「後藤純男美術館」は作品を散逸させず一カ所で自作を見てもらいたいとの思いで、後藤氏が自ら建てた美術館です。

売却すればかなりの高値が付く作品たちを、常設で見る事が出来ます。

 

展示室3

 

「雲海黄山雨晴」1984年

 

左側の壁一面に展示されている「雲海黄山雨晴」は後藤画伯最大の作品で、180×1400 ㎝の大作。

 

 

 

古来から水墨画などでお馴染みの中国・黄山の偉容が、画面右から左にかけて雨があがってゆく天候の変化を追って描かれているそうです。

 

「天山南路ギジル塩水渓谷」2005年

 

素描展示室

 

美術館入口からここまでが2002年に増築された新館部分で、通路になっている素描展示室から先が旧館です。

 

展示室4

 

 

後藤氏は当初、人物画志望だったのだそうです。

 

展示室5 「ライン古城」1994年

 

展示室6

 

展示室6には北海道の大自然を描いた作品群が展示されていました。

 

「雪の斜里岳」1987年

 

「雪晴れ」1987年

 

「知床早春」1996年

 

「後藤純男と北海道」の関わりについて、美術館館長・後藤洋子氏(純男氏の次女)は以下のように述べています(同美術館HPより)。

 

30歳の頃からは、異国への憧れのような想いを抱いていた北海道へ、夜行列車を乗り継いでの取材も叶い、こちらも約10年に亘り綿密なスケッチを重ね、特に層雲峡では渓谷にポツンと独りで居る自分の小ささを知ると同時に、自然の偉大さに心打たれたという。北海道の自然との邂逅は、寺での貧しい暮らしに耐え、描き抜いて来た屈強な精神を更に強靭に鍛え上げるものとなり、厳しい渓谷風景や岩盤を描くことで、技術的にも様々な技法を試行錯誤した成果は「渓谷瀑布シリーズ」と呼ばれる作品群となり、父が日本画壇で頭角を現すきっかけとなったものです。

こうして心と技の修練場となった北海道風景の制作は、先に始めながらも内面での咀嚼が及ばず、作品制作に至っていなかった大和路取材を大きく高めるものとなりました。

 

転載、以上。

 

後藤画伯は画家として”北海道の自然に育てられた”という思いが強かったんですね。

それが後年、北海道に製作拠点や美術館を持ちたい、という思いに繋がったのでしょう。

 

「十勝岳連峰」2002年

 

 

斜めから見たり正面から見たりすると、とても立体感が感じられます。

 

 

さて、「後藤純男美術館」のパンフレットやHP、ネットなどの画像・映像を見ると、今回の訪問で見かけなかった作品も数多くあります。

現在、首相官邸やその他展示会に貸し出されている絵画も多く、どの絵だったかは忘れてしまったのですが、職員の方が「この絵は数日前に首相官邸から戻ってきたばかりのものです」と教えてくれたものもありました。

美術館側も定期的に作品の入れ替えを行っているので、「違いがわからない男・梅之助」であっても複数回訪れる価値のある美術館だと思います。

 

 

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