こる直前、家康は大阪城に女たちを残して、引き上げていきました。その残された女たちの守り役をおおせつかってしまったのが佐野綱正です。家康の残した女は「お茶阿」、「お万」、「お勝」の3人です。いずれも一癖も二癖もある妾たちです。家康の妾たちは、誰もがワガママで、綱正はノイローゼになってしまいます。大阪に留まっていると、石田三成に捕らわれてしまうので、逃げようとするのですが、家康の妾たちは、百姓の家に逃げ込みたくない、とか、やたら権柄ずくで、手に負えないんですね。そんなことで、今で言う職場放棄をしてしまいます。最期は彼女たちに見切りをつけて、戦場で華々しく散っていきました。結局、恩賞にはありつけないんです。サラリーマンは辛いものです。
♦ 「雨おんな」
この作品集は一応時代順に並んでいます。この話、1600年(慶長五年)~1602年(慶長七年)にかけてになります。 軍師と良いながらも、ここでは出雲の歩き巫女の「おなん」が主人公です。関が原の戦いのさなか、戦場の地の空き屋で一夜の宿を取ったおなんは、夜陰に紛れて行軍する西軍宇喜多秀家の家来、稲目左馬蔵が迷いこんで一時を共にします。その後、今度は福島正則の家来、尾花京兵衛が来て一時を共にします。当時、男の方は決戦前に女性となにがしすると縁起が良いという風習がありました。おなんは一夜に二人と契りを結んでは勝利を約束してしまいました。が、どちらかが勝ち、どちらかが負けてしまう運命は、巫女といえどどうすることもできないのです。そして、戦いの後、東方の福島正則についた尾花京兵衛は立身し、おなんは彼を見つけ出し屋敷に住むようになります。暫くして、1人の乞食が城下で槍の相手を探していた。なんとその男は破れた、稲目左馬蔵であったのです。おなんは、今度は、左馬蔵に懸想します。こうして、二人の男はまた、一戦を交える事になります。いつの世もみな女性に悩まされるものなのです。
この作品集は一応時代順に並んでいます。この話、1600年(慶長五年)~1602年(慶長七年)にかけてになります。 軍師と良いながらも、ここでは出雲の歩き巫女の「おなん」が主人公です。関が原の戦いのさなか、戦場の地の空き屋で一夜の宿を取ったおなんは、夜陰に紛れて行軍する西軍宇喜多秀家の家来、稲目左馬蔵が迷いこんで一時を共にします。その後、今度は福島正則の家来、尾花京兵衛が来て一時を共にします。当時、男の方は決戦前に女性となにがしすると縁起が良いという風習がありました。おなんは一夜に二人と契りを結んでは勝利を約束してしまいました。が、どちらかが勝ち、どちらかが負けてしまう運命は、巫女といえどどうすることもできないのです。そして、戦いの後、東方の福島正則についた尾花京兵衛は立身し、おなんは彼を見つけ出し屋敷に住むようになります。暫くして、1人の乞食が城下で槍の相手を探していた。なんとその男は破れた、稲目左馬蔵であったのです。おなんは、今度は、左馬蔵に懸想します。こうして、二人の男はまた、一戦を交える事になります。いつの世もみな女性に悩まされるものなのです。
♦「一夜官女」
岩見重太郎という浪人を巡る話ですが、主人公には女性を据えてあります。1615年(元和元年)頃の話しでしょう。父の危篤を知らされ実家に帰った「小若」ですが、それはあだ話でした。夫が待つ家に近道をするつもりが大阪で足止めを喰ってしまいます。そこの村で祭があり、「小若」は村主に頼まれ住吉明神の贄役になります。しかし、神の生け贄のつもりが、籠った神殿の中には男がいました。当然男女の契りを結びます。男は岩見重太郎、のちに大阪夏の陣で華々しく活躍します。「小若」は城に帰宅しますが、妾が男児産んだので実家に帰されてしまいます。でも岩見重太郎の事が気になっていたのでラッキーとおもう「小若」でした。でも、成就しない切ない恋物語でもあります。
岩見重太郎という浪人を巡る話ですが、主人公には女性を据えてあります。1615年(元和元年)頃の話しでしょう。父の危篤を知らされ実家に帰った「小若」ですが、それはあだ話でした。夫が待つ家に近道をするつもりが大阪で足止めを喰ってしまいます。そこの村で祭があり、「小若」は村主に頼まれ住吉明神の贄役になります。しかし、神の生け贄のつもりが、籠った神殿の中には男がいました。当然男女の契りを結びます。男は岩見重太郎、のちに大阪夏の陣で華々しく活躍します。「小若」は城に帰宅しますが、妾が男児産んだので実家に帰されてしまいます。でも岩見重太郎の事が気になっていたのでラッキーとおもう「小若」でした。でも、成就しない切ない恋物語でもあります。
♦「侍大将の胸毛」
