geezenstacの森

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音楽に映画たまに美術、そして読書三昧のブログです

ヴィクトル・デザルツェンス

ウェーバー/交響曲1,2番

 

曲目/ウェーバー

Symphony No. 1, J-50    

I (Allegro Con Fuoco)    7:38

II (Andante)    7:08

III (Scherzo: Presto)    4:18

IV (Finale: Presto)    5:02

Symphony No. 2, J-51    

I (Allegro)    7:11

II (Adagio Ma Non Troppo)    5:12

III (Menuetto: Allegro)    1:23

IV (Finale Scherzo: Presto)    2:57

 

指揮/ヴィクトル・デザルツェンス

演奏/ローザンヌ室内管弦楽団

 

録音/1950年代末

E:ピーター・カーレル

 

abcWestminster  WGS-8279

 

 

 このアルバムは1974年に再発売されたものでそれ以前は「MUSIC GUILD」からMS-813として発売されていました。この「MUSIC GUILD」は1960年代には仏ムジディスクやなんかの音源も発売していましたが、abcグループ入りしてからはWestminsterに吸収されたようです。以前はこんなジャケットで発売されていました。

 

 

 珍しいレパートリーということで何度も再発されていますが、録音は多分ステレオ初期のものでしょう。カール・マリア・フォン・ウェーバーといえばベートーヴェンと同時代に活躍していて、当時はベートーヴェンよりも名声があったと言われています。まあ、オペラの作曲家としての方が有名なのでしょうが交響曲を書いていたとは知りませんでした。モーツァルトの妻コンスタンツェは父方の従姉にあたり、モーツァルトとは親類関係に当たるとは知りませんでした。ついでにわずか39歳で亡くなっています。そして、2曲の交響曲は20歳の年に作曲されています。

 

 指揮をしているヴィクトル・デザルツェンスはwikiにはこんな記載があります。

1908年、シャトー=デ生まれ。ローザンヌでアンリ・ガニュバンらに師事した後、さらにジョルジュ・エネスコにヴァイオリンを師事した。スイス・ロマンド管弦楽団にヴァイオリン奏者として入団したが、室内楽コンサートや独奏者としての活動を活発化させ、オーケストラを退団した。1940年にローザンヌ室内管弦楽団を創設し、1973年までこのオーケストラを指導した。1950年には、ヘルマン・シェルヘンの後を継いでヴィンタートゥーア・ムジークコレギウムの指揮者となった。1968年には、それまでの功績を讃えられ、ローザンヌ大学から名誉博士号が贈られた。1986年、ローザンヌで死去。

 

 このローザンヌ室内管弦楽団はパウル・ザッハーが率いたバーゼル室内管弦楽団とともに現代音楽に強いオーケストラだと記憶しています。でも、ヴィクトル・デザルツェンスが率いていた時はあまり日本では評価されていなかった記憶があります。注目されたのは後を継いだアルミン・ジョルダンの時代からではないでしょうか。

 

 この交響曲第1番はその当時カールスルーエのフリードリヒ・オイゲン・フォン・ヴュルテンベルク公爵の管弦楽団指揮者を務めており、この管弦楽団のために2曲の交響曲を作曲しています。交響曲第1番はその折に作曲されたものでモーツァルトのバリ交響曲を参考に作曲したと言われています。ベートーヴェンの交響曲第3番が完成したのが1904年ですかで、この曲が1907年ですから、やや古風な作風の曲だとは言えます。まあ、こんな曲です。

 

 

 多分発売された当時は曲が珍しいこともあり、多少は注目された演奏かもしれませんが、ティンパニの響きはくぐもっているしステレオ初期のために音が中抜け気味に聴こえるのには残念な演奏です。

 

 第2番は第1楽章こそそれなりのスケール感はあり、なかなか面白い曲に仕上がっています。どちらかというとハイトンの作品に近い響きがします。わずか1週間で仕上げたと言われていて、第3、第4楽章は添え物的な曲のような印象です。こちらも音がくぐもっていて残念な響きです。それでも曲の特徴はとらえていますから曲を知るにはこれで十分でしょうか。

 

 

 

マリナー最初の水上の音楽、王宮の花火の音楽

 

曲目/ヘンデル

1.組曲「王宮の花火の音楽」 17:07

水上の音楽 全曲

2.組曲ト長調 8:29

3.組曲ニ長調 9:28

4.組曲へ長調 26:10

 

