美の共演 ~花それぞれにそれぞれの美しさ~
武蔵野の初夏は
花々と、
そして新緑で
美しさが極致に達する。
前回に続いて
その花の様子。
シャクナゲ。
このようなシャクナゲの木が
20本ほど列をなしているのだが、
長すぎて入らない。
その背後には
これもまた
奇麗な八重桜。
八重桜なるが故に、
この時期でも
シャクナゲと共演できる。
シャクナゲは、
一輪ずつのツツジを
一緒にまとめたような花。
手毬のようにまとまると、
派手さが増す。
こちらだって負けてはいない。
ピンクの色が本当に奇麗。
でも、
そんなものには負けてられないと、
ツツジ が本気でまとまったら、
こんなにすさまじい咲き方になる。
なんとも・・・・。
これを何と表現したらいいのだろう。
美しいとか、
きれいとか、
ここまで咲くと
過ぎたるは何とやらで、
そんな表現は当たらない。
「すごい!」
こう言うしかない。
さて、前回登場してもらった
枝垂れ桃。
ちょっと角度を変えたところから覗いてみました。
敷地の方から通りを望みます。
背後の赤が美しい。
ついでに
椿 も再登場。
他の木々がちょっと邪魔をしますが、
ここから見ると
赤花が目立ちます。
見る角度によって
美しさが違う花々。
こんな花達が、
いろいろな通りの、
それぞれの家の庭から、
通りを通る人たちに
おしげもなく美しい姿を見せてくれる。
国分寺は
住む人たちが、
そんな気遣いをさりげなく見せてくれる
やさしい街です。
混合咲きの花木 ~奇麗な桃と椿~
武蔵野でも、
国分寺の辺りは
昔からの大地主が多く、
そのようなところの庭の広さは、
20mほどの大欅が数本植えてあっても、
全く狭く感じさせないくらいの規模である。
だから、
植えてある木にも
年季が入り、
名木が多い。
その中で、
今日は2本だけ紹介しましょう。
奇麗な
紅白の枝垂れ桃。
一本の木に
赤い花、
白い花、
ピンクの花、
源平咲きの花 など
八重咲きの花をこんもりと付け、
桜が散ってもなお、
このように咲いている見事な木である。
通りに面したところに植えてあり、
通る人ごと
賞賛を惜しまない。
さて、
次は椿。
我が家のヤブツバキとは
桁が違う。
何と言う品種かは知らないが、
もう、
木からこぼれおちるほど
たくさんの花を付けているが、
それが
ピンクと赤の八重混合。
これは、
庭に植えられているのではない。
さりげなく畑の端っこに植えてある。
畑といっても、
べらぼうに広いので、
端っこでも
ゆったりとしたスペースがある。
この木も、
自分の家から眺めて楽しむ、
というような場所に植えてあるわけではない。
国分寺には、
造園業者や植木屋が多く、
畑一面に桃が植えてあったり
椿が植えてあったりして、
その花の時期には
通りを通るだけで花見を楽しめるが、
あるいはこの椿も、
販売用の苗木を置いていたのだが、
余りにも奇麗だから売るのをやめて、
そのままそこで育てたられた木なのかもしれない。
国分寺は、
花街道などと呼ばれる通りがあるくらい、
花の多い街である。
ヤマブキ ~まつわる話いろいろ~
「ヤマブキ」
ヤマブキから
太田道灌を連想する人は
きっとたくさんいるだろう。
「七重八重花は咲けども山吹のみのひとつだに無きぞ悲しき」
私は、
太田道灌が、
ある時にわか雨にあい、
ある貧しい家に立ち寄り
蓑を所望したところ、
そこの娘が出て来て
ヤマブキの花を差し出した、
というあの話に、
1つだけ
大きな疑問が頭から離れない。
あの歌は、
醍醐天皇の皇子・中務卿兼明親王が詠まれたものと、
後拾遺集にある。
蓑を乞われて、
蓑がないことを伝えるために、
実のないヤマブキを差し出したのだから、
差し出されたヤマブキは、
きっと八重咲きのヤマブキであっただろうことは、
想像がつくが、
あの時代の
貧しい家の娘が、
太田道灌さえ知らなかった
後拾遺集にある、
醍醐天皇の皇子・中務卿兼明親王が詠まれた歌を、
知っていた、ということが
どうしても腑に落ちない。
だから、
あの話は
後の世の人の
作り話かもしれない、と
私は思っている。
が、
それにしても洒落た話ではある。
そのヤマブキが、
今、
武蔵野は盛り。
これは実のなる
一重のヤマブキ。
黄金色一色に染まる景色。
見事というしかない。
八重咲きのヤマブキは、
この花の中心のあるしべが
すべて花びらに変異したものであるから、
当然のことながら
実がならず
子孫は残せない。
あの時代に、
すでに八重咲きが出ていたのだから、
これは品種改良ではなく、
きっと突然変異によるものだろう。
ところで、
ヤマブキに
山吹色ではない
白いヤマブキがあることをご存知だろうか。
山吹色のヤマブキと違い、
四弁の花。
葉の形状は一緒だが、
葉の付き方が違う。
ヤマブキは互生(互い違いに付いている)。
いずれもバラ科だが、
その下部の分類で、
ヤマブキ属とシロヤマブキ属に分かれる。
初夏を感じさせる花。
ヤマブキ。
「ヤマブキ色」から連想する、
大判小判に
目のくらんだ奴らが、
今
日本を崩壊させようとしている。
何と言うことをしでかしてくれたのだろう。
耐えるだけではどうにもならない。
叫ぶ時には叫び、
賢くなって
日本を変えていかなければ、
日本の将来はない。
試練の時である。
メジロ・最後の水浴び ~おいおい!そこまでやるか?~
我が家に通ってくれたメジロも、
いよいよ山へ帰る頃になりました。
今日は
その前に
身ぎれいにしておきたかったのでしょうか。
ゆっくりと
だけど、
「おいおい、そこまでやるか?」、というほど
水浴びをして行きました。
その様子を
パラパラ漫画みたいに
ご覧ください。
言葉はほとんど要りません。
2011.04.15 09:09:44 に水浴び開始。
天気 晴れ
バシャバシャッ!と気持ち良さそう。
いつもなら、
一回のバシャバシャで上にあがって用心を怠りませんが、
今日は相当気持ちよかったのでしょう、
二度も浴びています。
でも
ちょっと濡れすぎみたい。
大丈夫?
