地球の静止する日 | geezenstacの森

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地球の静止する日
原題:The Day the Earth Stood Still
スタッフ
監督:スコット・デリクソン
製作:ポール・ハリス・ボードマン、グレゴリー・グッドマン、アーウィン・ストフ
脚本:デビッド・スカルパ
撮影:デビッド・タッターサル
美術:デビッド・ブリスビン
音楽:タイラー・ベイツ
製作国:2008年アメリカ映画
配給:20世紀フォックス映画
上映時間 :106分

キャスト
キアヌ・リーヴス - クラトゥ
ジェニファー・コネリー - ヘレン・ベンソン
ジョン・クリーズ - バーンハート博士
ジェイデン・スミス - ジェイコブ
ジョン・ハム - グラニエ博士
キャシー・ベイツ
ロバート・ネッパー
カイル・チャンドラー
アーロン・ダグラス
ヒロ・カナガワ - イケガワ

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あらすじ
   ある日、謎の巨大な球体が地球に飛来、アメリカ政府が厳戒態勢を敷く中、宇宙からの使者クラトゥがセントラルパークに降り立つ。あらゆる分野の専門家を集めた対策チームが組織され、亡き夫の連れ子ジェイコブと2人暮らしの生物学者ヘレンも強制的に招集される。やがて軍の施設でクラトゥに対する尋問が試みられるが、クラトゥは特殊な能力で拘束を解くと施設から姿を消してしまう。クラトゥの目的も判らぬまま世界中がパニックとなる中、クラトゥは協力者にヘレンを選び接触を図る。そしてついに、ヘレンはクラトゥから衝撃の事実を告げられるのだったが…。---allcinemaより---

 「宇宙戦争」に続きこの作品もリメイクですね。本作には1951年公開の同名タイトルのオリジナル版があり、それが57年の時を経てリメイクされたというものです。ロバート・ワイズ監督のオリジナル版は冷戦下のアメリカを舞台に、宇宙からの平和の使者が戦争を続ける人類を説得する物語でしたが、このスコット・デリクソンの08年版はそれとは全く違うテーマの基に制作され、よりシリアスに現代の人々が抱える不安を描き出してはいます。

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 オリジナル版でマイケル・レニーが演じた宇宙の使者クラトゥを演じるのはキアヌ・リーヴス。マイケル・レニーのクラトゥは人間的な温かみがありましたが、今回のクラトゥは人間の姿をしてはいますが、淡々とした口調で話すクールです。まさに「マトリックス」の延長線上にあるキアヌ・リーヴスにぴったりの役どころです。また、クラトゥは前作では空飛ぶ円盤で登場しましたが、今回は彼は不思議な球体から登場する。もちろん彼の相棒の1つ目の巨大ロボット・ゴートも一緒に現れますが、新しいゴートは黒光りする外見で、より不気味さが増しています。でも、これ何となくレトロなロボットです。でもって暴れ回るかと思いきや攻撃からは身を守りますが、最初の内は攻撃はしません。またクラトゥは今回、平和の使者としてではなく、人類とテクノロジーを地球上から排除するためにやって来ています。

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 宇宙から未知の物体と生命体がニューヨークのセントラルパークに現れたます。旧作はワシントンでしたから設定も変わっています。地球上はパニックに陥ります。そして、アメリカですねぇ、地球外生物にいきなり発砲します。現実世界を反映していると言うか、アメリカが好戦的なことは知っていたつもりですが、どうしていきなり発砲してしまうのだろう。まあ、こういう展開は原作通りですからしょうがないのですけれども・・・。原作では、主人公が宇宙人を、こういう人間ばかりではない、あれは事故だったのだ、と懸命に説得することになるのですが、映画ではジェニファー・コネリー扮する地球外生物学者のヘレン・ベンソン博士が、宇宙生命体クラトゥ(キアヌ・リーブス)に対し、興味を持ち彼の言葉を聞こうと試みます。しかし、この映画クラトゥが、責任者にあって話をしたいと申し出ますが、アメリカ政府はこれを拒否します。ていうか、大統領も、副大統領もトンズラしてしまって顔も見せません。で代わりにしゃしゃり出てくるのがキャシー・ベイツ扮する国防長官レジーナ・ジャクソンで、彼女の役が他の役者のテンションと合っていないのがとても気になってしまいます。そもそも、こんな小柄で小太り年の女性が人類の将来を託す権力者の代表にふさわしいのでしょうか。これも違和感のあるところで話をつまらなくしています。ミスキャストでしょう。