ハープシコード・コンテイヌオ コーリン・ティルニー

指揮/ネヴィル・マリナー

演奏/アカデミー室内管弦楽団

 

録音/1971/05  キングスウェイ・ホール

P:マイケル・ブレムナー

E:スタンレー・グッダール

 

LONDON L25C−0343  (原盤ARGO)

zrg3583A 50ED   DCA3162 ZRG3584

 

 

 これはマリナー/アカデミーの1971年の最初の録音です。1今回このレコードをとりあげるにあたり調べてみて初めて分かったことですが、マリナーはこの後このコンビで1979年にフィリップスに、そしてデジタル時代になった1988年に今度はEMIにも録音しています。さらに1993年にもヘンスラーにも録音しています。古楽器による演奏が台頭していた中で同一曲をレーベルを横断して4度も録音したのはマリナー、アカデミー以外は無いでしょう。まさに引く手数多の活躍で4レーベルに録音を残していることになります。

 

 最初は有名な、バロック音楽の定番曲、ヘンデルの「王宮の花火の音楽」です。歴史と密接な関係がありますからちょいと背景を探ります。時代は、ジョージ1世の息子、ジョージ2世の御代です。スチュアート朝がアン女王で断絶し、女系の血縁によってドイツから迎えられたハノーヴァー朝の国王たちは、もともとがドイツ人で、英語もろくに話せませんでした。政治にも無関心だったため、英国で議会制民主主義が発達した、というのは有名な話です。そんな国王には国民も無関心でした。当時の国民にとっては、国王など誰でもよかったのです。女系継承で君主が国民の支持を得るのは、歴史的には並大抵のことではないのです。

そんな折、英国は、これも国民のほとんど関心のない戦争を戦っていました。これまでも何回か触れたオーストリア継承戦争(1740-48)です。ほとんどの国民は、国が誰を相手に、何のために戦っているのか、理解していませんでした。そんな中、自ら出陣したジョージ2世が、大砲の音に驚いた乗馬が敵中に走りこんだお陰で、戦いに勝利します。デッティンゲンの戦いです。これには英国民は狂喜し、ジョージ2世は初めて、人気者となることができました。それもあって一大イベントを開催することにし、グリーン・パークに建設された建物で盛大に祝うことにします。その式典で演奏されたのがこの「王宮の花火の音楽」ということになります。野外ですから管楽器中心の編成での演奏会となり、リハーサルでは12,000人もの聴衆を集めて大盛況だったようです。

 

曲は、

序曲(Ouverture, ニ長調)

ブレー(Bourée, ニ短調)

平和(La paix, ニ長調)

歓喜(La réjouissance, ニ長調)

メヌエットI(Minuet, ニ短調) - メヌエットII(ニ長調

で構成され、100名程度で演奏されたようですが、ここでは通常のオーケストラ程度の編成で演奏されています。まあ、アカデミー室内管弦楽団は日本では室内管弦楽団と呼ばれていますが、実際は「Academy of St Martin in the Fields」ということで室内楽を標榜しているわけではありません。曲によって十何二編成を変えることができるのもこのオーケストラの特徴とも言えます。そんなことで、この「王宮の花火の音楽無の方が編成が大きく聴き映えがします。第1曲はフランス風の序曲の形をとっていて、荘厳な序奏からはまりますがマリナーの演奏は奇を衒わず中庸なテンポで演奏していきます。そこにはピリオド楽器の鮮烈な響きはありませんからイギリスの聴衆には受け入れられやすかったのでしょうなぁ。

 

 ヘンデルはドイツのハレで生まれ、若くしてイタリアに留学、名声を得て、ドイツのハノーヴァー選帝侯の宮廷楽長となりました。しかし、実際にはイギリスに帰化した国際人であり、ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデルではなく、ジョージ・フリデリック・ハンデルと呼んだ方が正しいのでしょう。そんなことで、英国人として亡くなり、栄光のうちにウェストミンスター寺院に葬られています。

 

 

 さて、「水上の音楽」はそれよりも古い時代の音楽です。こちらは1715年のテムズ川でのイギリス国王の舟遊びの際にこの曲を演奏した、というエピソードが一般的には有名です。つまりはジョージ2世の前のジョージ1世の時代ということになります。

ヘンデルは、1710年にドイツのハノーファー選帝侯宮廷楽長に就いていたが、1712年以降、帰国命令に従わず外遊先のロンドンに定住していました。ところが、1714年にそのハノーファー選帝侯がイギリス王ジョージ1世として迎えられることになります。ということで、ヘンデルが王との和解を図るため、1715年テムズ川での王の舟遊びの際にこの曲を演奏した、というエピソードになるわけですが、今では否定されているようです。まあ、舟遊びで演奏されたというのは間違い無いでしょう。

