これまで軍艦の海底写真を中心に記事を書いてきましたが、巡洋艦の海底画像は全く見つけられていませんでした。
年代と国によって細かな定義は異なるのですが、一般に第二次大戦頃の「巡洋艦」とは、「戦艦」と「駆逐艦」の中間サイズで、艦砲を主装備とする軍艦であるとされています。そして排水量1850トン~10000トン以下、砲径15.5cm~20.3cmのものが「重巡洋艦(日本海軍では一等巡洋艦と呼称)」、砲径12.7cm~15.5cmのものを「軽巡洋艦(二等巡洋艦)」と呼んでいました。

で、その巡洋艦ですが、遂に一つだけ海底写真が撮影されているものを見つける事が出来ました。
軽巡洋艦「酒匂(さかわ)」です。

 

 

 

 

 


写真の引用はこちらのサイトから(→ http://www.arawasi.jp/ijn/album-KD.html )。
白黒ではありますが、結構鮮明に写っていますね。同サイトには戦艦「長門」も掲載されています。ただし、撮影時期は不明。

「酒匂」は「阿賀野型」軽巡洋艦の4番艦として、1944年11月に竣工しました。しかし戦争末期の完成という事もあって、実戦参加の機会は訪れず、ほぼ無傷で終戦を迎えます。
戦後は復員業務にて活躍。
その後、ビキニ環礁で行なわれる核実験「クロスロード作戦」の標的艦として、戦艦「長門」と共に米軍に引き渡されました。

 

佐世保軍港にて竣工した頃の「酒匂」 (Wikipediaより)

 
1946年7月1日、高度158mで空中爆発した第1回目(エイブル)実験で「酒匂」は船体が大きく損壊し、翌日海底にその身を没しました。

 

(左)空中爆発実験「エイブル」 (右)「エイブル」で破壊された「酒匂」の船体


一方、共に核実験の標的艦になった戦艦「長門」は、7月25日の水深27mで水中爆発した第2回目(ベーカー)実験の損傷で、その約4日後に沈没しています。

右上の画像にもあるように、沈没直前の「酒匂」の写真が残っていました。当初の計画よりも爆心地点がずれてしまい、原爆が「酒匂」のほぼ真上で爆発してしまった為、艦上の構造物が大きくなぎ倒されているのが分かります。
この写真を撮る事が出来たのは、「エイブル」によって生じた放射線は一時的なもので、少し時間をおけば沈没を免れた艦にも乗り込む事が出来たのが理由だそうです。
しかし第2回目の「ベーカー」では、放射能に汚染された海水と土壌を大量に被ってしまった為、沈没しなかった標的艦には数週間経つまで乗艦出来なかったという事です。

現在、「酒匂」はビキニ環礁水深約60mの地点で眠っています。

 

 

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