川井郁子の世界 | geezenstacの森

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川井郁子
THe Red Violin

曲目/
1. レッド・ヴァイオリン(アランフェス)(ロドリーゴ)
2. アモール・デ・ヴェラーノ(川井郁子)
3. マルガリータ・コンチェルト(アダージョ)(アルビノーニ)
4. ゴールデン・ドーン(川井郁子)
5. テンペスト(プニャーニ&クライスラー)
6. エン・コルドバ(川井郁子)
7. バイラ・エル・バイレ(川井郁子)
8. スカーレット・コンフェッション(川井郁子)
9. カルメン・ルージュ(ビゼー)
10. インディゴ・ワルツ(川井郁子)

 

ヴァイオリン/川井郁子
ストリングス/篠崎グループ
ギター/古川昌義
ベース/齋藤順
ボーカル/リン・マブリィ
スキャット/古川昌義、川井郁子 他

 

録音/2000/0314-04-04 ビクター青山スタジオ
P:谷田郷士
E:川崎要

 

ビクター VICC-60177

 

イメージ 1

 

 最近はどういう時代の変遷か、ポップスの流れに乗るクラシックから流れたヴァイオリニストが多くなりましたね。高嶋ちさ子を筆頭に川井郁子そして宮本笑里、幅を広げれば寺井尚子と様々です。そして、ここで取り上げるのが川井郁子、彼女は現在ではどらかというとかなりポップス寄りです。自身で作曲、編曲もするスタンスからはソロ、デュオ、そしてコンボスタイルからフルオーケストラまで幅広いシーンで音楽を奏でています。その彼女のデビューアルバムがこの「Red Violin」です。最初もこのタイトルを目にした時は1999年に公開された映画の「レッド・バイオリン」のインスパイヤード・アルバムかと思ったのですが全く関係がなかったようです。ちょっと紛らわしいですね。アルバム目タイトルとしては分かりますが、冒頭の曲のタイトルもそのままなんですから。でも、実際はロドリーゴの「アランフェス」のメロディなんですからこんがらがってしまいます。

 

 川井郁子のこの「レッド・バイオリン」」は情熱と官能の赤、そして太陽と大地の燃える赤を表現しているとかで、ジャケットデザインも実に艶かしいものとなっています。プロモーション・ビデオも背景は赤です。

 

 


 さて、このアルバムは自作曲とクラシックの大家の作品をうまくミックスさせた構成になっています。そして、それらの作品をいろいろな編成のヴァリエーションで演奏しています。一番規模の大きいのは1と3のクラシック作品のアレンジで、一番編成の小さいのは最後のピアノとのデュオになる「インディゴ・ワルツ」です。

 

 

  パーカッションやアコーデオン、フルーゲルホーン、それにギター、ピアノなどの楽器との組み合わせで時には悲しいほどやるせなく、時には情熱的に、時には濁流のような激しさで、そして時には細い糸が切れてしまいそうな弱々しさでバイオリンの極限の音の美を聴かせています。ただ、少々面喰らう部分もあります。それこそ1曲目の「レッド・ヴァイオリン」ですが、常々聴き慣れているクラシックのヴァイオリンとは音が違うということです。ポップス用に作られた音とでもいうのか、量感溢れるサウンドなのですがそれぞれの音があまりにも人工的な響きでこれがストラディヴァリウスの音?という感じです。ホームページで確認すると彼女は「アントニオ・ストラディヴァリウス(1715年製作、大阪芸術大学所蔵)」を使用しているとのことですが、全然それらしい響きに聴き取れないのです。

 

 このアルバムが発売されて半年あまり経った頃、写真週刊誌に彼女の記事が載りました。そのインタビューに答えて、
「いま、悲しい思いをしている人は多いですよね。でも、悲しみや苦しみはエネルギーがあるから感じる感情だと思うんです。前に向く始まりなので、人びとの悲しみや苦しみと深く共鳴しあえるような音楽でありたいと思うんですよ」と。

 

 情熱的な「レッド・バイオリン」で開けたアルバムはしっとりとした「インデイゴ・ワルツ」で幕を閉じます。ただ、これも一筋縄の演奏ではありません。あっさりと、静かに終わっていくかというとそうではなく官能の世界を引きずっていて、妖しくねっとりとした響きに最後まで振り回されます。癒しのアルファ波に溢れる高嶋ちさ子の世界とはまた違う表現で、第1曲から女の情念に振り回される感じで心して聴かないと、聴き終わってどっと疲れてしまいます。こういう経験はあまり無いので最初聴いた時は驚きました。普通のCDは一度通して聴き終わった後、もう一度聴こうという気になるものですが、さすがにこのCDだけは続けて二度聴こうという気にはなれません。

 

 

 先に引用した彼女の言葉のように、このCDはアルバムイメージとは裏腹に幸せに浸っているとき聴く音楽ではないのです。そして、今の世の中のように混沌として先の見えないこの時にこそこういう音楽が人々を奮い立たせてくれるのではないでしようか。