 

 この71年録音はライナーにマリナーの言葉が掲載されていて、ケンブリッジの図書館の協力を得て独自の考察を経た解釈を行なっていることが書かれています。3つの組曲からなることに変わりはないのですが、曲の配列は第3組曲が最初に演奏されています。入れ替えがなされていハレ版をベースにマリナー独自のものを採用したと書かれています。マリナーの指揮する小型のノーブルなスタイルは壮麗な屋外音楽である「水上の音楽」の力感とは趣きが違います。レコードではA面に「王宮の花火の音楽」に続き「水上の音楽」の組曲を小さい第3組曲が収録されていて、組曲ト長調から開始されています。

 

 オリジナルの管弦楽曲は一旦遺失していますが、新ヘンデル全集のハレ版(25曲)は、これらを元に管弦楽に復元したものです。他にも管弦楽復元版が数種類存在し、20曲からなるF.クリュザンダー版、6曲からなるH.ハーティ版が知られています。


 マリナーの演奏は当然に現代楽器による通常の奏法ではあり、打楽器が使われずシンプルで小気味よいサウンドになっていて、文字通りさわやかさの極地と言ってもいいでしょう。ジャケットにはわざわざコンティヌオ奏者としてコーリン・ティルニーの名前がクレジットされています。1970年代という時代を読んだ堅実な演奏なんでしょうなぁ。当時はパイヤールもこういうスタイルでしたから時代のニーズでもあったわけです。ただ、イギリスではホグウッとやピノック、ガーディナーなどが鎬を削っていた中でマリナー/アカデミーの演奏が繰り返し録音されていたとは今回一番驚いた点です。

 

 この最初の録音がビートルズ末期のイギリスに受け入れられたということは、イギリスの伝統を感じさせざるを得ません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

懐かしの外国

テレビドラマの名曲

 

 

 多分1964年の東京オリンピックの時は自宅にテレビが治ったので外国のテレビドラマを見たのは中学生になってからだったでしょう。ただ、ポータブルのレコードプレーヤーはもうあったのでこんなレコードが残っているのでしょう。それが「ボナンザ」です。ただ、なじみのあるのは「カートライト兄弟」になってからです。何しろレコードを持っているくらいなので音楽がかっこよかった記憶があります。人気シリーズであったのか1959年から1973年までのシーズン放映されています。こんな曲です。

 

 

 1960年代の西部劇ドラマで日本で一番ヒットしたのはこの「ララミー牧場」でした。主演のロバート・フラーは日本での公表を受けて来日した折には大歓迎を受け、当時の池田隼人首相にも招かれています。まさにビートルズより厚遇を受けたスターでした。

 

 

 まあ、60年代は洗練されたアメリカの生活スタイルにあこがれるドラマが多かったように思います。下のドラマは私立探偵もので、当時は『サーフサイド6』『ハワイアン・アイ』『バーボン・ストリート』などもありましたがチームプレーのカッコよさはこれが一番でした。後年ロスを訪れたときはわざわざこのサンセット通りまで出かけたものです。

 

 

 面白い動画がありましたので貼り付けておきます。当時は吹替放送でしたから誰の声で放送するのかが結構重要でした。そんな裏話が楽しめます。

 

 

 家族みんなで見ますから、子供用の番組はあまり見た記憶はないのですが、アニメでは筆頭は「トムとジェリー」でしょうか。結構クラシックの名曲が使われていて、ショパンの葬送行進曲なんてこの番組で覚えました。

 

 

 バットマンのアニメも懐かしいものです。

 

 

 スーパーマン実写でしたが等身大のスーパーマンで憧れました。

 

 

 1960年代はSF作品が多く生み出されていました。「宇宙家族ロビンソン」なんて作品もありましたがちょっと冗長すぎて途中で飽きてしまいました。その点NHKで放送された「タイムトンネル」はアーウィン・アレンが製作したものでタイムトンネルの構造にリアリティがあり、のちの「スターゲイト」や「コンタクト」という映画にもそのコンセプトが受け継がれています。またも20世紀フォックスがせて策したこともあり、数々の歴史映画のシーンがドラマの中に取り入れられドラマに重厚さを与えていたのも印象的です。

 

 