それでも止まりません。
二度三度浴びて、
上がると、
見てる方は
飛べるのかと心配になります。
それでもバシャバシャッ!
いよいよ激しい。
だんだんみすぼらしくなってきた。
それって、メジロの権威がなくなってない?
まだまだバシャバシャッ!
後ろ向きでブルブルッ!としてるけど、
ここまで来ると、
なんの鳥だか、分かりはしない。
本当に大丈夫?
よっぽど気持ちいいのか、安心しているのか、
バシャバシャが止まりません。
もう、充分みっともないから
やめたら?
「あんた誰?」って感じだよ。
どっち向きなのかさえ分からない。
こっち向きかな~。
2011.04.15、09:11:06 水浴び終了
約1分半も浴びていました。
相当気持ちよかったか、
安心したか、
もうすぐお別れの時が来ます。
でも、
メジロの権威失墜だよ、それじゃぁ。
ほんとにそれで、
飛べるのかな~。
心配をよそに、
そばに木に飛んでいきましたが、
鳥は、
風切羽さえしっかりしていれば、
他がどんなに濡れても
スピードはさておき、
とりあえず飛べるのですね。
きっと最後の水浴びのシーンになると思います。
お出での皆様にも、
その最後の雄姿をアップでお見せしましょう。
うわぁ~~っ! なんかイメージ壊れる~。
「あんたいったい誰?」
そんな感じの
メジロの
猛烈な水浴びの様子でした。
万葉の世界 ~アワを食う粟~
寺社としての国分寺は、
聖武天皇が
741年に全国に向けて、
国の守りとなる寺を
建立するように命じた寺で、
今現在、
数えられるだけで
北は陸奥、出羽から、
南は大隅、薩摩まで、
実に74か所にある。
当然私の住む武蔵野にも
国分寺はある。
これがその国分寺。
今の季節、
当然桜もあるのだが、
それに加えて、
ここには
古き良き時代を
彷彿とさせる
万葉の庭がある。
その頃に
歌に歌われた植物を、
丁寧に育ててあり、
その1つひとつに
歌が読み込まれている。
その1つ。
下のような説明文。
看板を
最初から読めば、
当然赤い四角に入る文字はお分かりだろう。
粟とは、
当時五穀の王と言われるほどの
大事な穀物。
ちなみに
五穀とは
一般的には
米、麦、粟、豆、黍(きび)のことをいう。
粟は、
その五穀の王。
メーカーの
「○には何と言う言葉が入るでしょう?」
などという、
人をばかにするにも程がある程度の
クイズと同じくらいのクイズですが、
さて
赤い四角には
何と言う字が入るでしょう?
この場合は
ちょっと驚きの答えが待っています。
解答の前に、
少し歴史の流れを・・・。
万葉の歌。
ちはやぶる 神の社(やしろ)し なかりせば
春日の野辺に 粟蒔かましを 」
巻3-404 娘子(をとめ)
遊女の娘子が
佐伯赤麻呂という人物から共寝を誘われ、
「貴方様には怖い奥さんがいるからお断り」
と振られた宴席での戯れ歌なのだが、
この歌には
それに応えた歌がある。
春日野に 粟蒔けりせば 鹿(しし)待ちに
継(つ)ぎて行(ゆ)かましを 社(やしろ)し恨めし 」
巻3-405 佐伯赤麻呂
「もしあなたに会う気があるのなら 俺はいつでも逢いにいきますよ。
それにしても、そこに恐ろしい妻がいるとは
恨めしいことよ」、と赤麻呂は図々しくも平然と言う。
そして、それに対する答えがこの歌。
我が祭る 神にはあらず ますらをに
憑(つ)きたる神ぞ よく祭るべし 」
巻3-406 娘子
「せいぜい奥様を大切にお守りなさいませ」
見事に振られた赤麻呂ですが、
歌の看板、
最初の写真に戻ってください。
赤い四角には、
何と言う文字が入るでしょう?
そんなことは聞かれるまでもない。
普通そうです。
正解は
「粟」。
当然そうなのですが、
この説明文は違った。
もうお気づきでしょう。
「粟」 と 「栗」
似て非なるもの。
その旨指摘はしたのですが、
もう書きなおしてくれているかな~。
一度皆さん
見に行ってみてください。































