石垣島と俵万智さん ~苦難と非難を乗り越えて~
昨日の
大手某新聞夕刊の
特集ワイドに
「日本よ!悲しみを超えて この国はどこへ行こうとしているのか」
のテーマで
俵万智さん のことが載っていた。
読まれた方も多かろうと思うが、
私のブログの
主張と同じ考えが底流にあるので、
重複を恐れず
敢えて書きたい。
あのミリオンセラー歌集
「サラダ記念日」 から25年になる。
「大きければいよいよ豊かなる気分東急ハンズの買い物袋」
3月11日。
彼女は都内の新聞社で会議中だったらしい。
「仙台で震度7! 号外が出ます!」 という情報に、
あわてて実家のある仙台に電話したのだが、
手が震えてボタンがうまく押せず焦った。
「母が仙台出身、父も東北大学大学院で学んだ関係」もあり、
最も大切な存在である息子を、
土のあるところで遊ばせたくて、
仙台に移り住んでいた。
「だだ茶豆 笹かまなども並びおり仙台の子のおままごとには」
幸い家族は無事だったが、
交通機関がストップしたため、
ようやく5日目に山形経由で仙台入りした。
「電気なく水なくガスなき今日を子はお菓子食べ放題と喜ぶ」
しかし
放射能汚染が重くのしかかってきた。
いとこの勧めもあり
着の身着のまま、
息子を連れて仙台を離れる決心をする。
子供の命を優先に考えると、
当然そうなる。
「子を連れて西へ西へと逃げてゆく愚かな母と言うならば言え」
だれもそんなことは決して言わない。
立派な母の姿である。
子供を被曝させてはいけない。
那覇便が空いていたので飛び乗る
決断すると実行も早い。
親の愛はこうでなければいけない。
ツイッターに
「西を目指す」 と書いたら、
たくさんの励ましを頂いた。
でもこんなのもあった。
「行ける人はいいね」
「もう帰ってこなくていい」
こんな
自分の決断力・実行力のなさを棚に上げて、
ひがみ根性丸出しの親もいる。
こんな親に育てられている子供は
猛烈な被爆をして、
かわいそうとしか言いようがない。
親は賢くなければいけない。
いつも言っていることである。
那覇のホテルで、
震災ニュースにくぎ付けになっていると、
自分も般若のような顔になるし、
息子も指しゃぶりをし始めたりして
二人ともおかしくなってきた。
たまたま
歌人の松村由利子さんが
石垣島に住んでいる事を思い出し、
連絡したら、
「いらっしゃい」 と言ってくれて、
1週間くらい居候させてもらった。
そこで、
海に連れていってもらったり、
近所の子供と遊んだりしているうちに、
息子も回復してきて、
そのまま石垣への長期滞在を決意した。
目の前に
美しい湾の広がるマンションを見つけ、
4月に小学2年生になった息子(匠見君)も
地元小学校に元気に通い、
すっかり地元の言葉も板についてきた。
「ダンボールから衣装ケースに移すとき定住という言葉を思う」
来たばかりなのに、
近所の子供達も、
「ここに泊まりたい」 と言ってくれ、
「いいよいいよ」 と答える親がいる。
仕事で家を留守にしても、
近所の人が息子を預かってくれる、
そんな、
非常に魅力的な地域社会。
国は
「直ちには健康に影響はない」 と言うけれど、
後からだって影響が出たら困るんです。
だって子供は
まだ恋もしたことがないのですよ。
「まだ恋も知らぬ我が子を思う時『直ちには』とは意味なき言葉」
玉取崎展望台
このような考え方が、
親には一番大事である。
過剰なまでの便利さの追及。
その便利さの象徴が電気だったような気がする、
いまそのしっぺ返しを私達は受けているんじゃないか、と彼女は言う。
人間の欲望には、きりがない。
欲を押さえなければ、
破滅の道を歩き始める。
原発が爆発した時から
叫んでいる言葉である。
改めて
そう確信する。
(写真は石垣市観光協会よりお借りしました)
帝国ホテル喫茶部 ~品格とぼったくりの狭間~
前のブログで
ちょっと固い話題を書いたら、
やはり読者に敬遠されたか、
反応が鈍かった。
でも、
これも私。
今日はその続き。
講演会の帰り道、
霞が関の会場を出ると、
近いからと
友人と一緒に
銀座まで歩いた。
外堀通りを新橋まで約10分。
銀座8丁目から1丁目まで、
あちこち寄りながら銀ブラをして
約30分。
再び4丁目まで引き返し、
銀座4丁目の交差点を右折して
有楽町まで約15分。
ここら辺りでお茶でも飲もうと、
友人を連れて行ったのが
帝国ホテル。
有楽町から歩いて行ったので、
ホテルに入るのは
表玄関ではなく
横の扉から。
中を通って玄関正面まで行き、
中を振り向いてロビーを見ると、
このような様子。
歴史が古いだけあって、
建物に柱が多く、
現代的なホテルのロビーと比べると、
広さを感じられない。
でも友人は
荘厳さがある、と表現してくれた。
写真右側が受付カウンター。
写真に写ってはいないが、
左側に、
このロビーと同じくらいの広さの
喫茶部がある。
地下にはこんな店も。
座っただけでなだ万円?
