最後の生き証人 | ロバ耳ブログ 

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 目がやられて、パイナップルを薬代わりに摂取しています。飛蚊症とか、確実に効果ありですよ。ブルベリーと合わせて食べると、もっと良いかも。もうガツガツ食べる必要も無いから、果物とか魚や野菜で十分。包丁捌きも上手くなって、隠居体制バッチリです。

いや、まだ隠居するとかは無いです。しかしこの状況はきつい。運送業が崩壊したら、その後で戻りたいですよ。トラックってねえ、今みたいに長時間で低賃金じゃない頃は、凄く良い仕事だったんですよ。気楽に出来ますからねえ。

一般に、ブルーカラーとホワイトカラーなんて言われて、作業服組とスーツ組に分けられるでしょう。スーツで営業もやった頃があったけど、ホワイトカラーって、時間はもちろん、頭を取られるでしょう。客の世話や受発注、営業成績とか社内の人間関係。こんな事で脳を取られるのが苦痛で苦痛で、それでブルーカラーの仕事の方が好きなんですよ。


 例えば40年、会社の利益や家族の為に働いて来た。来る日も来る日も売り上げや、休みも返上で接客もやる。そんな調子で、気がついたら、40年間、会社生活しか記憶が無い。これじゃあ浦島太郎ですよ。身体も脳も提供して、その分だけホワイトカラーの方が給料が高い。酷な選択です。

今はもっと残酷で、ホワイトカラーの給料も高くない。そしてより不安定化している。誰も得をしない。ただ銀行家と株主と、それに付き従って奴隷制社会を支える経営者と政治家、役人だけが繁栄する。気づかなければ永遠に、気づいたところで、いつまで続くかわからない社会。

ここに付き従った結果、究極の形になったのが先の二つの世界大戦。歴史学的には、これは二つの戦争では無く、一つの世界戦争と捉えます。第一次と第二次の間の期間を、歴史学では戦間期と呼び、次の戦争への準備期間として捉えられています。

義務教育では、この様な教え方はされないでしょうね。世界大戦って、天下統一を各国が目指した、日本の戦国時代の様に捉えられているのでは無いでしょう。全然違うんでね。



 96歳のシベリア抑留兵。凍傷で両足を切除したお爺さんの話が760万再生もされていました。二十歳で終戦を迎え、そのまま奴隷になる。多くはシベリアで鉄道作りに駆り出され、一部は周辺国に引き渡される。このお爺さんは、モンゴルに連れて行かれます。そこで、多くの建築物やインフラ整備に従事する。

お爺さんは凍傷にかかり、瀕死の状態で足を切断して一命を取り留める。自分が生きているのか死んでいるのかも分からない状態で、足をノコで切り落とす痛みで、辛うじて生きてると思ったそうです。麻酔も部分麻酔が少しあった程度だったのだとか。

それで、何が辛いかって、下の世話から何から、自分では何も出来ないんですって。それを、同じ兵士だった仲間にやってもらう。しかし、その病棟に居る兵士たちも、結核とか患う病人です。やがて一人二人と死んで行ったそうです。


 モンゴルには、今も首都の主要建築物が日本製として残っています。立派な建物で、綺麗に維持管理もされています。大学や劇場、役所の建物も日本人が奴隷になって作りました。その大学生だったモンゴル人の女性が、その事を調査して、それが中共テレビで放送されたようです。
日本人じゃなくて、モンゴル人の方から積極的にシベリア抑留について調査される。ここが今の日本人の嘆かわしい現状でしょうね。


 このお爺さんは、その取材同行を最後に、モンゴルの仲間への墓参りを終わりにしていました。日本政府は、外で散っていった兵士たちを弔おうともしませんよ。上皇陛下くらいです、それに手を合わせに行ったのは。明治に限った話じゃないけど、将軍職がトップで日本は長くやって来たので、足軽の損失は気にも留めないのでしょうね。ちょっと寂しいけど、武士の世界って、こんなものですよ。


お爺さんたち元兵士らも、帰還して来て、おそらく多くを語らないのでしょう。負けた戦争だから尚の事です。それでも、記憶の遺産として。動画にも幾つも上がって来ているので、それが救いです。


 私の母も父も、大陸からギリギリで帰って来ました。母の方はまだ安全でしたが、父の帰って来た道は、なかなか大変だったそうです。終戦前後の話は、聞かないと絶対に話さない。話たくなかったのでしょうね。列車に凄い人数が押しかけて、食べるものも飲むものもない状態で逃げ帰って来たと言っていました。父は香港では金持ちだったので、高台の家から街が爆撃される様子を見ていたと言っていましたよ。当時小学一年生。


 生きていれば86歳?くらいですか。もうしっかり記憶が残る世代は、90半ばとか100歳ですね。彼らが消えて、本当に記憶が失われた時、私たちはまた、同じ事を繰り返さないで居られるのでしょうか。居られると良いですね。


760万再生は、お爺さんたちが、何度も何度もその動画を繰り返し見ている様な気がします。