報歳蘭咲く ~部屋に漂う父の香り~
この時期になると、
父や母のことが頭に浮かぶ。
父がなくなってから、
3月19日で
もう16年になるのだが、
それに先立ち
この時期には、
毎年
父の形見の
「山川報歳」(報歳蘭の一種)の花が咲き、
部屋いっぱいに
その芳香を放つ。
その 「報歳蘭(山川報歳)」 の花。
中国から入ってきたもののようだが、
現地では
正月前後に咲くことから、
歳を報じるという意味で
報歳蘭の名があり、
日本でも
そのままで呼ばれている。
その報歳蘭のなかでも、
この山川報歳は、
希少種に属し、
今では入手が困難になっている。
そんな蘭が
我が家には3鉢もある。
2、3年に一回
株分けをして、
鉢数が増えるのだが、
今までは転勤のたびに
近所の人に分けて来たので、
遠くは九州・四国に住む人や、
名古屋に住む人達の手元にもあり、
「今年も咲いたよ、いい香りがしている。」と
季節の便りが
各地から届いてくる。
東洋的な
地味な花だが、
香りはどのような花にも負けない。
我が家には、
香りを放つ花は今、
金木犀と
白花沈丁花と、
そしていつも小鳥たちが集う
梅(紅白咲き分けの「思いのまま」)があるが、
父への思い入れもあり、
報歳蘭の花は、
それらよりはるかに勝る
よい香りを漂わせる。
この花が好きだった父の遺骨は、
私がこの花のデザインを手彫りした、
手作りの骨壺に入って、
築地本願寺に眠っている。
隣には、
私が母のために
ヒマワリの花を手彫りした
母の骨壺。
二つ並んで入っているが、
いずれ私も
その横に並ぶ。
しかし、
父がなくなってもう
16年も経つのに、
父の年齢83歳には
まだまだ追いつきようもない。
もう少し、
母と二人で仲良くしていて欲しい。
この時期になると、
家中に香る報歳蘭の花の香りで、
いつも父や母に思いが至る。
春はもうすぐ・・・。
トピアリー ~巨大なアネモネ「モナリザ」~
妻が、
フラワーアレンジメントなる教室に通っていて、
時々奇妙なものを持ち帰ってくるが、
昨年は
ハロウィンのかぼちゃについて書いた。
そのかぼちゃのほとぼりが冷めたら、
今度は
幾つもの花が一つに固まった
スカイツリーのようなものを持ち帰って来た。
そのようなものは
私の好みではないので、
話題にもしなかったのだが、
それをほどいたものを見て
驚いた!
何と
縛り付けられて
何か分からなかった花は、
私の好きなアネモネではないか。
何であんな不自由なものを作るのかと聞いたら、
「トピアリー」だという。
トピアリーという言葉を
私は初めて聞いたので、
読者の方はご存知かもしれないが、
ちょっと調べてみた。
日本トピアリー協会では
トピアリーという言葉を、
「植物を人工的・立体的に形づくる造形物」と定義している。
オランダやフランスなどの、
幾何学模様に刈りとられた庭園や、
タイなどで
像の形などにした植え木などがそうらしい。
だとしたら、
日本の盆栽や
菊人形なども
あるいはトピアリーなのかもしれない。
その花の先生は、
美しい花で無理な造形をし、
いかにも最先端であるかのように
無知な主婦をだましているのではないか、と疑ってしまう。
それにしても
犠牲になっていたアネモネのでかいこと。
このお化けアネモネは一体何者だ?と聞いたら、
その答えにまた
驚いた!
