作品紹介 4 ~油絵・キリスト誕生~
趣味の彫刻は、
無謀にも二作目で観音様に挑戦し、
相当神経をすり減らしたため、
これ以上の物はもうできない、ということで、
しばらく彫刻刀を置きましたが、
油絵ならばそんなこともあるまいと、
また懲りもせず無謀な挑戦。
どういう訳で
この世界に挑戦するのか
自分でも分からないが、
やはり
神々しさに惹かれるのだろうか。
「他人にできるのならば私にもできる」
この考えの底流には、
やるからにはその人を超えてやろう、
とする気持ちがある。
そのために
いきなり目標越えの挑戦になっているような気がする。
二作目の作品です。
「キリスト誕生」。 サインは目立たないようにイニシャルだけにしてあります。
この題も自分で勝手につけたものですが、
キリストを抱くマリア様。
一作目では、
背景の布の質感をまるで無視し、
人物のみに集中したため、
今回は、布の表現に力を入れてみた。
だから、
布の描写はうまくいったと思ったのだが、
その分、
マリア様の顔の表情に
温かみが欠けてしまった。
油絵は、
塗り替えが容易にできるものではあるが、
こんな表情でも、
描き上げるのには相当苦労した。
作品は
納得のいかないものではあったが、
描きあげてから、
改めて
目や
鼻や
口元を
もう一度描きかえる気にはとてもならずに、
そのままで完成品としてしまった。
やはり、
背景や着衣を奇麗に描けても、
人物画は顔が命。
彫刻と違い、
油絵はその人の独自の表現であり、
上手下手をあまり問うものではないが、
こんな顔のマリア様がいてもいい、とはとても思えず、
納得のいかない作品になったため、
自分の家にも飾れない。
でも、
これも自分の作品ですので、
敢えて紹介しました。
三作目は、
人じゃないものに挑戦してみよう、
そう思いながら筆を置いたのを覚えています。
作品紹介 3 ~油絵・鏡の前の女~
ある時期、
病院に友を見舞いに行った時、
長期入院中の患者さんが、
たしなみに油絵を描き、
それを、
ほんのキャンバス代だけで
他の人に販売しておられました。
尋ねると、
「次のキャンバスを買えれば、それでまた絵が描けるから」とのこと。
少し美術にたしなみのある方で、
活動中に不本意ながら
入院生活を余儀なくされ、
やむなく病院の中で作画活動をして居られました。
その時はあまり深くは考えませんでしたが、
その熱心さから推察するに、
その人は、
あるいは芸術家志望だったのかもしれない。
そのような方の油絵を見て、
私の好奇心がまた芽吹きました。
「この人が描けるのなら私にも描ける」
私がものを始める動機は、
いつでもこんな不純な動機ですが、
それでも何かを始めるきっかけにはなっています。
誰からも油絵の描き方を教えてもらわず、
いきなり画材屋へ行って
絵具と筆と、
そしてキャンバスとイーゼルなど、
一通りの油絵道具を買ってきて、
小学校のお絵かき程度の考え方で描き上げた
第一作目がこの作品。
「鏡の前の女」
テーマは私が勝手につけました。
右下にはたどたどしいサインが見えますが、読めるでしょうか。
当然Totoronとは書いてありません。
何しろ、
髪の描き方、
肌の色の出し方、
テーブルカバーやカーテンなどの布の描き方など
全く知識もなしに挑戦したので、
やはりこんな程度にしかなりませんでした。
だけど、
一度の困難は自分にいろいろなことを教えてくれます。
今度はうまく描けるかもしれない、
そう思って二作目でまた思い切った挑戦をしました。
その作品は次回のブログで。
作品紹介 2 ~彫刻・聖観音立象~
彫刻の第一作目、
大黒様が
あの程度のできであったにもかかわらず、
怖さを知らない好奇心は、
鼻と口の彫り方をイメージし、
大胆にも、
第二作目で観音様に挑戦しました。
完成品がこの写真。
聖観音立像(しょうかんのんりゅうぞう)。
材質は桧(ひのき)。
身体だけの高さは21cm。
手に持った蓮の蕾は、
別に作って手に挿してありますが、
身体本体は
一本の四角い桧から掘り出した一木造りである。
蓮華の台座や光背を含んだ
全体の高さは26cm程度の小さな像。
小さいが故に
神経がすり減るほどの
彫刻刀での小技が必要だった。
後ろ姿もご覧ください。
光背だけは下から支えて頭部の後ろに浮かせてあります。
光背の後ろ部分に削りムラがあるのは手彫りの証し。
左側面。
前述の通り、
手に持っている蓮の蕾は、
茎も含めて
一本の小さな四角い木から掘り出したもので、
手の中にさしてあります。
そして改めて正面像。
最初の正面像とは
光の状態が違うので、
表情に少し違いが出ていますが、
二作目は、
目も口も鼻も、
最初の大黒様の反省を踏まえ
顔が満足のいくような表情に彫れました。
心の落ち着いた日にだけ彫刻刀を持ち、
最後の一刀をいつにしようかと思っていた時、
息子が誕生しましたので、
その息子の誕生日に
最後の一彫りを入れて完成としました。
だから、
この観音像は、
息子と誕生日が一緒で、
ひそかに
我が家の守護神となっていますが、
あえて魂を入れておりませんので、
きっと御利益(ごりやく)はないかもしれません。
もちろんこの像は、
手本もなしに
自分のイメージで彫ったのではありません。
師匠はこの本。
大仏師
松久朋琳氏の「仏像彫刻のすすめ」
この本を読みながら、
少しずつ彫り進めて、
ほとんど同じような完成品が出来上がりました。
二作目の立体彫刻としては
我ながらよい出来栄えであったと思います。
