ワンフェスと激レアさんとビンさん | ヤマダ・マサミ ART&WORK 検:ヤマダマサミ

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ワンフェスと激レアさんとビンさん

先だってのワンフェス。颯爽! 2人のウルトラマンが並びました。

1人は言うまでもなく、ビンさん。もう1人(?)は、なんとビンさんの分身のウルトラマン。え!? 分身とは!?

ぼくはあいにく自分たちのブースを離れる事が出来なくて、その場に行かれませんでした。本当に残念です。またやって下さい。これ、お金払って、真ん中に立たせてもらって、記念写真、あとでサインしてくれる、なんてやったら大盛況ですよ。高額でもいけるはず。やって下さい、円谷さん。

と言う事で、簡単に説明します。ブルーレイ「ウルトラマン」の特典にメイキングがありましたので、ぜひ見て下さい。

円谷プロ50周年の企画を東京国際映画祭でジョイントした事がありました。2013年だから7年前になります。

https://m-78.jp/news/n-2142/

 

その時の目玉が、<古谷敏による47年ぶりのウルトラマン>でした。

新調するウルトラマンスーツは、ビンさんだけが着るオーダーメイド。当時と同じものを再現する事でした。

まず、モンスターズでビンさんの全身の型をとりました。若狭さんがフェイスブックにアップした画像を使わせてもらいます。こんな感じで、ビンさんを裸にして型をとりました。

ビンさん、大胸筋が素晴らしい。裸にしてもそのままウルトラマンですね。感心しました。脱いでもすごい。

特殊メイクに手だれた若狭さんの丁寧な作業で、ビンさんの全身の複製が出来ました。

その全身の複製をマネキンにして、次に品田さんたち、円谷プロ造型部LSSにてこだわりのウエットスーツが制作されます。

マスクは1967年「ウルトラマン」撮影終了後に佐々木明さんからビンさんにプレゼントされたオリジナルモールドのウルトラマンマスクからの複製です。

西村さんの尽力、監修もあって出来るだけ当時のウルトラマン(Cタイプ)に近いものが再現されました。

そして新スーツに腕を通します。

 

2013年10月18日 六本木の国際映画祭

2016年7月9日 杉並公会堂のウルトラマン50周年

 

今まで、この2回、ビンさんのウルトラマンが登場したのは記憶に新しいかと思います。大ニュースでしたね。ビンさんの体型が本当に当時のまま。70歳の時ですよ(この7月で77歳になります)。

またビンさんのスペシウムの形も当時と一緒。

試しに、67年の写真と並べてみます。23歳と70歳。ほぼ、同じ角度。ほぼ、同じ美しさ。みんな愕きの声を挙げました。

1日に300回、鏡の前で形を決めていたビンさんの真骨頂です。

とくに左の掌の反り。指先に気配りをするのは日舞からだと思います。東宝の芸能学校で習ったものが生きているんですよ。

これにぼくたちはやられました(笑)。

ビンさんが、奇跡的に当時とほぼ同じプロポーションである事で叶った企画でした。

若干、身長が縮んだそうですが、すごいなと思います。東宝の生え抜きのスター育成制度で育ったビンさん。ウルトラマンのプロポーションを半世紀、維持してきました。

3回目を見たいです!

そのようなわけで、ワンフェスに登場のウルトラマンはビンさんのマネキンが入った、そのままの分身になります。

ワンフェスの写真は、エドワードさんのモンスターアタックチームから拝借しました。

 

 

「激レアさんを連れてきた。」

バラエティは肩が凝らなくて、若い人が見ますから楽しくて笑いもあって良い内容だったと思います。

詳しい人は、あれがない、これがない、と言いますが仕方ないですよね。愛情たっぷりのみんなですから。

そもそもビンさんの人生を30分では語れません。ポイントとしてはまずまずでした。いつか、映画か朝ドラで「ウルトラマンになった男 古谷敏物語」をやってくれたら? と切に願います。そのときはもっとたくさん描かれるでしょう。

「ウルトラQ」が長かったのは今年が2020年だからですね。「2020年の挑戦」にちなんだ構成なんでしょう。

気持ち的には、その分縮めて、アマギ隊員が出ても良かったかもしれませんし、自伝を書くきっかけが旧友の桜井さんだったり、ひし美さんのイベントで本のお披露目、各地のファンの応援の裏舞台があっても良かったと思います。その先に海外進出があったわけですから。

でも限られた時間で、その事と海外を天秤にかけると、世間受けするのは、たしかに海外で大人気になった事かもしれません。

いや番組としてのオリジナリティとしては最新情報ですよね。

ビンさんだって、本当は、おばあばへの感謝を話したかったと思います。お婆ちゃん子でしたから。

ウルトラマンがやさしいのは、おばあばが見守っていたからです。ビンさん、撮影でつらくなるとマスク越しに掌を見ます。そこにおばあばが居るんだと思って。

イベントで語ってくれた話は、その他まだまだ盛りだくさんです。

でも、日本の番組を知った海外のファンが喜んでくれた。

その気持ちを思えば、不満なんか言っちゃいけない。ビンさんから海外のファンへのプレゼントだったのかもしれませんよ。

 

