幸福な罠 | geezenstacの森

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幸福な罠

著者 夏樹静子
出版 光文社 光文社文庫

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 忙しい育児のまっただ中で作品を書き上げたこと、作家として取材をする楽しさ、難しさ、囲碁が大好きで、目に優しい碁石を作り上げるまでのこと、子供のころ住んでいた家の想い出。この本の中には、そんな一人の作家の生活が映し出されています。小説とはまたひと味違った世界を味わうことのできる、極上のエッセイ集。---データベース---

 夏樹静子士2冊目のエッセイ集です。原書は著名な「椅子が怖い」と同じ1997年に出版された「時が証す」(潮出版)で、2002年に文庫化されたときに「幸福の罠」にタイトルに変更されています。確かに「時が証す」は子育てから解放された印象を書き記した作家として動き出すプロローグを綴った一編で
新鮮みはありません。それより、「幸福の罠」と題されたエッセイは推理小説が文学だろうかという問いかけに始まり、作者の作品に込める人となりを感じる仕上がりの一編です。作品の完成度が読後に読者にもたらす満足感、ひいてはその疑似体験が読者の意識を変える力を持っている小説が優れた文学であり、推理小説にもそういう力があるものだと語っています。それはさながら読む人を幸福の罠に落とし込むものなのだという結論づけです。ですから、この方がこのエッセイ集の内容を端的に表しているといえます。

 先に読破した「往ったり来たり」の方が後に著された本ですから本来は印象としては逆になるところですが、重複した内容がかなり含まれます。こちらは根それまでに発表したものを寄せ集めた内容で5章立てになっています。そのうちの第1章が新聞連載された内容の前出書と重複する部分が多いもので、むしろ新聞連載がエピソードの引用も含めてこの部分をベースに書かれたとしか思えないような内容になっています。この「幸福の罠」はその第2章以下が夏樹作品の発想の原点を知る意味での種明かし的楽しみ方が出来るエッセイになっています。

 小説と文章という一文では最近の若い人たちに人気のある小説に目をやると、やたらページの半分が真っ白なものに出くわすとの記述があります。改行と台詞が多いという指摘ですね。たしかに、西村京太郎の小説なんかはそれに当てはまります。同じ一冊を読むのにも半分ほどの時間ですむんですから。でも、確かに小説としてのディテールがカットされていて情景描写はあまりありません。夏樹氏は目が弱いので本の朗読ものをしばしば聴かれるようですが、言葉にすると名作は物語の運びとディティールの書き込みが実に過不足無く調和しているそうです。

 もう一つ、このエッセイでは実名が出てきませんが松本清張氏の作品のタイトルには抽象的なものが多いと言う話は納得ですね。作品の内容が固まる前にタイトルだけが決まる場合は大抵こういう抽象的なものでお茶を濁し、後でこじつけのように納得させるのが手だとか。

 第3章は夏樹さんが考案した「グリーン碁石」についての顛末が書かれています。目が痛いという環境からの切羽詰まった状態に追い込まれ、そこからの発想で生まれた目に優しいグリーン碁石、ドライアイを体験した人だからこその発想なんでしょう。毎年このグリーン碁石を使った「夏樹静子杯グリーン碁石囲碁大会」が5月に開催されています。今年は18回大会になるほど途切れずに続いています。

 最後の章には自作品についての裏話的な思いが下記綴られています。昨年読破した「クロイツェル・ソナタ」や「佇つ人」などはどういう着想で作品が生まれたのかを作者が解説しているのですからこれ以上の作品理解の手助けはありません。そういう視点が覗けるのもこのエッセイ集の楽しみでしょう。

 ただ、このエッセイ集。文字がぎっしり詰まっていますからちょっと気楽に戸は逝かないところが難点でしょうかね。エッセイ集でも手を抜かず、良い仕事しています。