志茂から岩淵まで(志茂旧道を歩く) | gayasan8560のブログ

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趣味の鉄道、街歩きネタを中心としたブログです。鉄道については、主に歴史的視点からの記事が多いです。

 先日、東京メトロ南北線の志茂駅近くに用事があったついでに、帰りは赤羽岩淵駅まで1駅ブラブラ歩くことにしました。

 

 

 今回歩いたのは、上の地図で赤線で示したgoogleマップでは志茂旧道と表示されている道です。どの程度その名前が一般的なものかはわかりませんが、本記事でも志茂旧道と呼ぶことにします。なお赤点線は、志茂旧道のうち今回歩かなかった区間です。志茂旧道は志茂の集落から日光御成街道の岩淵宿までを結んでいたようです。

 上の地図では、明治時代の集落(志茂、岩淵宿)の範囲を薄いピンクで塗っています。また当時の荒川(隅田川)を水色で表示しています。荒川放水路ができる前は、くねくね曲がって荒川が流れていました。今も埼玉県との都県境にその痕跡が残っています。

 

 

 志茂駅の近くから志茂旧道を歩き始めます。 道幅といい曲がり具合といい、いかにも旧道という感じです。

 

 

 少し歩くと道端に子育て地蔵がありました。地図を見てもわかるように、かつての志茂集落の南側の入口にあたる場所です。

 

 

 集落の北側の入口には庚申堂がありました。道標の役割とともに、集落の外から穢れが入ってこないようにと置かれたものなのでしょう。

 

 

 

 庚申堂の近くには志茂熊野神社があります。境内の由緒書きによると「当社の創建については明らかではありませんが、別当寺である西蓮寺の鐘銘に「正和壬子年八月先師淳慶阿闍梨従紀州奉勤請熊野三社権現為郷鎮守」とした旨が彫られています。当時の西蓮寺住職淳慶阿闍梨(じゅんけいあじゃり)が紀州(和歌山県及び三重県の一部)より熊野三社権現を勧請して正和元年(1312年)8月に下村(現在の志茂)の鎮守としたと記されています。」とあります。そんな由緒ある神社でキティちゃんが盛んに七五三をPRしていました。

 志茂旧道とは新河岸川の手前で別れて、岩淵水門を見に行くことにしました。先日の台風では数年ぶりに水門を閉めて、下流の隅田川の氾濫を防いでいます。

 

 

 水門のゲートを覗くと、泥や枝などが大量に張り付いていました。泥が湿っていることから、先日の台風でゲートを降ろしていたときに付着したものと思われます。

 

 

 現在の岩淵水門(青水門)の少し上流側には、赤いゲートが目立つ旧岩淵水門(赤水門)があります。

水門を見たあと、新河岸川沿いに歩きていくと、左側に神社が現れてきます。岩淵八雲神社です。

 

 

 岩淵八雲神社はかつての岩淵宿と荒川の間に位置しており、日光御成街道一番目の宿場町である岩淵宿の鎮守でした。

 

 

 岩淵八雲神社の境内には舟運業者の進行をあつめた末社水神社のお社があります。

 岩淵八雲神社からは、かつての岩淵宿を通過するように南下して、東京メトロ南北線の赤羽岩淵駅に到着です。水門に寄り道しても1時間程度の小散歩でした。