3回目の怪獣ブーム(その3) | ヤマダ・マサミ ART&WORK 検:ヤマダマサミ

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3回目の怪獣ブーム(その3)

ゴジラ復活がときおり話題になるのは、新聞記事に出るからでした。ゴジラともなると社会性が出るんですね。

ちょうどゴジラ誕生から25年目が79年に当たりました。

いま手元にまったく残っていませんけど「少年ジャンプ」の巻頭に東宝怪獣のカードがあり、またガムのおまけにやはり東宝怪獣のカードとシールが入っていて、ぼくは「ワールドスタンプ」は途中でパスしたんですけど、これは集めました。

そもそも中高時代は思春期で、本屋で「テレビマガジン」は堂々と買えません。玩具屋へも入るのもこっそりです。

こっそりしなくなるのはファンコレとレコードのおかげです。

ファンコレが作品に特化した手引きとしたら、特撮全体の手引きとなる2冊が、この79年に店頭に並びます。

「大特撮」(有文社79年1月31日発行)と「月刊マンガ少年別冊 すばらしき特撮映像の世界」(朝日ソノラマ 79年6月15日発行)です。

「大特撮」は、関西の特撮ファングループ・コロッサスがまとめた日本特撮史で、その年、本多猪四郎監督にお会いした際に、序文を寄せたからというわけでなく、ずいぶん褒め称えていました。

「すばらしき特撮映像の世界」は安井さんと竹内さん、そして聖咲奇さんが中心でした。

面白かったのは、かつて大伴昌司がつくった「世界怪物怪獣大全集」(キネマ旬報 67年5月15日発行)のオマージュで座談会が構成されています。司会は竹内さんで師匠大伴昌司への想いが伝わってきます。

「すばらしき特撮映像の世界」のスタッフがそのまま、長く続く専門誌「宇宙船」としてに姿を変えたのが80年。

「宇宙船」を日本特撮の専門誌にしなかったのは編集長の村山実さんのバランス感覚でしょう。

たしかに当時は日本の特撮を凌駕する最新のハリウッド特撮(少し後にSFXと呼ばれる)の情報に眼を見張りました。

新作のみならず、聖さんが固執した50年代の歴史的な雰囲気のSF映画の紹介も楽しめました。海外の映画ファンの紹介も聖さんです。

誌面にファンを参加させた事で「宇宙船」の裾野が屈強になりました。

執筆者も元はファンですから、聖さんは率先して境界線を外してファンメイドの絵や模型を紹介し、時に連絡をとって誌面に反映させました。

ぼくが同人誌の紹介を送った際も、直に聖さんから連絡が来て愕きました。おれの船に乗れよ的な感じです。カッコイイでしたね。

同人誌に始まって「宇宙船」で紹介されたアマチュア8ミリ作家の作品を一挙に上映会出来たのは、聖さんの力添えあってでした。

第3次怪獣ブームの火つけは、そのように、竹内さんと安井さんら怪獣倶楽部の面々の力量が大きいのです。

79年、と断定は出来ないんですが、赤井さんが故郷へ戻ってしまうため、講談社のゴジラ関係を安井さんたちがグループ有翼人と名乗ってやります。有翼人は香山滋の小説に出てくるもので、小学館の仕事を先にやっていたための名義です。

実は徳間書店の「テレビランド」の仕事もみなさんやっています。

池田憲章さんらが始めた海外ドラマを中心とした「スーパービジュアル」シリーズはソノラマの本よりマニアックでした。

そのシリーズで1クールの「仮面ライダー」を安井さんがやる事になって少し手伝わせてもらいました。商業誌に自分の名前が出た最初でした。

 

