第3次怪獣ブームと「宇宙船」前夜 | ヤマダ・マサミ ART&WORK 検:ヤマダマサミ

ヤマダ・マサミ ART&WORK 検:ヤマダマサミ

主に仕事に関わる、特撮、怪獣がらみのブログです。
ときどき、猫が登場します。

第3次怪獣ブームと「宇宙船」前夜

映画リレーの企画で遠い過去を振り返ってみて、昭和は、映画と映画館に本当に、お世話になりました。

最近の映画館は綺麗すぎて、逆説的にに昔の風景が浮かぶんですよ。アイスクリームやアイスキャンディの売り子が上映中回って来るなんて、いまの若い人は知らないでしょう。あれ、食べ残しを足下に捨てる人がいて、靴の裏がベタベタで床にひっつくんですよね。

ドアを開けるとトイレの臭いが入ってきました。イスからバネが飛び出ていたし、座席が壊れて取れたままだったり。

緑の非常口ライトボックスもないから映像が出るまでいったん真っ暗になりましたよね。それらはすべて懐かしい思い出です。

映画館はイベント。お祭です。休み明けのクラスの話題です。東宝チャンピオンまつりへ行くか東映まんがまつりに行くか、みんな真剣に悩んだものでした。

中学生になると1人で大人の映画を観るようになって専門の雑誌も買って俳優やスタッフの名前を覚えます。好みの作品分野を研究していく人も居ました。

しかし、特撮映画は特殊なものではありません。なんせ子供が観るわけですから難しい話でない。昔は若大将もゴジラも子供からお年寄りまで大人気でした。

映画リレーのおさらいでぼくの10本を時系列に並べてみます。

 

2 65年「ガリバーの宇宙旅行」品川公会堂 4歳

10 66年「大怪獣決闘ガメラ対バルゴン」 5歳

8 67年「長篇怪獣映画ウルトラマン」 6歳

4 68年「ケロヨンの冒険」東横劇場 7歳

3 70年「恐竜グワンジ」荏原オデヲン座 9歳

5 72年「仮面ライダー対ショッカー」渋谷東映 11歳

6 73年「マジンガーZ対デビルマン」武蔵小山東映 12歳

7 74年「エクソシスト」新宿ピカデリー 13歳

9 78年「さらば宇宙戦艦ヤマト」 17歳

1 79年「ゴジラ」日劇 18歳

 

そう偏った嗜好とは思っていません。特撮とアニメばかりなのはそういう時代でしたから。同世代ならだいぶ重なるでしょう。

好きなものはもっと好きになります。ただ、怪獣は年齢によって卒業があります。

ぼくは、最初が小学校へ入って親に言われて。次に中学の受験を控えては自粛で、中学前半は思春期でさすがに怪獣でもないだろと、ハリウッドの映画に惹かれました。

でもまた怪獣やヒーローの虜になります。それからずっとです。もうこの歳になるとそのまま行っちゃうでしょう。

ぼくが唐突に書く最近のテーマは自分史であり、それに重なるオタク元年と言ったら良いのか。専門誌が出るあたりがもっとも熱かった。

何度も何度も振り返るうちに、いつか重要な意味が出て来るかもしれません。おかげで、聖咲奇さんとの対談に辿り着きましたし。

老いの域に来ると、誰しも、時間よ止まれ! 未来よ、来ちゃダメ! って思うじゃないですか。ぼくは来年、還暦です。これから未来の部分なんて全体の4分の1あるかないかです。それ以上あったら宝くじみたいなもの。

でもその前に、未来を迎えるにあたって老いと戦ってくれる力が、過去にひしめいている気がします。過去を掘り出すのは進歩のない事とはまったく違います。

自分が生きた証は自分で書くしかありません。その中で、もし、同じ体験をした人が1人でも居てくれたら、その人と共有した喜びにもなります。

 

1978年。子供向けでない怪獣の本が出ました。大事件でした。

朝日ソノラマのファンタスティックコレクションシリーズの刊行。

その少し前、再放送で火が付いた「宇宙戦艦ヤマト」のブームで徳間書店からロマンアルバムシリーズや月刊誌「アニメージュ」が先に出ていたので、特撮もついに! と小躍りでしました。

