ホームの対岸、線路脇の土手を覆う蔓草の葉が夜風に吹かれてゆらゆらと揺れている。全ての葉がこちらを向いて、それぞれにくらくらと。大きなモザイクが瞬間ごとに色を変えるその様は、涙を堪えているときの視界に似ていた。
黒と緑が交互に並ぶ裏側から、じっとこちらを伺う一対の目がある。夜闇に輝くそれはおそらく猫か狸の類だろう。轟音と共に駆け抜ける通過列車に驚きもせず、ひたむきにホームを睨み付けるその眼の先に、己が身があるのがなんだかむずがゆい。警戒しているのか威嚇なのか、すくんでいるのか、それとも、誰か待っているのか。忠実とは程遠い我が家の犬を思い出す。

向かいの席でぐったりとうなだれている女性の指にいくつも絆創膏が巻かれていた。緩く波打つ細い髪がカーテンのように横顔を覆い隠していて、何故だか、誠実そうだと思った。
髪が黒いからか。爪が短く透明だからか。房飾りのついた革のブーツに細かい襞の膝丈のスカート、これからどこへ行く、いや、帰るのか。終点に到着しても彼女は身動ぎ一つせず、薄いカーテンで顔を隠したままだった。
決して顔を見たかったわけではないのに、何度も振り返って彼女が目を覚まさないか見ていた。隣に座っていた男が親切にも揺り起こそうとしているのを見て、慌てて目を逸らしたのだ。

都会へと続く列車を道半ばに降りて、広々とした稲田の真ん中を貫く市道に導かれた先、私の学び舎は県境の山の中にある。
遮るものがあまりにもないために風はどこまでも吹き抜ける。散った木の葉を舞い上がらせ、さして大きくもない我が目にも、律儀に砂を放り込む。

生きている細胞の構造と機能は物理と化学の法則によって記述できる

(意見を述べよ)


微視的な観点から言えば、細胞の構造は物理や化学の法則に従っている。たんぱく質の構造は水素結合や疎水結合などで一元的に決定され、糖を酸化することで得たエネルギーを用いて様々な生体内の反応を支えている。細胞内では様々な化学反応が起こり、それらは酵素によって触媒され、反応量や反応時期は内外からのシグナルによって調節されている。

しかし、その構造と機能を維持するためにはあらかじめまとまった情報が保存されていなければならず、細胞の元となるアミノ酸や脂質、無機類などを無作為に混和し放置しても細胞は生まれない。

巨視的に見れば細胞は、無秩序へ向かう物理法則に逆らって複雑精緻な構造・機能を維持し、増殖してゆくように見える。


多細胞生物であることの利点があるとすればそれは何か。


単細胞生物は分裂速度が速く、短い時間の中でより多く自身の複製を残すことができる。その反面、環境の変化に弱く、また、細胞の大きさの限界から搭載できる機能に限界があるため、環境負荷に対する個体の耐性は低い。

多細胞生物は、多くの細胞のそれぞれに機能を割り振ることによって、より高度で安定な個体を作り出すことができる。例えば外皮となって体を守ることに特化した細胞や、消化酵素の産生を行う細胞、個体全体を動かす筋肉、それらを結びつける結合組織など、それぞれが役割を分担することによって、より外部からの影響に強くなり、様々な栄養源からエネルギーを得たり、より移動範囲が広がるといった利点がある。


”細胞内膜系のお陰で細胞が大きくなる進化が可能になった”という仮説について考えよ。




すべての細胞が共通の祖先細胞から進化したという根拠は何か。地球上の生命の進化の極初期を想像してみよ。原始の祖先細胞は最初にただ一度作られた細胞だろうか。


全ての細胞には共通の構造・機能がある。細胞を細胞足らしめるものとして「細胞膜に包まれ、たんぱく質を構造基盤とし、遺伝情報物質としてDNAを持つ」ことがあげられ、「遺伝情報はDNA→RNA→たんぱく質の順に伝えられる」という共通の機能を持つ。また、タンパク質を構成するアミノ酸は一部の例外を除いて限られた種類のものだけが用いられ、高エネルギー担体としてATPを選択している。

細菌から鳥類に至るまで、細胞の基本となる構造には類似する点が多く、しかもその類似点はその細胞の構造・機能を維持する上で重要なポイントである場合が多い。


僕はいつまでも独りでいるのだろうかと星を見上げながらぽつりと呟いた。つまらないことを言う。指先が震えてしかたないのは、身を切るような寒さの中、じっと天を仰いでばかりいるからだ。北極星を頂に据えるためには北極点に立たなければならない。自分が地軸の一部になって、丸い独楽が回るのを想像するに、そうやって星の一部になれたなら孤独を感じずにすむだろうにと寂しい想像をした。

 いつも独りでいるのはつらい、と、よだかは僕の頭の上でなく。いつも独りであったなら君はここにはいないだろうと僕は答える。返答を求めていなかったよだかは裂けた口をぎゅうと噤んで、無言で僕に訴える。よだかには母と父が居て、それらはやはりよだかで、彼らは寄り添ったからこそ今の孤独なよだかを生み出したのだと、よだかはちゃんと知っている。「私は孤独であるけれど、それは結局自らが独りでいることを選択したに過ぎない」よだかのなき声はまったくもって、今僕の在るままと同じである。

 独りが嫌ならば、独りを辞めればいい。独りにならないためには、他者と向き合わなければならない。そこに生じるのが好意だけとは限らないから、摩擦を厭うて背を向けて、独りの世界に逃げ込んでいるだけなのだ。自らと同じ物なのに、僕という個人を受け入れてもらえない、ならば、そのちくちくざらざらとした世界の中に、居続けることに幸福を見出すことはできない。

 さて、自らと同じとは何か。「同じ言葉を使って、意思の疎通ができる社会のこと」はぐれ蝙蝠がきいきいと、聞き取りにくい音で鳴く。例えば人間なら、孤独を与えるのは言葉だろう。自分の思いを伝えられない、理解してもらえない。そのときにこそ、伝えるための努力ができるか否か。「独りでいるのは、能力の欠如か」「逆に、選び取ることもできる」

 独りでいると言うと、お前の生活は誰が支えているのだと栗鼠が問うた。衣食住を支えるは、名も知らぬ誰かの働きのお陰だと言う。支えられているから孤独なのではなく、誰も支えないから孤独なのだ。余計な知恵がついた僕はただ生きていくために生きることができない。さりとて鼻先に他者を据えてこころを探りあうような、氷を呑むような瞬間に立ち向かう勇気もない。

 僕には、相手に差し出せるような、幸福なこころを持っていないのだ。

だから「同じ言葉を使って、意志の疎通ができる社会」を一足飛びに跳び越して、いっそ世界そのものになれたらいいと願っている。暖かい春や、星の自転、芽吹く緑、そういったものになってしまえたらいいのにと。そのような概念に人格を与えることすら驕りだと楡の木が揺れる。枝には懸巣。見上げる空は幸福などない虚い風ばかり吹いているのだけれど、震える力すらなくなった指先が、じんわりと柔らかな土に沈んでいくのを感じたので、僕はもうすっかり安らいだ気持ちになって、夜闇に見えるはずもない輝く懸巣の瑠璃色の羽を幻視した。