「モナリザ」 という品種らしい。
あの奥ゆかしいほほえみの
モナリザのイメージが壊れそう。
「頼むから、そんなに勝手に名前を使わないでほしい」、
そう思うのは私だけだろうか。
大体、
アネモネなんていう花は、
パセリのような細かい葉っぱの間から、
ほっそりと出て来て、
可弱く愛らしく咲くからこその良さである。
我が家で昨年咲いたアネモネ。
一重の可憐な花である。
青だって同じ。
花は
どうしても女性のイメージで眺めるから、
余りごつくて
強そうなものは好きになれない。
コスモスとか、
ポピーとは
一重の松葉ボタンでジュエルだとか、
そんなものが
男心をくすぐる。
この
モナリザというアネモネは、
女子ボクシングで日本一になった
しずちゃんとかいう女性?や
アルソックのCMに出てくる、
あの男顔負けの女の子?みたいで、
とても愛らしいとはいえない。
でも
モナリザというアネモネは、
前述の2人の女性と違って
間違ってもこちらに喧嘩は売ってこないので、
まだ扱いやすい。
初めて聞いたトピアリーから
いろいろ考えさせられたひと時でした。
黄色い春 ~ロウバイとスイセンの花~
我が家の梅は
紅白咲き分けの
「思いのまま」なので、
野梅と違って
どちらかと言うと春咲き。
だから、
蕾はまだ固いが、
この極寒の中、
近所には春の香りが漂っている。
まず
黄色い花
「ロウバイ」。
奥ゆかしく、
みんな下向きに咲いているが、
1つひとつの花は
強い香りを出し、
己を主張する。
まるで蠟でできたような花だから
蝋梅と言われるが、
中国で言う臘月(ろうげつ、旧暦12月)に咲くため、
臘梅と書き、ロウバイとも言うらしい。
この透明感は
どこから見ても蝋細工。
このような花こそ、
蝋で造花を作って、
外に飾っておいたら、
多分誰も気づかないかもしれない。
白や赤の
日本の色の梅に先立ち、
中国から来た黄色い花が、
日本の春の先駆けとなっているのも、
何か考えさせられる。
突然話は飛ぶが、
中国に生息し、
日本でも大人気のパンダ。
ちょいと目には、
あのタレ目模様が実に可愛いのだが、、
その中に隠された目は
思いのほかつり上がっていて
怖い目つきであることを
知る人は少ない。
見てくれと
本性は
全く違う。
それと同じように、とは言わないが、
日本の春に先駆けて咲く
中国から来たこのロウバイも、
見てくれだけでは判断できない
強烈な面があり、
種子などに含まれるアルカロイドである有毒のカリカチンは、
ラットなどは17mg/kg、
マウスでも44mg/kgで死亡する。
さて、
もう一つの黄色い花
「スイセン」
原産地は地中海沿岸だが、
これも中国を経由して
日本に入って来た花。
写真は
「ラッパスイセン」と言われるものだが、
品種的には、
「ニホンズイセン」と呼ばれるものもある。
しかしその花も
室町時代に、
中国を経由して
日本に入ってきたものと言われているので、
国産ではない。
この花の形を見て、
ラッパスイセンと名前を付けた人は、
よくよく昔の感覚を持った人だったのだろう。
ラッパなどと言う呼び方は、
戦中か戦前の人でなければ
とてもそうは呼ばない。
「朝鮮朝顔」と呼ばれ、
ラッパ状の下向きの大きな花を咲かせる木。
通称
「ダチュラ」。
それなどでも、
横文字の呼び名は
「エンジェルス トランペット」という
洒落た名前を持っている。
さてこのスイセンも
大陸から伝わってきたものだから、
まともではない。
有毒植物で、
その成分はリコリンやシュウ酸カルシウム など。
全草が有毒だが、
鱗茎(りんけい)に特に毒成分が多い。
鱗茎とは、
球根の一つの呼び方で、
玉ねぎや百合のようにうろこ状のものが重なった球根をこう呼ぶ。
そのスイセンの人の致死量はわずか10g。
球根を、
エシャロットみたいな感じで
2、3個食べると死に至る怖い植物である。
日本の色、
紅や白の梅の花が咲くのはもうすぐ。
それに先駆けて咲いている
鮮やかな黄色い花の
怖い話。
かわいさや、
美しさの中に潜む、
このような事実を認識していないと、
痛い目に会う。
ご用心下さい
(ちょっと主観が入ったかな~?)