「空想特撮映像の世界 ウルトラマン╱ウルトラセブン╱ウルトラQ」

「特撮映像の巨星 ゴジラ」

本屋で見つけた時の歓喜! つい昨日のように覚えています。どちらも学校の帰りの駅前の書店で見つけました。ボロボロになるまで愛読しました。

高校生には児童誌を買うのは恥ずかしい。弟の分! みたいな顔をして、紐閉じのテレマガ、テレラン、てれびくんのどれかを選んで、プロレス雑誌と一緒にカウンターへ持っていきました。

ファンコレもちょっと恥ずかしいんですが、そんなこと言ってられません。大事件だったので。

 

もう1つの事件は、東宝レコードから出たオリジナル・サウンドトラックシリーズ「ゴジラ」「SF映画の世界」シリーズです。

秋葉の石丸電気レコード館はそのときから聖地でした。

人生を変えましたね~。頭の中、チャンピオンまつりのテーマ曲(宇宙大戦争マーチ)が鳴り止まない。

中2の時に「メカゴジラの逆襲」を見終わった劇場前で、あまりにやるせなくて渋谷の駅前のデパートをはしごして、子供の時に買ったソノシートでゴジラのサントラめいたものが出てないか捜しました。洋画はサントラがあるのに、と失意が続きました。いや、たった3年ですが、待ちに待ったんです。

78年は、さらにもう1つの事件がありました。成人雑誌「GORO」にあった大人向けのウルトラマン特集。その巻末に、特撮の同人誌が紹介されているではありませんか! 感動と共にショックでした。畏れ多くて、手も足も出ない。ぼくが指を咥えた理由は、ファンとして専門的な事は右も左も知らない身分だったからです。

3年前のテレビドラマ「怪獣倶楽部~空想特撮青春記~」でモデルにされたみなんさんの同人誌、「怪獣倶楽部」「PUFF」「衝撃波Q」の3誌。ファンコレや東宝レコードは彼らの仕事でした。

79年は3度目の怪獣ブームが始まっていました。完全に回顧ブームでした。

春に「実相寺昭雄監督作品 ウルトラマン」。夏にゴジラ生誕25周年を祝った「ゴジラ映画大全集」が日劇で22日に亘って開催された。しかも早朝フジテレビは「ウルトラQ」の放送。連日の満員とお祭騒ぎ。あんな楽しい時間は二度とないと思います。

80年。朝日ソノラマが「まんが少年別冊 すばらしき特撮映像の世界」のヒットによって、いよいよ、ビジュアルSF世代の雑誌・季刊「宇宙船」が創刊しました。

同人誌活動を始めていたので、すぐ「宇宙船」に告知を出しました。会員募集、同人誌購読、上映会のお知らせです。

あるとき電話が来ます。

「宇宙船の聖です」

えええ-。聖咲奇さん? 

その1本の電話が人生を変えた事は間違いありません。さっそく聖さんと会います。そこから40年のおつきあいが始まったんですね。

「宇宙船」の割り振りは、日本物・和物は安井尚志さんと金田益実さんが担当、洋物と読者欄を聖咲奇さんと雨宮潤さんが担当。

聖さんは積極的に素人のみんなに意見をしてくれ、またぼくらの意見を聞いてくれ、同人誌の会合にも来てくれました。一世代、上だから、とても信頼出来ました。聖さんもぼくらを弟分として接してくれます。

アマチュア特撮の作家たちも聖さんは応援していました。それを集めて上映したら面白いですよね、と言うと、おい、やるなら、応援してやるぞ、となりました。

同人メンバーに加えて、永島治くんが加わりました。かれはこのあと1回目の特撮大会、そしてゴジラ復活委員会を主宰します。

トントン拍子で、80年の夏は「アマチュア8㎜特撮大会」の開催です。

一瀬隆重さんの「ウルトラQ№29 闇が来る」「赤い部屋」や、河崎実さんの「√ウルトラセブン」「大怪獣フウト」、中島志津夫さんの「ゴジラ対狼男」など、多彩なタイトルが集まった3日間のイベントです。1年後の特撮大会に繋がりました。

