「ヨーロッパ鉄道と音楽の旅」 | geezenstacの森

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旅の思い出とシンクロする「ヨーロッパ鉄道と音楽の旅」改訂版


著者/ 野田隆
近代文藝社 (ISBN:4-7733-6634-6)

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 タイトルに魅かれて手に取った一冊です。中を見るとドイツ鉄道を中心に興味のある内容です。思わずのめり込んでしまいました。

 思えば、学生時代卒業旅行を兼ねて30日間ヨーロッパを旅行しました。このことは以前にも書きましたが、旅の面白さは、ヨーロッパ大陸に入って鉄道旅行を始めてからでした。宿泊費を節約するために移動は鉄道を利用しました。最初はブリュセルからハンブルクへの移動、次はハンブルグからシュトットガルトへ、ここからはトーマスクックの時刻表と首っ引きで夜間移動出来る区間を調べ、シュトットガルトからフランクフルト、ボン経由でケルン、ケルンからはミュンヘンへ、そしてウィーンへと巡りました。もちろんこの間、旅行とともにコンサートにも出かけています。ですから、ほんとにこの本のような旅をしていたのです。

 旅行時期は2月から3月にかけてでしたから、列車は空いていました。ユーレイルパスを使っていましたから、一等車のコンパートメントが利用出来ますし、空いていればコンパートメントは簡易ベットに早変わりです。一日中歩いていますから、乗ったら朝までぐっすり快適に眠ることができました。ヨーロッパの鉄道はTEEというヨーロッパ横断特急(TRANS EUROPE EXPRESS)が網の目のように走っています。いまはちょっと性格が変わってきていますが、当時はそれこそ飛行機に負けない国際移動手段でした。小生もパスを使ってこれらの列車を充分利用しました。

 ドイツの列車で感激したのはどの列車にも、乗車した列車の時刻表がおいてあることでした。これを貰ってきていましたので、今でもどの列車に乗車したか記憶を辿ることができます。本書ではライン下りならぬライン上りの一文になっていますが、小生はフランクフルトからボンまでインターシティに乗ってライン川の景色を楽しみました。川はとても美しいとは言えませんが、所々で現れる古城は風情がありました。ボンで降りたのはここで、コンサートがあったからです。今では首都もベルリンへ移りボンはあまり注目されなくなりましたが、当時はまだ西ドイツの首都で活気がありました。ベートーヴェンの生家に立ち寄り、その夜、ボンのベートーヴェンホールでその地のオーケストラの演奏会を聴きました。さすが、その日はベートーヴェンは演奏されませんでしたが、ドヴォルザークの交響曲第8番を素晴らしい響きで堪能することができました。
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 次の日に、ケルンに入りました。駅は本にも描写がある通り、ケルン大聖堂のすぐ前です。駅から出ると巨大なゴシック建築の大聖堂に圧倒されます。丁度、駅前にマクドナルドがあったのでそこで食事をしたのを覚えています。この時代、まだマックは珍しい存在でした。腹ごしらえをしてからケルン大聖堂へ行きましたが、中は薄暗く、ステンドグラスから漏れる光が差し込むだけで、荘厳な雰囲気のなか静かにミサが流れていました。恥ずかしながら、当時は観光名所の知識が無く、そこが有名なケルン大聖堂とは知りませんでした。

 ハンブルクはブラームスの出身地ですが、空もブラームスの響きのようにどんよりと厚い雲に覆われ、前日に降った雪がまだ所々に残っているほど肌寒く、あまりいい印象はありません。

 この本ではミュンヘンは扱われていませんが、ミュンヘンはやっぱりビールです。ミュンヘンでは、久しぶりに集まった仲間とビアホールに出かけました。ビールも美味いけど、つまみのソーセージの美味いこと。そちらの方が記憶にはっきり残っています。
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 この本は2部構成で後半は音楽のことが中心になっています。小生もウィーンでは予定を変更して長居をし、コンサートやオペラを聴きにいきました。オペラは「トスカ」と「椿姫」、コンサートはコーガンの演奏するベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲のものでした。その合間を縫って、楽聖たちの史跡を訪ねたり、ウィーン墓地までいって墓参り、はてはウィーンの森まで足を伸ばして映画「第3の男」に登場したプラーター遊園地の観覧車も見に行ったりしました。今回の景色写真は当時撮影(1977年)したものです。

 こういう、様々な記憶が瞬時にしてよみがえるほどこの本の内容は自分の旅行と重なるものがありました。著者の経歴を見ると1952年の名古屋生まれ、うーん、近しいものがあるはずです。