この廊下の右側にある慶應の会員制クラブには
現役時代友人の力を借りて何度も通ったが、
左側のなだ万円のところには
とても入れなかった。
今日のお客は2人。
カウンターで食事。
入ったことがないので、
メニューも分からず、
どれ位取られるのかはまるでわからない。
私は社会人になってから、
ずっと食品に携わってきたので、
原価から計算すると、
吉兆だろうと
なだ万円だろうと、
万の付く料理は、
どんなに素材が新鮮でも、
どんなに料理長の腕が良くっても、
ぼったくりだと決めつけている。
でもそんな世界に
行く人がいるのも事実で、
ぼったくりなどと言うと
貧乏人のひがみ、と笑われるから、
言うのを控えて来たが、
自分のブログでしゃべるのは自由。
帝国ホテルには、
貧乏人は相手にしない
そんな店がたくさん入っている。
さて、
ロビー横の喫茶部に話を戻そう。
そこで友人と
一番安い飲み物を頼んだら、
ブレンドコーヒーが一番安いらしい。
「それを二つ!」
元気良く注文して、
ウエイトレスがいなくなってから、
二人でメニューの値段を見たら、
何とブレンドコーヒーが
1,260円!
場所代にしても高すぎない?
こんなぼったくりをすると、
日本人として
外国の人に対して恥ずかしい。
帝国ホテルには
以前よく来ていたので、
聞いてみた。
「以前は確か600円台だったと思うけど、随分高くなったね?」
答えて曰く
「その代わりお代わりが何杯でもできるようになりました」
まるで安いファミレスと同じ。
それでもファミレスのドリンクバーは
190円であるぞ!
出てきたコーヒーを飲んで驚いた。
大きなポットに入っているのを
ついで回っているが、
コーヒーの香りも味も全くしない。
一杯当たりの原価を下げようと
貧乏根性丸出しで、
2杯目を頂く時に言ってみた。
「奇麗なあなたが入れてくれるコーヒーでなかったら、
とても2杯目は飲みたくないコーヒーですが、
帝国ホテルともあろうところが、1,260円も取って、
こんなにまずいコーヒーを飲ませるなんて、
少し品がなさすぎはしません?