「ウルトラマン80」の年でした。何度も現場へ行きました。ゲストに佐川和夫さんが来てくれたのは「80」の現場でダメ元でお願いしたら快諾してくれたんです。

最初、同人誌を出すので、円谷プロへ挨拶しに行った際に、営業の梅本さんから竹内博さんを紹介され、さらに、現場でも見て行ったらと奨められました。

特撮は面白いなぁと思っていたら、国際放映で「黄土の嵐」の特撮のバイトを1ヶ月する機会に恵まれて通いました。泥と石膏まみれの毎日になりました。

同人誌は波に乗って、購読会員を含めて200人を突破。

 

あるとき聖さんが竹橋へ行こうと誘ってくれて、最初はなんの事だか分からないでただ着いていったら「てれびくん」編集部です。

ソノラマのある銀座からバスで出ます。その頃の「てれびくん」編集部は、小学館本社から離れた竹橋の、小さな雑居ビルにありました。「GORO」編集部と同じ部屋。なるほど「GORO」のウルトラマン特集は、この距離で生まれたのか。

そこで聖さんが、安井尚志さんを紹介してくれました。

安井さんとの話は何度も書いています。ライター業の師匠です。安井さんにずいぶん可愛がってもらい、大喧嘩をし、また仲良くなって肩を組んで帰りました。

竹内博(酒井敏夫)さんはカリスマでした。近寄りがたいのに近寄りたい、心のよりどころでした。頂上があの人で良かった、と今でも思います。

そして聖さんは、ファンの在り方や可能性を教えてくれました。この3人が80年の怪獣(回顧)ブームの中心に居たと思います。ぼくには懐かしく、恩のある人たちです。

そんな話を、聖さんのユーチューブに呼ばれて話題にしました。

送り手の聖さん、受け手のぼくら、そこから現在が始まりました。「宇宙船」創刊前夜。

1回でとうてい終わりません。次のゲストも決まりました。7月です。「宇宙船」創刊の話を伺うつもりです。みんなも久しぶりに「宇宙船」を本棚から引っ張り出してあの熱い時代を想いだして下さい。

 

 

ご試聴よろしくお願いします。

Saquix's CAFE vol.2 聖咲奇 大放談! わが青春の「宇宙船」へ

https://www.youtube.com/watch?v=U-QOlhtAlvE&fbclid=IwAR3Qb1_kfSy3ajZuup5xo4zv9-kJ8d878s5VEnwF4NALgMxdRq4sG8wLPZU

 

つづきは来月。いよいよ「宇宙船」創刊の話をしてもらいます。

特別ゲストは、「宇宙船」読者から始まったあの人です! 

 

初回集録分はこっち。

Saquix's CAFE vol.1 聖咲奇 大放談

https://www.youtube.com/watch?v=XbnA300yS8o&feature=youtu.be&t=374&fbclid=IwAR2B-8PXIpM74fRWuh_6AryEdfsW2fHjFMJ_vDIZ9S-XnGCCCKt6oQcLr7E

 

ワルキューレチャンネル登録も、よろしくお願いします。

 

 

 

【関連記事】

3回目の怪獣ブーム(その1)

https://ameblo.jp/gara999/entry-12418795404.html

3回目の怪獣ブーム(その2)

https://ameblo.jp/gara999/entry-12418797754.html

3回目の怪獣ブーム(その3)

https://ameblo.jp/gara999/entry-12418800802.html

 

 

【画像】

 

・長髪時代、ヒッピーのようだった40年前と現在の聖咲奇。ソファが腰を吸い付けるので、聖さん、こじんまりとしちゃいましたが、まだまだ熱情は変わらない。この人は、若い! 

 

 

・聖さんが本名の竹田啓作で出した、お父さん、おじいさんの仕事「京都繁華街の映画看板 タケマツ画房の仕事」。親孝行されましたね。

その関連記事を捜していたら、聖さんの実弟の章作さんを発見。そっくりです。リンク先を見て下さい。

http://toyfilm-museum.jp/news/infomation/2782.html

 

もちろん、「ゴジラ」も描いています。

 

 

・80年、お茶の水のマンモス喫茶「丘」でやっていた同人誌の会合に、西條康彦さんと聖咲奇さんが来てくれました。ぼくはカメラマンだったので、卒業式のアルバムの○囲みみたいです。夢にあふれた時代でした。同窓会代わり。この写真は故人を偲ぶよすがでもあります。

 

 

 

関連記事<3回目の怪獣ブーム>用にまとめた画像を転用しました。