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 さて、ヘレンにはウィル・スミスの実子ジェイデン・スミスが出演し、血のつながらない8歳の息子ジェイコブを演じています。このジェイコブは亡くなった父に執着すしてなかなかヘレンに対し素直になれません。この親子の対立が一方のテーマになっているのですがこのエピソードはあまり必要性がないように感じます。ヘレンとジェイコブのセンチメンタルエピソードはストーリーの本筋の腰を折るだけで何の解決も見いだせていないのですから。

 クラトゥがセントラルパークに現れるまでの物語のオープニングはなかなか良い出来なので期待させますが、それをうまく展開していけず、だんだんとスケールダウンして単なるSF映画に終わってしまっています。展開があっさりし過ぎていて、結局何も起こらなかったと感じさせられてしまいます。花島中心はニューヨークなのですが、この地球外生物の飛来した球体の宇宙船は世界各地に出没しています。しかし、それを印象づける映像は限定的でほとんど意味をなしていません。本来はこの宇宙船が「ノアの方舟」の役割をして地球上の生物を収容するようなのですがその視点での映像は限定的です。

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 なにかとクラトゥに協力的で何が目的で彼がやってきたのか知りたいヘレンに「地球が死ねば、人類も死ぬが、人類が死ねば、地球は生き残れる」と告げる。ヘレンは「わたしたちは変われる」と言い、物語のクライマックスはどうやって納得してクラトゥが宇宙へ帰るかに焦点が当てられるはずなのですが、その描き方が腰砕けで監督のいおうとするメッセージが伝わってきません。

監督の来日し世のインタビューでは、自国民への警告として
「私が住んでいるアメリカでは、今までの人生で経験したことがないほど本当にいろいろな変化が起こっています。アメリカ国民が自分達の起こした間違いを認め、変わろう、変えようという努力をしていて、それを見ていると勇気づけられます。アメリカ以外の国にも自分達が作り上げた危機があるわけですが、そういうものを真剣に受け止めて違うやり方を探そうとしている、そのような例をたくさん目にするので、非常に心強く思っています。」
と述べていて、そういうことへのメッセージを混めた作品であると強調していたのですが、見終わってもそういうものは感じられませんでした。

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 クライマックスに向かって巨大ロボットのゴートが、意味不明な極小の虫に変身し、それが細胞分裂のように繁殖して人間の築いた文明を破壊していくという展開になるのですが、この変身に失望してしまいます。こんなことなら巨大ロボットの意味が無いではないですか・・・

 そもそも、もともとのタイトルの意味するところは、地球外生物がエネルギー活動をすべて止めてしまうからこそ「地球が静止する日」なのであって、このリメイクされた作品ではそういう視点が消えてしまっています。冒頭のこれまでエイリアンは決まってありきたりな宇宙船でやってきましたが、今回やって来た宇宙人は外見からは一見気体だか液体だか分からないような球状の物体でやってくるということで、新しい展開でわくわくしたのですが、最後は全くお粗末な結末でせっかくのシチュエーションが生かしきれていません。

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 正月作品として興行的にはまずまずのようですが、見終わって金返せ!と叫びたくなるようなお粗末な作品でした。これなら同じSFものでも、「ウォーリー」の方がずっと楽しめます。