幕末の志士の中で最も人気があるのは龍馬でしょうね。おりょうさんは、その龍馬の奥さんになります。維新の功労者の奥さんなのですが、龍馬が暗殺されて、維新後の彼女の生活は順風どころか、かなり厳しいもののようでした。

 

おりょうさんを書いた本では、少し前に植松三十里さんが書かれた「お龍」を読んでいます。2008年3月発行。今回の本は2016年8月発行なので、少し後に書かれた本になります。

 

 

 

  植松さんのおりょうさんとは違いを見せます

 

冒頭から植松三十里さんが書かれたおりょうさんとは、かなりの違いを描かれています。それと、おりょうさんと出会った頃の龍馬にしても、違った描き方です。ちょっと驚きだし、冒頭の「つかみ」としては上々だなぁ~

 

恐らく数少ない資料を元の作家さんが想像を拡げて書かれているのでしょう。後発の門井さんにすると、違う切り口から攻められたのでしょう。

 

 

 

物語の始まりの頃のおりょうさんのお好みは、龍馬ではなく、北添佶麿(きつま)なのです。彼は土佐でも実家は庄屋で裕福。蝦夷地の開拓から朝鮮半島に進出と発想が雄大です。これがおりょうさんのお好みです。

 

それに対して、出会った頃の龍馬に対する印象は、数多い志士の中でも「最も見込みのない男」という評価だと言うのです。おりょうさんから見ると、龍馬は坊ちゃん、坊ちゃんしていて頼りないと見えたらしいです。今までの歴史小説を覆す新説ですね。

 

龍馬の評価って不思議ですね。維新後の評価は高くなく、日露戦争海戦直前に明治天皇の皇后さんの夢枕に坂本龍馬が立ったという話が広まって→有名になったと言います。これには、当時の軍部(海軍)が、日本国の近代海軍を神格化させるようにと、軍部が戦意高揚の為に引っ張り出したというのがあるようです。

 

おりょうさんの事は晩年になってから取材を受けていて、それが元になっているよう(植松さんの本にもこの門井さんの本にも登場する)です。しかし、年齢を重ねて晩年には、生活にも貧窮されていたようですし、陸奥宗光などには怒りもお持ちだったようなので、取材の時にいくらか誇張されているかも知れないですね。

 

 

  おりょうさんは「下げる女」?

 

門井さんはおりょうさんを描くのに、「下げる女」っていう言葉を何度か登場させておられます。彼女が龍馬の活躍にマイナス要因だったのでは?という切り口です。

 

彼女が神戸の操練所で大演説をぶつシーンが有ります。自分がいかに志士の連中の事を良く知っているか、を自慢したのです。しかし、幕府の冠者が居て、それが漏れます。結果、勝海舟は罷免され、操練所は解散させられます。

 

この事は一見、龍馬にすると「余計な事をしてくれた」となって「下げる女」という事になるかと思います。ただ、残党の多くは薩摩藩が抱える事になり、引いては後の亀山社中や海援隊につながる事になります。その後の歴史上の必然の出来事だったのかも知れません。

 

しかし、おりょうさんは自分の軽率な言動が龍馬に迷惑をかけて、自分は「下げる女」では?と考えます。

 

 

  やっぱり龍馬はすごい人

 

 

しかし、やっぱり龍馬は龍馬です。当初はおりょうさんをして

この人は、うちがおらんかったら一日かて生きてられへん。

と、自分が居なくては、と考えていた龍馬がやがて変わってきます。

転機になったのは、

 

きっかけは神戸の操練所がつぶれたことだろうか。あるいは勝海舟が失脚して、江戸に逼塞(ひっそく)したことだろうか。龍馬は急に一人前になった。幕府という飼い主の手を離れた猛犬になった。

そして薩長連合や大政奉還と歴史の大きな流れをつくる人物になっていくのです。

おりょうの龍馬は天下の龍馬になってしまった。

「うちの」

口に出してみた

「うちの亭主が変えた」

と私達が知っている龍馬が登場します。しかし、おりょうさんに取っては、傍にいてくれる時間はほとんどなく、寂しい思いもあります。

 

 

 

  維新後は生活困窮 陸奥宗光に無心も

 

維新後はすごく金銭的に苦労されます。困窮して外相などを務めた陸奥宗光を訪ねます。陸奥は海援隊時代に龍馬が「おりょうのことを頼む」とまで言われている人物なのですが、彼の言葉が長く使われています。おそらく、取材を受けた時に、恨み節を長く話したのでしょうね。

 

陸奥は幼い自分の子供たちの前で、当座の生活費を無心に来たおりょうさんに演説します。

 

「皆の衆」

と宗光はあくまでも体をうしろに向けている。

「わしはつねづね言い聞かせておるぞ、人間はいつか本性に返ると。(金の無心に来たおりょうに対して)いっときは身にあまる幸福を享受していても、いずれかならず、その器量にふさわしい境涯におちつくのじゃ。ただ、坂本先生の囲い者(陸奥は正妻と認めていない)というだけで若いわしらに酒を買いに行かせ、炭をおこさせ、雑巾がけをさせたあげく感謝どころか悪口雑言ばかり吐き垂れておった驕慢の者が、いまどうなっておるのか。

まぁよほど陸奥には腹が立っていたのでしょう。植松さんが書かれたお龍でも思いましたが、当時の「家」制度や「子」が居ない女性の立場の低さです。

 

 

  門井さんの本、他にも読んでました

 

門井さんの本、他にも読んでました。宮沢賢治の父親のお話と、ヴォーリスさんのお話です。