世田谷通りに乗合自動車が走った日(後編) | gayasan8560のブログ

gayasan8560のブログ

趣味の鉄道、街歩きネタを中心としたブログです。鉄道については、主に歴史的視点からの記事が多いです。

前回は、現在の世田谷通りにバス路線が開設されたのは、昭和初期に八木商会が始めたものが最初だったという「定説」を紹介しました。しかし、その定説が崩れかねない資料を最近みつけました。今回は、その資料を紹介していきます。

昭和8年に自動車交通事業法が施行されるまでは、バス事業は地方長官権限で比較的容易に認可(免許)が得られました。東京府内の路線であれば東京府が認可すれば良かったわけです。とはいえ、公道を利用する交通機関だったことから、具体的なバス路線開設にあたっては警視庁の許可が必須でした(注:戦前の警視庁は内務省管轄)。さらには、警視庁がバス路線開設の可否を判断するにあたり、意見照会を求める国の機関が1つありました。それは陸軍省です。

今回紹介する資料とは、警視庁が陸軍省に対してバス路線開設についての意見照会を行った際の資料です。

イメージ 1

今回紹介する資料は2つあります(上表参照)。一番目(営業線延長の件)は、大正8年に路線開設の申請が行われたものに対する文書です。申請された路線の内容をみると、渋谷から三軒茶屋を結ぶ路線のようです。車種のフォードとは有名なT型フォードのことでしょうか。
二番目(乗合自動車営業出願に関する件)は、大正9年に路線開設の申請が行われたものに対する文書です。こちらは、3つの路線(下図参照)を同時に申請しているのですが、その3番目の路線が、三軒茶屋から自動車隊(現在の農大前)までという、現在の世田谷通りを利用したものになっています。
こちらは、利用する車種は書類に記入されていませんが、車重、車幅、車長が一番目のものと同じなので、やはりT型フォードを使うものと考えられます。

イメージ 2

「乗合自動車営業出願に関する件」に添付されている路線図

一番目(大正8年の申請)は申請通りに許可されましたが、二番目(大正9年の申請)については、三軒茶屋から玉川(地蔵堂)までの路線しか開設が認められませんでした。残念ながら世田谷通りを利用した三軒茶屋~自動車隊までの路線は却下されてしまいました。
ここで気になるのは、一番目(大正8年)の文書名が「営業線延長の件」となっていることです。つまり、これは新規路線の申請ではなく既存路線の延長を申請していることになります。そして「既許可線府下荏原郡世田谷村字三軒茶屋ヨリ・・」となっていることから、既存路線は、その起終点のどちらかが三軒茶屋だったものと思われます。もし、この既存路線は三軒茶屋から黒駒街道(世田谷通り)を通る路線だったとしたら、大正8年時点で世田谷通りを通るバス路線が存在したことになります。ただし、残念ながら、この既存路線に関する情報は現時点では不明です。

ここで紹介した二つの文書からわかることを整理すると以下のようになります。

1)大正8年時点で、三軒茶屋を起終点のいずれかに持つバス路線が存在していた。
2)大正8年時点で、渋谷から三軒茶屋までのバス路線の開設が許可されている(実際に運行されたかどうかは不明)。
3)大正9年時点で、現在の世田谷通りを通る路線(三軒茶屋から自動車隊)の認可申請が行われたが却下されていた。
4)大正9年時点で、三軒茶屋から玉川までのバス路線の開設が許可されている(実際に運行されたかは不明)。

現時点では、定説(現在の玉川通り、世田谷通りを通るバス路線が開設されたのは昭和初期)を覆すまでの事実は発見できませんでしたが、大正8・9年という相当早い段階で、世田谷村を通るバス路線の計画が存在していたことがわかっただけでも大いなる収穫だったと思います。