オスカー・ピーターソン/ナイト・トレイン+4 | geezenstacの森

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オスカー・ピーターソン
ナイト・トレイン+4

曲目/
1.Night Train 4:50
2.C Jam Blues 3:25
3.Georgia On My Mind/我が心のジョージア 3:46
4.Bag's Grove 5:41
5.Moten Swing 2:55
6.Easy Does It 2:45
7.Honey Dripper 2:24
8.昔はよかったね/Things Ain't What They Used To Be 4:39
9.I Got It Bad And That Ain't Good 5:08
10.Band Call 3:54
11.自由への賛歌/Hymn To Freedom 5:32
12.Con Alma 6:58
13.Maidens Of Cadiz 7:42
14.My Heart Stood Still 5:42
15.Woody'n You 3:48

 

[パーソネル]
オスカー・ピーターソン(p)
レイ・ブラウン(b)
エド・シグペン(ds)
1962/12/15-16、ハリウッド・ラジオ・レコーダーズ ロスアンジェルス 1-11
1959/07/14-08/09、ユニヴァーサル・レコーダーズ シカゴ 12-15

 

P:ノーマン・グランツ
VERVE 840816-2

 

イメージ 1

 

 このCDは名盤とみえて過去に何度もリリスされています。昨年も話題のSHM-CDとして限定発売されましたがオリジナルでの11曲での発売でした。しかし、手元にあるのは1984年に発売されたスペイン盤で、オリジナルにプラス4曲がボーナストラックとして収録されています。何か得したような気分です。しかし、この形で国内盤が発売されたことは無いようです。

 

 ジャズのアルバムはオーディオ・ファンが多いということで音質重視の観点から片面20分以内のレコードがほとんどでした。ですからCD化に際してはそれでは売りにくいだろうということで、このように盛んにボーナストラックを附加したアルバムが一時期流行しました。これもその流れの中の一枚ということでしょうか。ところでその際、別テイクの演奏を含めて発売するというのが一般的で、この「ナイト・トレイン」も実際1997年には+6曲収録されたものが発売(POCJ9151)されており、そこにはタイトル策の「ナイト・トレイン」の別テイクや「モーテン・スイング」のリハーサル・テイク、「ナウズ・ザ・タイム」の未編集テイクなどが収録されていました。でも、このCDはそれとも違う曲構成です。追加収録されているのは1959年のシカゴでの録音です。

 

 「さて、ナイト・トレイン」は、オスカー・ピーターソン(p)、レイ・ブラウン(b)、エド・シグペン(ds)という1959年以来不動のメンバーで62年12月にレコーディングされた、オスカー・ピーターソン・トリオのスタジオ録音盤としては、「プリーズ・リクエスト」と並んで、VERVE時代の最高傑作といえる作品となっています。短い曲で2分半、長い曲でも5分半と、収録曲はとてもコンパクトにまとめられておりとても聴きやすい内容になっています。ときには金太郎飴と揶揄される彼のよく動く黄金の指先から溢れるピアノの華麗なサウンドテクニックに裏付けされたピーターソンの安定した演奏を中心に、ジャズの醍醐味が凝縮された秀作といえます。

 

 このアルバムタイトルの1曲目が「ナイト・トレイン」なのですが、国内盤で出ているCDはなぜかこの曲が2曲目に収録されています。曲の入れ替えに何か理由があるのでしょうかね?不思議です。LPもA面の第1曲なのに・・・その「ナイト・トレイン」は、もともと、デューク・エリントンの「ディープ・サウス組曲」の一曲として作曲されたブルース・ナンバーです。ピーターソンのピアノが中央に定位し、ブラウンのベースが左、シグペンのドラムスが左ときっちりと色分けされたサウンドです。題名通り、夜行列車が、深夜の闇の中を悠然と走り抜けていくような、そんなミッドテンポのブルースです。シグペンのドラムスがリズミカルに黙々と蒸気を吐く機関車のドリフトを叩きだします。このテンポなら寝台列車に揺られながら心地よく眠りにつくことが出来るでしょう。

 

 一転して「Cジャムブルース」はスゥイング感たっぷりのアップテンポの曲で聴きようによってはスピードを上げた機関車の疾走シーンということも出来ます。こういう構成になっているのでなんで曲順が国内盤は入れ替わっているのか理解出来ません。オリジナルの中で一番長い曲が「バグズ・グルーブ」です。MJQで聴き慣れた曲ですが、このピーターソンの抑えたピアノも聴きものです。多分このアルバムの中では「ナイト・トレイン」に次いでよく聴いた曲です。

 

 そもそも、ジャズに一時期のめり込んだのはこのMJQとの出会いでした。「コンコルド」とか「フォンテッサ」なんかのアルバムを聴いてこんなジャズがあるのかと開眼しそこから入りました。どちらかと言えばクラシックからの延長にあったのかもしれません。ジョン・ルイスのピアノ、ミルト・ジャクソンのヴァイブに魅かれ、そこからピアノはオスカー・ピーターソンにたどり着きました。ジョン・ルイスとは対照的なピアノなのですが、そこがまた良かったのかもしれません。MPSに録音したLPは全部集めていました。個人的にはこのMPS時代が彼の頂点だったのではと思っています。「ガール・トーク」、「ハロー・ハービー」、「オスカー・ピーターソンの世界」いゃあ、名盤ぞろいです。