第3次怪獣ブームは、復活ブームです。

新作の「仮面ライダー」が79年、「ウルトラマン80」が80年。本命の「ゴジラ」が84年でした。

旧作を書き換えるかのようにリスタートを切って、タイトルもシンプルになりました。

「仮面ライダー」(スカイ)はスーパーマンの飛行要素を入れました。

「ウルトラマン80」は流行っていた「金八先生」の要素を。

「ゴジラ」(84)は軍事評論、SF作家など各方面の専門家の意見を採り入れました。文化人や芸能人も双手を挙げて応援しましたが、年が明けると汐が引くようにブーム全体を終息させてしまったのでした。

待たされる時間が長すぎた事が一つと、恐怖のゴジラでなかった事、時代がハリウッド水準になっていた事も旧態依然としたファンの反撥につながったかもしれません。

気がつくと日本の特撮は伝統芸能などと揶揄される時代になっていました。

専門書の悪影響で、厳しく評価を下すファンが増えました。いま思うとネットの悪口の方がさらに厳しいですが、スタッフはやりづらくなった事でしょう。

ぼくたちの同人誌「NeoFERAS」は本誌と副会誌を出し、上映会をやっていました。

新作「仮面ライダー」が2本で終わった時、どうしても旧作をみんなで観たくなって「仮面ライダー復活祭」を企画します。

1つ1つの送り手と受け手の積み重ねがこのブームを作っていったんですが、結局、崩れるのは簡単だったようです。

70年代後半から80年代前半ぐらいまでのこの稿でふれてない上映会、イベントの事と「仮面ライダー復活祭」の事は、少し前に書きましたので、リンク先を参照して下さい。

 

特撮イベント

https://ameblo.jp/gara999/entry-12395448089.html

特撮イベント2

https://ameblo.jp/gara999/entry-12395556636.html

仮面ライダー復活祭とZX

https://ameblo.jp/gara999/entry-12407596216.html

「仮面ライダー」の周辺

https://ameblo.jp/gara999/entry-12408082479.html

仮面ライダーに魅せられて

https://ameblo.jp/gara999/entry-12410406472.html

79年から84年ぐらいまでの備忘録

https://ameblo.jp/gara999/entry-12412647341.html

 

安井さんと竹内さんの仕事はこの時期もっとも充実して、「宇宙船」も読者層を増やしました。とくにバンダイから広告をとってきてからは全体に垢抜けた感じがしました。

ぼくは13号まで、1年ぐらい(つまり4回ぐらい?)原稿をやらせてもらって、成田さんの記事や造型教室のラテックスの大魔神など別名義で書いています。

安井さんと知り合ったのは造型の高山良策さんを通じてです。

同人誌を始めてからスタッフの取材を積極的にやりました。

本多監督と対面した最初の印象はこんなにやさしい人がゴジラを撮ってくれて本当に良かったと思いました。先だって亡くなられたきみ夫人と、茶色の小さなわんちゃんがいて、アットホームなお宅でした。

世間を知らない高校生に、戦争の話もして下さった。

野長瀬三摩地さん、佐川和夫さん、井上泰幸さん、平山さん、高山さん、成田さん、鷺巣さん。俳優では、西條康彦さん、中島春雄さん。

会いたかった方と会えました。

同人誌の事はいずれ書く機会があると思います。

安井さんの仕事を手伝うようになると、まずそのスケジュールのスゴサに呆れました。手帳は予定で真っ黒です。

ぼくは「てれびくん」で写真の整理をバイトをしに15時過ぎくらいに編集部へ行くと原稿取りなどの指示が安井さんの机にあって所用を済ませ、夜になって安井さんが戻って来て、何度か、タクシーで自宅の千葉の五井まで一緒に行きました。車で90分はかかったと思います。

深夜つくと、いろいろコレクションを見せてくれ、3時間くらい寝て、朝起きて、一緒に都心へ向かいます。

ぼくは帰って二度寝が出来ましたが、安井さんは連日同じように夜はおろか深夜まで仕事。

体がもちませんよね。

安井さんと一緒にやれたのが「てれびくん」オリジナルの企画「アンドロメロス」でした。これもいずれ書こうと思います。

 

 