私は油絵も少しやりますが、
彫刻は油絵と違って、
やり直しが全く効かない。
油絵は、
色に満足いかなかったら、
上から塗り直しが効くけれど、
彫刻は
鼻でも目でも、
彫りすぎるとやり直しがきかず
もう失敗である。
完成までに
そのような失敗を一回も犯すことなく
無事に彫りあげなければならなかったので、
出来上がった時には、
「できた~~~っ!!」
もうそれだけであった。
彫刻をやり始めるきっかけになった、
お寿司屋の板前さん。
彼ができるなら私にもできる、
こんな単純なきっかけで始めた彫刻だったが、
二作目で相当神経をすり減らした。
「できた~~!」の一声で
やっぱりできた、と実感し、
それ以来立体彫刻には手を付けていない。
その代り、
今では平面の版画が、
いつ終わるともなく続いている。
最後に、もう一度登場。
一作目と仲良く並ぶとこんな感じです。
一作目の表情も、
今ではかわいい出来栄えで、
二体とも私のお気に入りになっています。
作品紹介 1 ~彫刻・大黒様~
私のプロフィールにありますように、
私は、
いろいろなことに興味を持ち、
人ができるのだったら私もできる、と
すぐに挑戦する悪い癖があります。
以前、お寿司屋の板前さんが、
自分で作ったものだと
能面をお店に飾っておられました。
素晴らしい作品でした。
板前さんがこの程度できるのなら、
私にだってできる。
そう思って作ったのがこの作品。
大黒様。
立体彫刻に初めて挑戦し、
作り上げたのがこの作品です。
本を見て、
見よう見まねの
ぶっつけ本番。
私にとって
記念すべき第一作目です。
垂れ目は
自分に似て愛興。
でも、
口と鼻は不満。
やはり難しかった。
後ろ姿は、
誰が作ってもこんな感じでしょうから、
シンプルそのもの。
左側から見るとこんな感じ。
何せ一作目ですから、
線彫りみたいでもご勘弁を。
どちらも大して変わりません。
改めて正面から。
ずんぐりむっくりのかわいいスタイル。
材質はクスの木。
結構固くて苦労しました。
その代り、
何年経っても虫食いは起こらない。
なんたって樟脳の木ですから。
作品の良し悪しは別にして、
この一作目がスタートになり、、
立体彫刻第二作目を経て、
彫刻は平面の版画に移行し、
以来、私の年賀状は、
毎年自作の版画に変わりました。
毎年一人二人から、
お世辞で褒められるために、
今ではもうやめられなくなってしまった。
それらも含めて、
押しつけにならない程度に
これから
少しずつご紹介します。
自分で言うのもなんですが、
一作目の不満を解消した
二作目の作品は、
是非皆さんに見ていただきたいと思います。
明日掲載予定です。
死闘 ~自然の営みと人の傲慢さ~
今日のブログは、
ちょっと生々しいので、
気の弱い方は
見ないでいただきたい。
気の強い方でも、
食事時は避けた方がいいかもしれない。
残暑厳しい中、
厳しさは暑さだけではなかった。
ここには、
命をかけた戦いがあった。
体長1.5cmほどの
はねかくしのような小さな虫と、
その倍ほどはあろうかと思われるイモ虫の
命がけの戦い。
否、
戦いと言うには余りにも一方的な
それは争いだった。
全体は黒いが、
頭のところだけが赤い小さな虫が、
夜盗虫みたいなイモ虫の喉元に、
しっかりと噛み付いて、
どんなに振られようと、
どんなに暴れようと、
絶対に離さない。
これだけの体格差があると、
人は脅威を感じておそらく尻込みするであろうが、
この黒い虫にとっては
大きさは
全く脅威ではないとみえる。
きっと、
おいしそうな餌としか見えていないのだろう。
身体をねじったり、
頭を激しく振ったりするが、
絶対に離さない。
ちょいと目には、
大きい方が小さい方を攻撃しているように見える。
でんぐり返って、
振りきろうとするが
噛み付いたところを離さない。
ブロックをよじ登って、
何とか振りほどこうとするけれども、
それでも離さない。
でも、
こんな状態でいつまで噛み付いていても、
イモ虫が弱るとは考えられない。
首元とはいえ、
皮一枚かまれているだけだ。
ところが、
攻撃する側には、
きっと噛み付く牙だけではなく、
大きいものを弱らせる
毒のような他の武器を持っていたものと見えて、
20分くらいの格闘の末、
あの大きなイモ虫が、
完全に動きを停止し、
後はもうなされるがままになってしまった。
食べ始める時には、
ちゃんとお腹のところに食いついている。
イモ虫は、
体液を吸われて
上半分は完全に縮んでしまい、
反対に
黒い虫の方はみるみるお腹が膨れてきた。
攻撃型のこんな小さな虫にも、
ライオンやトラが、
獲物をしとめた後は
内臓から食べ始めるのと同じような知恵があるのだろうか。
驚くべき自然の力。
しかし、
この出来事は
大きな問題を提起した。
武器を放棄し、
平和主義を唱えるだけでは、
最後には攻撃的な武器を持った
強いものにやられてしまう、ということを。
自然の中では、
同じ種同士が命をかけて争うことはまずしない。
命がけの弱肉強食は
違う種との争いであるのに対し、
人は、
その自然の摂理にさからい、
同じヒト同士で命をかけた戦いをするのだから、
ことこれに関しては
動物界でも最低の頭脳であろう。
ホモサピエンスは、
その傲慢さ故に
自身を滅ぼすかもしれない。
温暖化などを大騒ぎする前に、
やるべき大事なことは
もっとたくさんある。
命、
そのことを真剣に考えなければいけない。

















