運転免許証 | Bitter & Sweet~膠原病・プレドニン歴34年

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日々の記録と雑感などを気ままに…

誕生月・運転免許証更新のお知らせ




取得は昭和54年(1979年)8月29日だから33年になる
その間、無事故・無違反
若い頃はジムニー・ジムニーエイトやジープやランクルでオフロードに繰り出したものだが

 

弟と・夫は後ろの車の中
ちなみにこのジムニーSJ20F・1981年式はまだ現役で走っている





SLEや鬱病その他もろもろの病気を発症して、運転に影響のある薬を服用するようになってから
そして2003年に胸椎圧迫骨折をしてからは運転することはほとんどなくなった
ごくごくたまに家族で食事に行った時など、飲酒する夫や息子に代わって動かすことがある程度




私は高校卒業と同時に公務員と大学生の二足のわらじを履いた
茅ヶ崎からの通勤・通学だったので時間に余裕がなかった
・・・朝は東海道線で東京駅へ(約1時間)・大手町から地下鉄で霞が関の役所へ
仕事が終わると学校へ・学校が終わるとまた地下鉄を乗り継いで東京駅まで出て、東海道線で辻堂へ・・・

昭和54年は大学4年生になり、ほぼ卒論だけで少しばかり授業時間に余裕が出来た
学割を利用できる間に免許を取ろう!

まずは教習所選び
学校に近い高田馬場で「格安の」教習所を見つけた
この「格安」がクセモノ
いわゆる非公認の教習所だったのだ・これが!
のちのちトンデモナイコトだらけだ、ということが判明する

ここの責任者(元はテストドライバーだったのだとか)によると
自宅のある神奈川県よりも東京都の方が免許を取りやすいので
都内に知人か親戚があれば住民票を移すのがよろしかろう、と

都内の親類にお願いして住民票を移したはいいが
移した途端、どこでどう調べたか
私宛の心当たりのない電話や郵便物(DM)が届いたりしたのには辟易した

学科は高田馬場の事務所ですんなりと
技能教習になったら、ここが非公認の悲しさ
自前のコースはなく、あちらこちらの貸しコースを転々と
これがまた三鷹だ・武蔵境だ・横田だ・府中だ
職場からはそれほどでもないが、自宅からはとんでもなく遠い
2時間以上を要する

路上教習は教官の気の向くまま
貸コースの場所によって甲州街道・青梅街道・明治通り・白山通り等々
横田基地や東京競馬場の付近を走るのは面白かった

そしていよいよ仮免試験なのだが
おっそろしいことに
これ
警察でやるのだ!
つまり
公認の自動車学校を卒業すれば実技試験は免除され
学科試験に合格すれば免許証が発行されるが
非公認の自動車学校で教習を受けた場合
実技試験と学科試験の両方に合格しないと免許証は発行されない


行きましたよ・警視庁鮫洲運転免許試験場
学科は問題なくクリアしたが技能試験は散々なことに
隣に警察官が乗っているのだもの・緊張しまくり

教習所で乗っていた車はクラウンだったかな
シフトノブがステアリングホイールの近くにあるコラムシフト
こんなのタクシーでしか見たことない
試験場の車はフロアシフトで勝手が違って困った・困った

試験場を出て周囲を周回し、な~んも言われずに戻ってきた
な~んも言われないから合格したと思ったら
見事不合格!
警官 どこがいけなかったかわかりますか?
 (゚ペ)?
警官 あなたね、試験場から道路に出るとき一時停止しなかったでしょ。その時点でアウトでした 
警官 でも、乗って1分でおしまいでは気の毒なので、次回の下見も兼ねて一応走ってもらいました 
 (,,-_-)

その後も
交差点右折するのに左折する対向車と一緒に曲がったり
渋滞している交差点に突っ込んで前の車の左側に回りこんで待機したり
内掛けハンドルしたりで
なかなかOKが出なかったが、紆余曲折の末、晴れて合格
さて、早速運転しないと忘れちゃう
鉄は熱いうちに打て
そこで父に同乗してもらって練習開始

この父がまたトンデモナイ
制限速度で走っていれば「もっとスピード出せ」
「車間距離を詰めろ」「加速は素早く」
信号で停まって発進するときには
「隣の車に負けるな・吹かして待機しろ」
「右へ寄れ!」って言うから右に寄れば
「反対だ・こっちだ」
それって左なんですけど?
思っていることと言っていることが違う~
めちゃくちゃや~