・「宇宙船」と双璧を成すマニア誌「スターログ」も発売が楽しみでした。さまざまなムックが出ました。右下は、中野昭慶さんが特撮の解説をした「小型映画」。熟読した1つ1つに思い出がつまっています。

 

 

・80年に奇想天外社から出た豪華本中子真治さんの「超SF映画」。重たい大きな本です。夢に浸れましたね。

 

 

・79年日劇「ゴジラ映画大全集」の頃。駄菓子屋売りの山勝の「ペーパーコレクション 東宝大怪獣」は竹内さんの仕事です。マニアックな写真ばかり、封を開ける度に歓喜の声を出しました。

 

 

・「ゴジラ映画大全集」のポスター。全国でやったのは「ゴジラ対メカゴジラ」「キングコング対ゴジラ」「怪獣大戦争」の3本で、日劇のみ最終回に日替わり上映が3週間ありました。

 

 

・79年の夏休み、日劇興行の日替わりのこれは「モスラ」の日。同人誌のメンバー(「NeoFERAS vol.1」から)。

春に募集があって、夏にこんなに膨らみました。みんな10代。中学生から大学生まで。

 

 

・79年の講談社「テレビマガジン」は、赤井鬼介さんに代わってグループ有翼人が活躍。有翼人は香山滋の小説に出てくる幻の生物。安井さんたち怪獣倶楽部のグループ名です。

「月刊マガジン」では2回に亘って新作「ゴジラ」の描き下ろしマンガが掲載されました。その折に読者プレゼントで海外版「怪獣大戦争」のポスターが当たる懸賞があって、ぼくは運良く2点ポスターをもらいました。

 

 

・70年代半ばから「ウルトラマン80」以前となれば、旧作の再放送人気で定番だったウルトラ警備隊のメカ。

マルサン、ブルマァクがソフビ、プラモデルを主力商品にしていたのに対して、ポピーは「マジンガーZ」で亜鉛合金を使った<超合金>、ミニカーで始まったゆえその名を冠した精巧な<ポピニカ>を展開。子供向けでありながらコレクターズアイテムで、ずっしり感が良いのでした。

ウルトラシリーズはポピニカブランド。キングジョーの胸に貼ってあるキラキラシールは、安井さんのアイディアです。ちゃんと分離合体します。

 

 

・78年頃、キングザウルスシリーズが登場します。かつてのマルサン、ブルマァクの22センチスタンダード人形は350円でした。キングザウルスは16センチミドルサイズに近いサイズで500円でした。本来はオイルショックのあったブルマァク時期にあの値段では儲けはなかったでしょう。小さくなって高くなった、と思いつつ、マルサン、ブルマァクで出なかったものや、アニメ「ザ・ウルトラマン」「ウルトラマン80」の怪獣は新鮮でした。

蝋原型が多く、鋭角的な表情とけっこう忠実なものもあって、色を塗ってリアルに見せる遊びもやりました。

キングザウルスの付加価値として足形を彫刻した事と足形シールを集めると特典の小冊子がもらえるなど子供の好奇心を刺激しました。TVにCMがかかった事も思い出です。

 

 

・70年代後半は家庭用ビデオデッキが発売されましたがまだデッキもテープも高くてなかなか手が出せません。66年の怪獣ブームの頃は8ミリ全盛でしたから「ウルトラマン」のソフトも出ていました。その流れで、それまでの3~5分だったものが15分ほどになった豪華版が発売されました。それが、FUJI FILM・東映から発売されたどちらもモノクロの初代「ゴジラ」と「ウルトラQ」でした。値段も良くて、人工着色のパッケージが眩しく感じたものです。

一方で、子供向けにポピーが出した「くるくるてれび」のカセットを解体してテープを繋いで8ミリ映写機で見た人もけっこういました。

ローカルな話をすれば、日比谷の東宝直営の映画ショップに、先のブームの8ミリが売れ残っていました。絵本とフォノシートが付いていました。