明日は明日の・・・。
人間が発達させた科学という分野への警告の中に、
「自然に介入しすぎるな」
という種類のものが一般にある。
遺伝子組換えが行われた野菜などを嫌う人々の気持ちも理解できるし、
子供の目の色を選ぶなどの行為も現在の価値観では不自然だ。
さて本題。
上記のように納得する一方で、疑問に思いもする。
人間は、自然の一部ではないのか?
言葉の定義があるというなら、上位概念を模索して、
人間が科学を用いることを前提とした、人間を含めた自然はなぜ考えられないのか?
たしかに、これを認めることは、すべての人為的行為を肯定するだけで、
何の論理的な議論も生まないかもしれない。
しかし、 これも純然とした事実の一つではないか?
掲げられたスローガン「自然を大切に」を何の考えもなしに受け入れるのはどうだろう?
もちろん最終的に受け入れることが社会的な人間がとるべき行為ではあろう。
だが、与えられたものを受け取る前に、考えなければならない。
自分で納得しながら。
以前にも書いたとおり
心がけることが大事
そうすれば、鍵を閉め忘れたかどうか
家にとって帰る必要がなくなる
偲ぶれど 忍ぶれど
どこかの誰かの言葉
桜庭一樹(TV「情熱大陸」より)
†これは小説であり、自身とは関係がない
・一つのことを考えつくし、そこから得た感性を"物語る"
筒井康隆(岩波新書「本の森の狩人」より)
†作者の人格を作品から想像してはいけない
この人この世界
・先週がおもしろすぎたのか?今週が肌に合わなかったのか?
†作者→作品? or 作品→作者?
いつまでも今日は続かない
明日には違う世界になっている
違う場所
違う関係
違う自分
続いているように見えるけど
何もかもがいつかは決定的に変わってしまう
今を強く意識すればするほど
違ういつかが顔をのぞかせる
早川書房
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p.152
p.159
以前にも読んだけど再読。
おもしろい。
言葉はそれだけ、思いは表現できず。
~~~~~~~~~~~~~~~~~
夏休みは終わる
(すべての良きものが、そうであるように)
~~~~~~~~~~~~~~~~~
また読む日が来ると確信している。
そして、彼らがもう経験できないあの夏休みをもう一度経験する。
それは、読者の特権なのだ。
直線は多くのものを突き刺し、
その後ろには、整理された山。
これは、収集家としての快感とともに、
整理家として、タスク終了のお知らせが心地よい。
しかし、最近覚えたのがフィードバック。
なかなかに感慨深い。
それぞれの味をかみしめる。
前に進む感覚はないが、とてつもなく楽しくワクワク。
歳のせいか?
身辺整理と一期一会。

