だから、日本の猫は特別なのだ | ロバ耳ブログ 

ロバ耳ブログ 

王様の耳はロバの耳


 真田広之、海外でめちゃくちゃモテていますねえ。こんなダンディーでしたっけ。こりゃ男が見ても惚れるわ(笑)

 ディズニーのドラマ枠で、制作はハリウッド、この「SYOUGUN」(将軍)ってのが大ヒット中です。歴史小説の内容を、忠実に映像化したと評判が良くて、海外では社会現象になっているのだとか。外国人の小説かな?


いよいよアニメ枠を飛び越えて、実写映画でも日本が評価される時代になりましたね。日本ブームは、まだ始まったばかりです。


 私は日本のドラマも映画も、作為的なので見ない派です。誰かの余計な作為が入り難いアニメの方が、良いと思っています。アニメ作品でも、実写化して台無しになった例がありましたよね。それで作家が自殺してしまうって結末になったやつとか。


そう言った事が起きるから嫌なんです。そしてそれは、最近のアメリカでも顕著化していて、ハリウッドもディズニーも、作為まみれの作品だらけで、皆んな離れてしまってます。


そのような中、ハリウッドに残った最後の良心で、原作に出来るだけ忠実な作品が作られた。それが将軍です。アメリカでは珍しく、日本人役は日本人がやって、黒人もレズもゲイも出て来ません。それも人気の一つです。無理矢理な、ねじ込み方は誰だって嫌ですよ。



 時代は戦国末期か江戸。漂着した白人と、当時の日本人との文化摩擦がテーマのようです。その表現からストーリーから、とにかく大きな評価が得られています。我々から見たら、そんなに新しい感じは無い様な気もするけど、日本の俳優人たちは、国内でやるよりも、ずっと伸び伸びと、自分の表現を活かせているのかも知れませんね。日本もアメリカも共に、ある意味で、同じ鬱屈から解放された様な作品になって、それで良い物になった、のかもしれない。

にしても、真田、良い男だなあ。こんな男だったっけ。日本人がモテるのは嬉しいなあ。



 アメリカって、なんでも実写化したがりますよねえ。日本だと、ヒットしてもアニメはアニメ。それを実写にしようって発想はありません。最近は、幾つか、その様な作品はありますけど、だいたい売れませんよ。求められてないし。


じゃあ、なんでアメリカ人は、やたらと実写で売るたがるのか。


 おそらく答えはこうです。アニメは、紙芝居や影絵の延長。つまり子供向け。一方で、実写の映画やドラマは、舞台や演劇の延長なんですよ。昔から格式がある。日本でも同じ感覚だったはずが、手塚治虫くらいから、子供が見ても分からない様な哲学要素をぶっ込んで来たでしょう。それでアニメが、その中間くらいの別のジャンルに発展する。

ときわ荘、残せなかったけど、ここに集まった面々は、高度成長で取り残された日本人の、ある意味で象徴的な人たちでした。


日本のアニメや漫画が、娯楽や紙芝居から、社会に対する問いかけに変わって行ったわけです。


そして、誰からも目を付けれる事も無く、道化として水面化で世界に広がって行った。これを、道化でやって来た大人が、表の社会に顔を出すには、長い長い時間が掛かってしまった。でもそれが、ようやく浮上して来ました。ゴジラはまだ娯楽要素を残していますが、将軍は、ある意味で本当の舞台に出て来た作品だと言えます。観てないけど(苦笑)



 鳥山明が亡くなって、再びドラゴンボールも注目されています。この作品の最終章では、ほとんど神話の世界になっています。子供向けじゃ無ければ、この作品が、ここまで世界に広がる事は無かったでしょう。他の宗教を敵に回してしまいますから。しかし、これも道化で、最終的には、世界中に自由な発想のあり方を指し示しています。人類を拘束しようとする神々から、人々を解放する守護神に、鳥山明はなったのかも知れませんね。



 これから日本は恐らく、もっと困難な時代に突入します。北海道と沖縄を失うかも知れない。しかし、今の世界を見て、そして、最近に注目し始めた日本の古代史を見て、もしかしたら、日本って、案外と耐えるかも知れない、って気がして来ました。昨年末に、中東の二つの海峡が封鎖に危機を迎えたでしょう。あれも、今までの常識や経緯から言えば、本当に戦争が拡大して、もうとっくに世界危機になっていても不思議は無いんですよ。