ここでの主人公は、藤堂高虎が侍大将として召抱えた渡辺勘兵衛です。1601年(慶長六年)~1615年(元和元年)かけての話しとなります。じつは勘兵衛の話しは前振りがあります。関ケ原の戦い後、勘兵衛は牢人して古里、近江湖北に引っ込んでしまていました。独身ですが、女には不自由無く暮らしていました。関ヶ原の役後に立身した藤堂高虎ですが、その時には勘兵衛に対峙して前主の居城の郡山城の明け渡しを要求していたのがこの藤堂高虎だったのです。そんなことで惚れていた勘兵衛を軍師に迎えようと思い立つたのでした。そこで、大葉孫六が説得役に浪人になっている渡辺勘兵衛を召し抱えるための説得役を任せます。勘兵衛は数年のち孫六屋敷に現れるが、孫六は不在です。その彼の帰宅を待つ間に間に、孫六の妻「由紀」に惚れられてしまいます。しかし、そんな「由紀」を無視して、ここでも他の女性とは遊びまくります。ここでは、人妻の由紀はマッチョな渡辺勘兵衛に萌えてしまうのですが、しかし夫を裏切る不貞はできない、どうしよう、という話になっています。とても、軍師の話しではありませんわ。
ここでの主人公は、藤堂高虎が侍大将として召抱えた渡辺勘兵衛です。1601年(慶長六年)~1615年(元和元年)かけての話しとなります。じつは勘兵衛の話しは前振りがあります。関ケ原の戦い後、勘兵衛は牢人して古里、近江湖北に引っ込んでしまていました。独身ですが、女には不自由無く暮らしていました。関ヶ原の役後に立身した藤堂高虎ですが、その時には勘兵衛に対峙して前主の居城の郡山城の明け渡しを要求していたのがこの藤堂高虎だったのです。そんなことで惚れていた勘兵衛を軍師に迎えようと思い立つたのでした。そこで、大葉孫六が説得役に浪人になっている渡辺勘兵衛を召し抱えるための説得役を任せます。勘兵衛は数年のち孫六屋敷に現れるが、孫六は不在です。その彼の帰宅を待つ間に間に、孫六の妻「由紀」に惚れられてしまいます。しかし、そんな「由紀」を無視して、ここでも他の女性とは遊びまくります。ここでは、人妻の由紀はマッチョな渡辺勘兵衛に萌えてしまうのですが、しかし夫を裏切る不貞はできない、どうしよう、という話になっています。とても、軍師の話しではありませんわ。
♦「割って、城を」
茶人の古田織部正が主人公です。古田織部正は大名なのですが、芸術家としても著名。その古田織部正の狂気みたいなものが描かれている作品です。時は1613年(慶長十八年)~1615年(元和元年)、大阪夏の陣の前夜までというところです。 関ケ原後十年経って、世に隠れた善十こと鎌田形部左衛門の許へ、茶人古田織部正重然(おりべのしょうしげよし)から仕官を求める話が来ます。今までも仕官の話しはありましたが話、茶人からの誘いは面白そうとOKを出します。善十は庵から使い古した茶碗を持って来ましたが、それを古田織部正が見立てると名品だと言います。しかし、彼はその茶碗を善十の目の前で細かく割り、それをまた釉薬などを塗って再生して皿に価値をあげるのです。茶人古田織部正重然が評価をつければそれだけの価値があるのです。現実に倦んだ狂気の世界ですが、戦国時代はそういう時代でもありました。
♦「軍師二人」
大坂夏の陣の後藤又兵衛と真田幸村の話です。豊臣方は、生え抜きの軍師がいません。そこで、金に物を言わせて諸国の牢人を集います。その中に、高野山に留配されていた真田幸村と京都から馳せ参じた後藤又兵衛です。それぞれの軍師の立案と両者の対立、またその案に対して中途半端な対応をしてしまう、秀頼、淀君を囲む大阪方の重臣を見ていると、失敗は必然であったこと、また失敗する組織について考えさせられます。まさに、ナポレオナがいったとされる「優れた二将は凡なる一将に劣る」という言葉を思い出しました。
大坂夏の陣の後藤又兵衛と真田幸村の話です。豊臣方は、生え抜きの軍師がいません。そこで、金に物を言わせて諸国の牢人を集います。その中に、高野山に留配されていた真田幸村と京都から馳せ参じた後藤又兵衛です。それぞれの軍師の立案と両者の対立、またその案に対して中途半端な対応をしてしまう、秀頼、淀君を囲む大阪方の重臣を見ていると、失敗は必然であったこと、また失敗する組織について考えさせられます。まさに、ナポレオナがいったとされる「優れた二将は凡なる一将に劣る」という言葉を思い出しました。
育った環境により戦術が違い、お互い軍師としてのプライドがあるのですが、そこらへんの対立と融和が描かれた作品です。まあ、時代の先を読む力と武士のプライドが豊臣方に付かせたといっても良いのですが、二人とも家康の家臣であったら、思う存分実力を発揮できであろうと思われます。トップの人間力によって部下の能力をいかに引き出せるかは、いつの時代も同じですね。やはり2代目は大した事はないという事です。
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