久しぶりの池袋 ~「いけふくろう」って何?~
「池袋」。
山の手3大副都心の一つ「池袋」
3大副都心とは、
新宿・渋谷・池袋。
一日の電車の乗降客が、
平均で270万人を超える池袋駅。
今更改めて取り上げなくても、
だれでも知っているところ。
そんな池袋駅の
変なこと の筆頭がデパート。
池袋駅には
東武デパートと
西武デパートが
駅の東西にあるが、
東口にあるのが西武デパートで、
西口にあるのが東武デパート。
ちょっと笑えませんか。
それって逆だろう?って感じ。
その池袋駅の
西口側にある東武デパートで、
私の故郷の
「大鹿児島展」 があるということを、
ブログの読者に教えていただいたので、
先日行ってきました。
東京で、
「大鹿児島」と言われるとちょっと恥ずかしいが、
よく考えると、
この「大鹿児島展」の「大」は、
「鹿児島」にかかる言葉ではなく、
物産展の「展」にかかっているのだと気付く。
いわゆる、
鹿児島の大物産展。
これだったら納得。
鹿児島の農・水・畜産品や
焼酎などが、
所せましと陳列され、
大にぎわい。
まず代表が、
先のブログで取り上げた、
「付け揚げ(さつま揚げ)」。
そして
「きびなごの一夜干し」
いろいろな焼酎もあります。
そうそう、
お茶もたくさんあります。
皆さんは、
鹿児島県が
お茶の生産量では日本一だということを
ご存知ですか。
生産量日本一は
静岡ではないのです。
ただ、
だからと言って販売額が日本一かと言うと、
それは静岡に譲ります。
なぜ?
鹿児島茶や薩摩茶では
名前の通りが悪いこともあり、
原料で静岡に移動し、
静岡産のお茶とブレンドされて、
静岡茶として売られます。
そのようにしてもはずかしくないような
素晴らしい味のお茶が生産されています。
今は、
静岡茶にはセシウムが混入したという報道もあり、
むしろ鹿児島のお茶が
安全だということで売れて来ています。
鹿児島にも
当然ラーメンがあり、
鹿児島で有名なラーメン店は
「こむらさき」とか
「ザボンラーメン」などですが、
それらは店舗での販売が忙しく、
東京まで出てくる余裕がありません。
だから今日は他のラーメン屋さん。
豚骨でもなく、
醤油味でもなく、
チキンベースのスープは
どちらかと言うと
タンメンか塩味のよう。
好き好きですが
故郷を長く離れていると、
どうしても食べたくなって
やはり並んで食べました。
大鹿児島展では
名物の
竹の皮で包んだ
「アクマキ(アク=灰汁で茶色くなったチマキ)」と
「きびなご一夜干し」を買って帰り、
ゆっくりと故郷をなつかしみながら頂きました。
さてその物産展のあった池袋。
名前の由来をご存知の方は、
余りおられないでしょう。
西口一体に広がっていた
袋型(丸型)の池が、袋池と呼ばれていたのが
池袋の名前の由来と言われている。
そしてその、
池袋の待ち合わせ場所は、
「いけふくろう」。
「いけふくろうではなくいけぶくろだろう?」と言われそうですが、
いえいえ、
「いけふくろう」なのです。
渋谷のハチ公像に対抗して、
ない知恵を働かせて考え出されたのが、
「いけふくろう」。
池袋の名前から
単純に連想して出てくる名前だから、
智恵を絞ったほどのものではないが、
ちょっとほほえましい。
これがその
「いけふくろう」
「人がまた幸せを待ち合わせるいけふくろう」と刻んである。
JR東口にあるこのいけふくろうは、
待ち合わせ場所になってはいるのだが、
これを見つけるのが大変。
何せ柱の裏側にあるので、
とても見つけにくい。
渋谷の
「ハチ公」像や
東京駅の待ち合わせ場所
「銀の鈴」は
まだ周りからよく見えるので
非常に探しやすいが、
いけふくろうは柱の反対側からは
全く見えないので、
知らない人には苦労である。
これだけ見ても、
自然発生的に生まれた場所ではなく、
一部の人の競争意識で
無理して出来上がったような場所。
池袋の智恵もこの程度かと思われそう。
でも
フクロウは
これもまたこじつけで、
福を呼ぶ鳥とされているので、
何とか頑張っている。
最初は、
フクロウの石像が一体だけだったのだが、
後から子供のフクロウ3羽も付け加えられた。
多ければいいというものではないが、
福が4倍も来るかもしれない、
池袋の
いけふくろうの話でした。
笑ってやってください。(=⌒▽⌒=)
国民を欺く御用学者 ~有名精神科医の愚かさ~
先月、
某新聞に
斎藤某という有名な精神科医が
「放射能トラウマとリスク」というテーマで
投稿していた。
その概要はこうである。
(青色の字はその精神科医の説)
現在福島県で除染・検診などのかかわっている
東大医科研の坪倉正治医師によれば、
現時点で慢性被ばくによる大きな実被害の報告は、
ほとんどないとのことである。
むしろ深刻なのは、
外部からの批判や報道などによる
社会的な影響の方である。
この精神科医は、
放射能の命にかかわる影響が
5年~20年後くらいに
じわじわと出て来ることを知らないわけがあるまい。
なのにそれを無視して
実被害はない、といい、
取るに足りない今の状態を重大視している。
現状の危機から目をそらさせるのは、
社会主義や共産主義国家が、
危機的状態の時に
国内のことから
国民の目を外国に向けさせる、
よく取られる卑怯な手段である。
国家の予算をもらって研究を重ねている
御用学者は、
国家には逆らわない。
裏を返せば
個人の欲望を満たす(予算確保の)ためなら、
国民をも欺くのである。
若きシジュウカラの悩み・濡れすぎ
現地でうつ病になる人が増えたり、
子供の虐待が増えているのは、
風評被害の影響もある。
そんなことまで風評被害のせいにしている
無責任さ。
それは違うでしょう。
根本は、
原発の爆発被害により、
家を、土地を、追い出され、
住むところも家族も失いそうになっているからであって、
風評被害などでは断じてない!