あなたはこれが美味しいと思います?」
もちろん笑顔でやさしく尋ねます。
そしたら、彼女が正直に答えて曰く、
「他のお客様にも良く言われます。
新しいコーヒーメーカーを入れてくれたらよいと思うのですが・・・。」
コーヒーメーカーーのせいではない。
やはり私だけではなく、
みんなもそう思っているのだ。
これは絶対に帝国ホテルの恥だし、
日本の恥だ。
友人と
その美味しくないコーヒーを無理して飲みながら語る。
「帝国ホテルも
こんなぼったくりの商売をしているようでは
先が思いやられるね。」
このホテルには
以前私の身内が働いていたので、
親近感を持って使っていたのだが、
だんだんイメージが崩れて来た。
そこへおもむろに
ピシリと黒いスーツとズボンで身を固めた
隙のない女性が、
新しいカップ&ソーサーと
新しい焼き物のポットに入ったコーヒーを持ってきて、
「今落したばっかりのコーヒーをお持ちしました。
よろしかったら、これを召し上がっていただけませんでしょうか」
我々は、
二人で顔を見合わせしばし無言・・・。
客の言葉が
コーヒーを運ぶウエイトレスで止まらないで、
すぐに正社員のバーテンダーに伝えられたものらしい。
これには私も驚いた。
そして、
さすがに帝国ホテルである。
落としたてだったから、
香りもあって少しは美味しかったが、
対応の方に驚いて、
うまさ格別。
だけど
ありがたく御礼は言いつつ、
帝国ホテルのために言うことは言う。
「でも、私がいつも我が家で飲んでいる
ツッカーノブルボンには味も香りも遠く及びません。」
「無農薬有機肥料で栽培している豆です」
「無農薬有機肥料でも、
美味しくなければ自己満足だけで製品の価値はありません」
ついでにとどめを刺しました。
「使っているカップ&ソーサーのNORITAKEの器に、
中身が完全に負けています。
NARUMIでも負けます。
100円ショップのカップで間にあいそうなコーヒーは
帝国ホテルには似合わないですね」
「そこまでご存知の方がおっしゃることですから、
充分今後の参考にさせていただきます。
ありがとうございました。」
こんな問答が、
笑いとともに交わされたのだが、
さて美味しくなるかどうか、
今後を期待したい。
帰る時に、
我々の声を伝えてくれた
ウエイトレスと、
新しいコーヒーをすかさず持ってきてくれたバーテンダーに
感謝の気持ちを伝えてホテルを後にした。
品格と
ぼったくりの
二つを一緒に味わえた
なんとも面白い体験でした。
「ちょっと図々し過ぎたかな~。」
日本モロッコ協会講演会 ~霞が関での勉強会~
今日は少し固い話。
たまには、
このような話にも
お付き合いください。
先日、
私の友が、
鹿児島から東京に出て来て、
久しぶりに出会った旨の話をした。
その友と、
先日、
私の所属する
「日本モロッコ協会」 の
講演会に出席したので、
その時の様子を簡単に書きたい。
場所は、
日本の政治の中心地 霞が関。
そこに建つ
シンボルとも言うべき霞が関ビルは、
今こそ高さでは他のビルに負けているが、
JR新橋駅を出た大通りの
外堀通りから霞が関の方を眺めると、
「ド~~ン」 とその突き当たりに一棟だけ聳え立っているので、
その威容は寸部も失われていない。
その霞が関ビル前で,親友記念写真。
ビルがでかくて、とても全体は写せない。
私は、
彼が東京に仕事で来ているわけではないので、
きっと背広は持って来ていまいと思い、
これでもいいかと
リラックスした恰好の
ジャケット姿で行ったのだが、
何と彼は、
講演会だから、
背広で行かなければ私の立場も立つまいと、
娘さんの旦那さんに服を借りて、
背広姿で来たものだから、
服装があべこべになってしまった。
さりげなく
そんな気遣いをするのもまた
彼の良いところであるが、
おかげさまで、
その日の講演会の服装で、
崩れたジャケット姿は
私一人になってしまった。
私は当日、
気が利いているように見えて、
大いに間が抜けていた。
右側のビルは金融庁。
その右隣には新しく建てられた文科省もあるのだが、
見えない。
会場は
この霞が関ビルに入り、
裏側に通り抜けたところにある
全日通ビル8階会議室。
この会場は、
国際会議もできるところで、