 

 話がそれましたが、他の曲も、その殆どがスタンダード曲で、どれもが素晴らしく充実した演奏でジャズ・ピアノのトリオとはこういうものだということをまざまざと感じさせてくれます。とりわけ、ラストの「自由への賛歌」は素晴らしい作品です。初めて聴いた時、最初ゴスペル調のメロディが流れた時サイモンとガーファンクルの名曲「明日に架ける橋」を思い起こしました。でも、こちらの方が古いということは「S&G」の方がパクリなのかな?それは別として、このアルバムが録音された1962年といえば黒人差別が色濃く残っていた時代で、現在のオバマ大統領のような黒人がアメリカの頂点に立つなんて考えられない時代でした。そんな中でピーターソン自身はカナダ人でしたが、抑圧された黒人の自由への賛歌としてこの曲を、抑えられたピアニズムの演奏ですが強い自由への思いが溢れんばかりの演奏を聴かせてくれます。まさにアルバムのラストにふさわしい選曲であり演奏です。

 

 

 12曲目からは、ボーナストラックですがこれがまた音が良いんです。不思議に思ってインレイカードを確認すると、どうもマスタリングが違うようです。オリジナルの「ナイト・トレイン」はMGMレコードが、そして、ボーナストラックは当時のポリグラムレコードが担当しています。エンジニアの技術の差なんでしょうね。ジャズのLPはこれだから処分出来ないのです。未だにジャズのLPは中古市場でも高値で取引されています。LPの音質をCDは超えられていないからなのでしょうが、確かに自分もジャズをじっくり聴きたいときはLPを選択してしまいます。

 

 1959年の録音にも関わらず、音の粒建ちが良くシャープです。ピーターソンのピアノもその卓越したテクニックが冴えに冴えています。スゥイング感が何ともいえません。これらの曲はアルバム「The Jazz Soul Of Oscar Peterson (Verve MGV 8351)」に収められている曲で、6曲中4曲も収録されています。タイトル通りピーターソンのソウルが感じられる演奏で、スピード感のある「CON ALMA」からスロー・バラードの「Maidens Of Cadiz」までチョイスされています。なかでも後者はイントロとラストの部分でベースが弦を使ったサウンドで演奏されている所が新鮮に聴こえます。MJQのパーシー・ヒースは良くこういう奏法を取り入れていましたが他ではあまり耳にしたことが無いので新鮮に響きます。

 

 このアルバム、フルコースのフランス料理のあとで、スイーツのバイキングを食べたような満腹感があります。こういうおまけはありがたいものです。

 

 さて、オスカー・ピーターソンは2007年12月23日に亡くなりましたが、ジャズピアノ界の巨匠として様々なプレイヤーと競演しています。ここでは最後にアンドレ・プレヴィンとピアノ・デュオで競演した映像を楽しみましょう。

 

 

  ピーターソンは5歳の時ピアノを習い始めました。14歳の時タレントショーで優勝しモントリオールでラジオショーをもちます。1945年から49年の間にモントリオールで録音したものは、初期にはブギウギスタイルでしたがすぐにそれは捨てて、テディ・ウイルソンやナット・キング・コールの影響を受けたスイング・スタイルになっています。

 1949年、ノーマン・グランツがピーターソンを知るところとなり、JATP公演のゲストとして招かれます。50年にベースとデュオ録音をした「テンダリー」がヒットします。52年にはレイ・ブラウン(ベース)、バーニー・ケッセル(ギター)とトリオを結成。ギターはハーブ・エリスと交代し、53年から58年まで続いたこのトリオは当時最も注目されるコンボでした。

 ピアノをもりたてる必要やアレンジのこともあり、59年にはエリスが退団、そのあとはドラマーをいれます。エド・シグペン(58~65年)、ルイ・へイス(65~66年)、ボビー・ダーハム(67~70年)、レイ・プライス(70年)。またベースはブラウンが65年まで、サム・ジョーンズ(66~70年)、ジョージ・ムラーツ(70年)です。特に65年までは、「ザ・トリオ」と呼ばれNO1のピアノ・トリオとして人気を得ていました。

 68年にはじめてソロ・ピアノをMPSに録音し、同レーベルで質の高い作品を作ります。72年にノーマン・グランツがパブロレーベルを立ち上げたので、ピーターソンはジョー・パスやニールス・ペデルセンと、さらにはオールスターズなどでパブロのために大量の作品を残していいます。

90年にはリユニオンバンド(ハーブ・エリス、レイ・ブラウン)でCDを制作しましたが、93年に重い脳溢血がおきて2年間活動を休止しました。その後、まだ左手が不自由でしたが再びピアノを弾けるようになります。しかし、往年の彼のスタイルはもはや聴くことは出来ませんでした。そして、2007年12月23日夜、腎不全にてトロント郊外のミシサガ市の自宅で死去しました。享年82歳。