日本のさまざまなジャンルの俳優さんで、ビンさんのように年に3回も海外のイベントに呼ばれる俳優はそう多くないと思うんです。

国際俳優とされる藤岡さんも渡辺さんも出演の渡米はさんざんあるでしょうが、ファンから来て下さい!と慕われて足を運んだ事はどうでしょう。

世界的スターになったゴジラのイベントでは、主演の宝田さんが苦笑されるほど、もう1人の影の主役、中島さんの人気があったそうです。

これはアメリカが映画の国で、モンスターが1つの象徴である事、また、マスカレードの歴史がある(ハロウィンやパーティの仮装です)、などが要因になりそうです。

スーツアクターという言葉は日本語製英語ですが、いわゆる中の人へ対する敬意は並々ならぬものがあります。映画やテレビで活躍した人が引退したり、余暇があればイベントに招かれます。そこで彼らは輝きます。カナダや南米からもアメリカのイベントに集まる大がかりなイベントが年に数回、ファンとの交流は昔からありました。

その点、日本は半世紀くらい遅れています。40年前に聖咲奇さんからその事を何度も伺いました。アメリカのファンはすごいよと。

いまやっとワンフェスでもスーフェスでもゲストが呼ばれ、ファンとの交流する大きなイベントが定着しました。

そんな時、ぼくらはいつでも会えるみたいな錯覚をもつのは正直なところです。しかし、日本から来るゲストを待つ海外の人にはそんな機会に恵まれるものでもないのでした。

遠い極東のヒーローに憧れる海外のファンにとって、地球を半周して来てくれるウルトラマンの中の人に会える幸運は、生涯にあるかないかです。だから心から喜ぶんです。

海外のファンが日本語で書いた「あなたは世界を変えました」と言う言葉は大げさではなく、彼らの正直な気持ちでしょう。

ま、日本のファンにしたらみんなのビンさんなんですが。

テレビみたいな自由度のある媒体で、結びに海外を持ってきて、それがビンさんの勲章になったとするのはむしろ、上手いと思いました。

 

いつも思うんですが、ビンさんが東宝のスター育成で磨かれたニューフェイス15期(宝田さんが5期)出身と言うのは、かえすがえす僥倖(ぎょうこう)に恵まれたと思うんです。海外へ行ったビンさんの活躍がフェイスブックから伝わって来る。気がつかれた方も居ると思いますが、イベントへ出るとビンさん、その会場で着替えします。3回変えることもありました。ちゃんと正装して出かけます。それがスターのオーラです。

われわれのヒーローが格好良く海外に登場する。それは、われわれにとっても誇らしい事ですよね。

 

 

 

追記。

番組で紹介された新野P。Pはプロデューサーの事ですが、円谷時代は、東宝の出向、制作・俳優担当(配役)です。ビンさんと同期。

ぼくのライター業の先輩の安井さんが仲良くされて、新野さんの書き込み台本を一揃え譲ってもらって、けっこうな資料になりました。「ウルトラセブン」の宇宙人の配役はテロップに出ませんからね。

Pになったのは円谷の後で「傷だらけの天使」「太陽にほえろ」など、東宝のテレビのプロデューサーをされています。局としては、仁義もあってPを付けたのかもしれません。

個人的には、新野さんとビンさんの対談なんかも見てみたいんです。

ちなみに、展示で使われる「Oil S.OS.」(ウルトラQ版)のNG台本なんかも新野さんものでした。配役がやはり貴重でした。

 

 

 

 

 

【図版】

・1967年2月26日放映、メフィラス戦のウルトラマン・Cタイプ。講談社の特写。本当に、寸分の無駄のない、美しいヒーローだと思います。

 

 

・先日のワンフェスの一コマ。見逃して無念の人も多いです。モンスターアタックチームから拝借しました。ビンさんと並ぶウルトラマン、その中の人もビンさん。ビンさんの複製のマネキンが入っています。

 

 

・そのマネキンはこうして作られました。写真は、若狭さんがアップしていたものを使わせてもらいます。特殊メイクに定評のあるモンスターズの丁寧でデリケートな仕事でした。

ビンさん、66年当時はウルトラマンのマスク為、石膏でライフマスクをとられています。石膏は固まるときに熱を出すのでさぞや嫌な思いをしたでしょうね。いまは、よい材料があるからそうでもないと思いますが。

右の写真は東京国際映画祭の舞台。ウルトラマン、すごいオーラです。

 

 

・東京国際映画祭は7年前、2013年の事でした。

 

 

・その時のスタジオ特写が右。左が1967年の2月上旬の撮影。

 

 

・その手のアップ。比較してみました。右手と左手の位置、指の具合、掌とマスクの位置、ほとんど一緒です。47年を経ても!

 

 

・2016年の「ウルトラマン」50周年記念の舞台。ぼくは涙が出ました。だって、目の前に本物のウルトラマンが居たのだから。

 

 

・アメリカの東西南北、ビンさん、端から端に呼ばれますからね。加えて南米、メキシコへも行きました。たくさんのファンに、スペシュームポーズを伝授。

他のゲストのみなさんにも、スペシューム! 世界的有名人たちの中で。中央、「ゴッサム」の若きブルース・ウエインことマズーズさん。

 

 

・少年時代から憧れだったジェームズ・ディーンのお墓参りが出来た事で、ビンさんの夢が1つかなえられたとか。もし、ビンさんがウルトラマンをやっていなかったらアメリカへ行くことはなかったかもしれないですね。ウルトラマンファンは、JDの映画も観ないといけないです。