各国語を同時通訳できる装置まで備わっている。
ここで、
国際的な知識を付けるために、
小規模な講演会を開催する。
毎月一回、
もう10年以上も参加しており、
かつ
以前事務局のお手伝いを
数年ほどしていたこともあり、
聴講者も
ほとんどが顔見知り。
今日の講師は、
国際連合工業開発機構(UNIDO)
代表代理 ゲレゲン・フェルダ氏。
演題は
「日本ーモロッコ間のビジネス・投資関係の潜在的可能性について」。
彼はトルコ国籍で、
トルコ語はもちろんだが、
他に英語・フランス語が堪能。
日本語は会話レベル、と言うが、
文字をすらすら書けないと言うだけで、
その話し方は日本人と変わらない。
このようなスクリーンを利用して、
講演はどんどん進み、
1時間強で終了。
写真左端の親友も
真剣に聞く。
こんな真剣な顔は
大学卒業以来かもしれない。
写真真ん中が親友。
写真左端の人物は、
外務省OBで、
元在モロッコ王国日本国大使館
特命全権大使 西村氏。
写真右端の女性は、
これも外務省OB、
元在モロッコ王国日本国大使館
特命全権大使 広瀬氏。
女性ながら辣腕を発揮された方である。
そうそうたる顔ぶれだが、
みんなやさしい人ばかり。
お付き合いが長いので、
いつもは酒飲みの世間話。
講演会の後は、
幕の内弁当を食べながら懇談会。
その時案内があったので、
そのリーフレットを掲載しておきます。
「アラブチャリティバザー」開催の案内。
開催場所は、
アークヒルズカラヤン広場。
赤坂、というか、
六本木というか、
いつもにぎわっている場所です。
駐日アラブ大使夫人らが総出で、
アラブの料理や、
民芸品のチャリティ販売をして
毎年大賑わいになる
国際色豊かなイベントである。
わずか1,000円で、
アフリカに行った気分に浸ってみませんか。
私のブログをご覧になった方で、
行ってみたいという方がおられたら、
そして直接モロッコ大使館に聞くのは
ちょっと抵抗のある方。
コメントでも連絡していただけば
協力させていただきます。
せっかくですので、
紙面で案内させていただきました。
地獄のハバネロ体験 ~調理しただけで一日ダウン~
ハバネロと言えば、
どこかのお菓子メーカーが
「暴君ハバネロ」とか言うお菓子を販売してから、
有名になってきた名前だが、
そのお菓子を
酒のつまみに買ってきて
食べてみたところで
どういうことはない辛さである。
この程度であったら、
ラーメンに入っている
鷹の爪を食べた方が、
どれだけ辛いか。
先日
たまたま、
焼肉屋を経営する知人から、
なまのハバネロを
3個もらってきた。
これがその
「ハバネロ」
かわいいミニトマトを更に小さくした感じの大きさで、怖さなどまるで感じない形状。
その知人が言うには、
ハバネロを乾燥させようと
調理室の上に吊るしていたら、
下を通るたびに首筋がピリピリして、
家に帰ってもそれがとれないため、
そんな馬鹿なと思いながらも、
ハバネロを別の場所に移したら、
それが治った、という。
それ程強烈だから、
くれぐれも調理には気を付けて、と
念を押されたのだが、
何しろ初めてのものなので、
どう注意すれば良いのか分からず、
少なくとも素手で触ったら、
決してその指で瞼なんかは擦らないようにと、
妻に言って
料理に使ってもらった。
2つにカットしたものを
鷹の爪や
普通のトウガラシみたいに刻んで使ったのだが、
それが我が家の
地獄の始まりになろうとは、
二人とも知る由もない。
妻が調理している間に、
私はシャワーを浴びたのだが、
そのシャワーを浴びている間に、
浴室に異様な揮発性の刺激臭が漂い、
鼻の粘膜がピリピリして、
そしてせき込む。
喉までもおかしくなって、
ガスでも漏れているのだろうかと、
気を付けてみてもガスの臭いなどはしない。
ちょっとおかしいと思いながら、
浴室を出て居間に来てみたら、
刺激臭が満ちており、
思わずせき込んでしまう。
「何だ?これは」 と聞いてみると、
妻は、
涙は出るわ、
咳は出るわ、で
悪戦苦闘だったらしい。
こんな風に、普通のトウガラシみたいに実がなる。
その夜は
辛い辛いと言いながらも、
氷で口の中を冷やし、
その料理を食べて、
とりあえずそれ以上のこともなく過ぎたのだが、
翌日、