「放射能というだけで危険」とする立場からは、
汚染された地域に住んで子育てをするなど考えられない、という、
福島の地で生活を続けている人々を
批判する声が、いまだにある。
そうも言う。
そのような意見を
批判と捉えるところに
意見をいう国民を黙らせようとしたり、
危険な地域に住んでいる人に
なんの根拠もない安心感を与えようとする
国家寄りの意図的な操作が見え隠れする。
このような医師は
その意見に従って
もしその住人が10年後にガンになっても、
何ら責任は取らない無責任な医師である。
若きメジロの根性・人の家の庭で
放射能は、
さしあたり人の身体は破壊していないが、
放射能を危険とする考え方は、
人の心を確実に破壊している。
こうも言う。
この医師は
今の状態だけを見て、
人の心理の荒廃を憂えている。
この精神科医は、
10年後、20年後に来るであろう、
かわいい子供達の不幸を
まるで考えていない。
この危機感のなさは一体何なのだ。
それはただただ、
そんなあとのことは知らない、
今の国民の不安を
取り除くことが精神科医の仕事である、とでも
思っているのだろうか。
命にかかわりもしない今の悩みと、
命にかかわる危険が押し寄せる将来のこととを天秤にかけて、
人の命は空気よりも軽いと、
今の悩み解決のために
善人面して国民を欺いている。
許せることではない。
現在の状況下では
立場は二つに分断される。
「危険であるという根拠がないのでさしあたり安全」 という立場と、
「安全であるという根拠がないので危険」 とする立場である。
事故直後は後者に傾いた私自身も、
最近では前者に近い立場だ。
再び言う。
この精神科医の危機感のなさが、
近い将来に
多くの子供達の犠牲者を出すことになる。
原発が、
歴史的な大きな地震と
大きな津波の危険性を、
全く無視して防御措置を施さなかったから、
日本が滅亡するほどの
そして今後
何百万人の死者が出るかもしれない
大被害が出ていることが明らかなのに、
その事さえも頭に入っておらず、
「危険という根拠がないのでさしあたり安全」だというのである。
この精神科医の精神は、
もう病気と言うしかない。
状況によって
あっちに振れ
こっちに振れ、
自分の立場を守るためには、
国民を平気でだます
精神科医としては最低の人物である。
若きスズメの挑戦・初の水浴び
このような状況下では、
放射能は、
「安全であるという根拠がないので危険」ととらえ、
自分を、
家族を、
人々の命を守るための方策を
尽くすだけ尽くす、
これが一番であることは
だれが考えても分かることだ。
その考え方が
現地で生活している人を不安にするからと、
「危険という根拠がないのでさしあたり安全」と呼びかけることは、
人を危険な状況に置いたままにする、
それこそ最悪の詭弁である。
安全が
全く確保されない今、
またぞろこんな
自分のことしか考えない
御用学者が
国民を欺く意見を述べ始めているので、
用心が必要である。
家長が賢くなって、
だまされないようにしないと、
日本国政府と
御用学者と、
それを掲載するマスコミは
平気で国民の犠牲を強いるから、
くれぐれも用心されたい。
3回連続の
独り言でした。



