 「逃亡者」一斉を風靡した作品でもあり、120話という長丁場でしたが、最終話の放送時刻には、ラジオドラマ「君の名は」のように、銭湯がガラ空きになったり、町から人が消えたなどの逸話が残されています。

 

 

 1960年代のドラマで特徴的なのは007シリーズが映画でヒットした影響でスパイ物が続々と製作されたことでしょう。この「0011ナポレオン・ソロ」もその一つで、クリーニング屋がアンクルという組織の本部というのも面白い設定でした。ただ、テーマ曲はコロコロアレンジが変わったのでこれだという物がありません。

 

 

 それに対して「スパイ大作戦」はジャズ畑のラロ・シフリンがきっちり曲を書いていて、登場人物のテーマやプロット、果てはエンディングテーマまで存在します。

 

 

 音楽仕立ての番組も特徴的な物がありました。ビートルズの向こうを張って結成されたモンキーズです。コメディ仕立てで、音楽もきっちりとしていたグループでそれなりに成功したのではないでしょうか。また、ファミリーものでは「人気家族パトリッジ」という番組もありましたっけ。

 

 

 さて、テレビ番組はアメリカものだけではありません。イギリスの番組も数は少ないですがインパクトのある物が放送されています。その筆頭はITCが製作した「サンダーバード」でしょう。日本ではNHKが放送しています。リアルな人形劇でありながらメカには手を抜かない姿勢が高く評価され、今でも愛されているシリーズです。のちに映画版や実写版も製作されています。

 

 

 サンダーバードに先立つ1964年に製作されたのが「海底大戦争 スティングレイ」です。こちらはフジテレビが放送しましたが、途中でタイトルが変更になっています。放送時は「海底大戦争」でしたが本来はただの「スティングレイ(エイ)」です。タイトルソングだけはやけにみみにのこっています。

 

 

 これは日本では日テレが放送していますが、矢追純一のUFOものの前哨戦にあたる作品でした。ただ、放送がお化け番組「ドリフの8時だよ!全員集合」の裏で放送されたのでまともには見ていませんでした。

 

 

 さて、スパイ物はアメリカの方が早いと思われがちですが、「秘密諜報員ジョン・ドレイク」はなんと1960年に放送が始まりました。007より先たつたんですなぁ。主演はパトリック・マクグーハン、なかなか渋い俳優でしたがイギリスでは絶大な人気がありました。なかなか洒落たテーマ曲で当時ブームになっていたエレキサウンドにマッチされてヒットしています。

 

 

 こちらはNHKで放送された「プリズナーNo.6」です。こちらも主演はバトリック・マクグーハンが務めています。同じスパイものでもこちらはSFの要素が取り入れられていて不思議なストーリーになっていました。音楽も洒落ていて一度聞けば忘れないでしょう。

 

 

 「秘密司令S」はITCエンターテインメントが制作した英国のスパイアドベンチャーシリーズです。 このドラマは何しろテーマ曲がかっこよくで、以後演奏しているシリル・ステイプルトンオーケストラを追いかけることになります。

 

 

 粋なアメリカ人とダンディなイギリス人がコンビで活躍する「ダンディ2華麗な冒険」も見所のある物語でした。何しろ出演者が豪華で、アメリカ人のトニー・カーティスとイギリス人のロジャー・ムーアのダブル主演のドラマでトニー役の声優が広川太一郎氏が担当して、駄洒落満載の楽しいドラマでした。イギリスのテレビドラマのピークはこの辺りまででしょうかねぇ。

 

 

 再びアメリカに戻り、記憶に残る海外ドラマは1974年の「ロックフォードしの事件メモ」あたりでしょうか。トレーラーハウスに住む私立探偵という設定が斬新でした。この音楽はマイク・ポストが書いていますが、時代を反映してシンセサイザーサウンドを取り入れた楽しいインストナンバーでした。

 

 

 「ナイトライダー」は半分車が主役とも言える特撮テレビドラマで「ナイト2000」という車がカッコよかったです。

 

 

 さて、最後に取り上げるのはこれもミクのが放送していた「マイコン大作戦」という作品です。1984年に放映されたドラマで、1000年にはコンピューターをメインにした映画「ウォーゲーム」が公開され話題になっていました。日本国内でもNECからPC−8001というパソコンが発売されていて、この時までに25万台が販売されていました。当時、時代はパソコンの時代だと感じていた小生はこの波に乗り、文系の人間でありながらこのPC-8001を購入した一人なのでした。