予想外のことが待っていた。
翌日の夕食。
ハバネロ料理の残り物や
残り汁を使って
二ラの卵とじなどを作ったのだが、
その調理の最中も、
妻はやはり強い刺激にさらされ、
涙と咳と
そして頭痛までが襲ってきて、
悪戦苦闘であった。
それだけで終われば良かったのだが、
悲劇は
その夜に起きた。
就寝後
1、2時間たって妻が内臓の間欠的な痛みを覚え、
眠られなくなったのである。
その間欠的な痛みは、
朝が来るまで続き、
朝になっても起き上がれない。
結局その日一日
妻は内臓(多分胃だと思うが)の痛みのために
寝込んだまま、
起き上がることはできなかった。
その痛みは
夜になってから少し和らぎ、
翌日の明け方やっと治まったのだが、
これはもう
ハバネロの刺激臭以外に考えられない症状であった。
恐るべしハバネロ。
そこで、
ハバネロの辛さが
一体どれくらいのものなのかを
調べてみて
「驚いた!」
ご覧の通りのものすごさである。
トウガラシの辛さを現わすのに
「スコヴィル値」 というものがあるが、
そのスコヴィル値で
ハバネロと他のものとを比較してみよう。
その前に
スコヴィル値の説明を。
スコヴィル値とは、
トウガラシのエキスの溶解物を
複数(通常は5人)の被験者が辛味を感じなくなるまで砂糖水に溶かし、
何倍に溶かした時に辛さを感じなくなるかを求め、
その辛さを感じなくなった時の倍率を
「スコヴィル値」という。
ちなみに
トウガラシの辛さの成分は
カプサイシン。
これが辛さの正体。
さてそのスコヴィル値比較。
(後から読者より、これも辛いですよと商品の指摘がありましたので、
参考までに追加してスコヴィル値を記します。青字)
品名 スコヴィル値
ピーマン・シシトウガラシは辛さがないので 0
タバスコグリーンペッパーソース 600~1,200
タバスコチリペッパーソース 1,500~2,500
ハラベーニョ 2,500~8,000
タバスコハバネロソース 7,000~8,000
一般的な催涙スプレー 15,000~90,000
三鷹トウガラシ(鷹の爪) 40,000~50,000
ハバネロ 300,000~350,000
その辛さの
桁がまるで違う。
辛さを倍数で言ってもピンとこないが、
とにかくとてつもない辛さである。
タバスコなんかは
子供だまし。
調理中に部屋に揮発成分が満ちて来て、
鼻の粘膜は痛いし、
喉を刺激してせき込む。
妻は
頭まで痛くなってきて、
最後には
その揮発成分だけで
胃袋までやられて寝込んでしまったほどである。
ハバネロを使った料理を食べて、
やられたのではない。
揮発成分だけでこれである。
恐るべしハバネロ。
あと2粒残っているのだが、
もう妻は、
自分ではやらない、という。
だから今度は、
いつか私が
機会を見て
あと2回挑戦してみようと思う。
ちなみに
こんなハバネロなので、
市販してもだれも買わないため、
一般的な商品としては売られておらず、
そのため日本では
栽培しているところも限られるという。
そりゃそうだろう。
直接粘膜に付いたら、
火ぶくれみたいになると言うから、
恐ろしくて家の中には置いておけない。
怖い怖い、
地獄のハバネロ体験談でした。
ゴジラのいる町 ~有楽町の一角~
東京には、
いろいろなものがある。
他の国の
「モアイ像」 があったり
「自由の女神像」 があったりするし、
「ハチ公」 がいたり、
「いけふくろう」 がいたりする。
そして、
極めつけは、
こんなもの。
それは
「ゴジラ」
何でここにいるのかは分からない。
分からないものだから、
みんな素知らぬ顔で通り過ぎる。
近所に
「モスラ」 がいるかもしれないと思って見るが、
見えるのはビル群だけ。
ここにいきなり
「ゴジラ」 がいるのだが、
なぜここにいるのかの説明もない。
ゴジラの映画ができたころ、
この近くのビルでも壊すシーンがあったのだろうか。
近所には
帝国ホテル。
東京宝塚劇場。
ゴジラの映画を見ていないので、
なぜここにいるのか知らないが、
通る度にいつも疑問に思う。
どなたかご存じありませんか。
ここは有楽町駅から、
歩いて数分ほどの
ビルの合間の小さな広場。
おかしなものもあるものだ。


