幾人かが、大袈裟に騒いでいたと、今だから言えるだけで、本当に石油が止まる事態になっても不思議は無かった。今もその危機の延長線上ですけどね。


だけど、そうなってません。それを止める力が存在しています。



 日本では、何故かテロが起きないと言われていますよね。ヨーロッパでは、何回もイスラムのテロが起きています。日本の神社を中心にした国のシステムが機能すれば、どんな神様がやって来ても、社会は守られるのでは無いか。ルシフェルだろうがサタンだろうがアッラーだろうが・・・。
っと言ふか、もう既にそれらはやって来ており、神社の奥深いところに祀られているのでは?

例えばアッラーは、アメノミナカヌシと同一視しても良さそうな存在で、既に日本人は、遥か昔から、そんな神と折り合いをつけて生活しているわけです。神社の“内側”にいる限り、そこまで戒律に縛られる事がない。これが共有できて、彼らも日本という世界を守る側になってくれたら、余計な摩擦は避けられる。


問題は、これを共有する為には、同じ言語で、同じ勉強をして、同じ文化の中で生きなければならない事。移民の入る量が、それを超えたら、中から破壊されてしまいます。



 おそらく、移民たちにとっても、神社のシステムは居心地が良いはずなんです。何故なら戒律が緩くなるから。神社の“内側“では、人間のああしろ、こうしろと命令して来るのは、人間だけです。日本の神様で、人間に何かしろって命じて来る神様は居ないでしょう。あくまでも、人に命じて来るのは人。人の決めた事なら、人が変える事も出来る。



戒律が無い分、世間や先輩の小言が煩わしい。そう言った悩みしかないので、日本では、人である釈迦の考えが広がって行ったのでしょう。



 日本人が、何故か異常に猫が好きで、野良猫でも悠々自適に暮らしている。これが海外には奇異に見える様で、「日本の野良猫が、俺より良い物を食っていそうで辛い!」なんてコメントも出て来ます。


おそらく、神が支配的な世界では、人間も動物も戒律の中で生きる事になる。自由じゃ無いんですよ。神、人間、動物、の序列になってます。



 明治になって、始めてフリーの概念が西洋から入って来て、多くの日本人は戸惑います。戒律が無い世界にいるので、自由の意味が分からなかったのでしょう。そして、仏語の自由を当てて、何とか理解しようとします。しかし、自由と得て勝手の区別がつかない。これは、現代でも同じだと思いますよ。自由が当たり前の世界と、不自由が当たり前の世界。どちらも、何が自由で何が不自由なのかも分からない。権利だ何だともがく割には、対立しか生まない事になる。


この対立こそが真理で、対立で人類は発展したと考えるのが共産主義。だけど、彼ら自身が、じゃあ、何の為に人類は発展するのか、その答えを出せていない。出せるわけがない。




 戒律は無くなっても、人の世の煩わしさは無くならない。だけど、その中にあって、誰からも文句を言われない猫の存在は、ある意味で理想なんですよね。日本の猫が、海外の人から見て、何処か違って見えるのは、私たちの接し方がこの様な観点から違っている、からだと思いますよ。


そして、日本が次々に文化コンテンツを世に送り出しているのは、ここがもともと、彼らが、特に欧州の白人たちが、求めて止まない自由が存在する社会だからでしょう。平安時代には、世界最古の小説が書かれていたくらいですからね。



 実は、世界がもう少しで、神社のシステムを理解するかも知れないって思えるのが、インターネットの存在。これって、インって付いてますけど、実は外の世界に出て行くのと同じです。言わば、神社に参拝に行く様な事になっているんですよ。

インターネットに接続する事は、危険な領域に行ってしまう事でもあるので、子供には注意が必要ですよね。この環境が、神社のシステムと同じ効果を、世界中に巻き起こしている、かも知れない。



そう考えると、今は静かに見えない何かが、確実に世界を良い方向に引っ張っている・・・のか・・・。



古代エジプト人は猫好きだった。神社のシステムは、猫繋がりで、古代エジプトと同じシステムなのかも知れない。海外の人が、猫をどう扱い出すか、これからは、ここに注目ですね(笑)