自殺対策標語 ~GKB47・ボケもここに極まれり!~
内閣府自殺対策推進室が
3月の対策強化月間で使う
キャッチフレーズについて、
人気アイドルグループの
AKB48をもじって
「あなたもGKB47宣言!」なるものを発表したのが
1月23日。
GKB47とは何の略かと言うと、
「ゲートキーパー ベーシック47」の略らしい。
まともに言われたって
だれもそれが何なのかは理解できない。
ゲートキーパーとは
悩んでいる人を見守り、
自殺を思いとどまらせる医師らを指し、
ベーシックとは
その役割を国民各層に幅広くになって欲しいという
願いを込めた言葉らしい。
そして極めつけは、
47。
自殺対策の取り組みを
全国の47都道府県に広げたい意味合いを持たせたとか。
AKB48と比べて、
何と屁理屈をこねた名前であることよ。
当然のことながら、
世論が沸騰した。
そして、
2週間ももたずに取り下げ。
GKB47について、
内閣府は
「自殺対策に関心の薄い一般国民には、わかりやすさも必要だ」という。
これほど
国民をばかにした言葉はあるまい。
藤村修官房長官も、
「若い世代に呼びかけたいという意図だ」などと、
記者会見で説明する。
こんな言葉が
自殺関連の標語としては受け入れられないであろうことが
まるで読めない。
そして、
それが没になった
わずか2週間先が読めない。
こんな連中の集まりが
日本国を背負っているのである。
東北の被災者に
思いが行き届くはずがない。
スーパースター
この期に及び、
政府の言葉尻を捉えて
ケチをつけるつもりはないが、
大体
「自殺対策推進室」なる部署の名前がふざけている。
このまま素直に解釈すれば、
それは
自殺を推進する部署、ということになる。
本来名前を付けるとすれば、
「自殺防止対策推進室」でなければならない。
言葉なんて
何でも短くすればいいというものではない。
このような人たちが、
日本の中枢に
たくさん潜んでいるのかと思うと、
将来どころか、
2週間先が不安でならない。
「馬鹿も休み休み言ってくれ!」
放射性物質汚染について ~命無視の発生主義対応~
先日の新聞に、
「福島・川内村 ミミズ1キロから2万ベクレル」の
放射性セシウムが検出された、と掲載された。
茨城県森林総合研究所発表。
今後、
食物連鎖で
他の生物に濃縮されることが懸念される、とある。
私に言わせると、
このような報道は
国民の命を全く無視した
無責任報道である。
なぜなら、
すでに昨年3月11日~15日の原発爆発で、
大量に降り注いだ放射性物質に、
原発周辺は愚か、
ほぼ福島県全域と
その近県は
すべて汚染されているのだから。
「なにをいまさら!」 と言いたい。
あれからすでに1年が経とうとしている。
食物連鎖は
ミミズからだけではなく、
その辺りで生産される農産物や、
畜産物、
水産物を介して、
とうの昔に人にまで及んでいるのである。
林野庁は、
その汚染については、
昨年8~9月実施した調査で把握しているにも関わらず、
その危険性を
何ら発表していない。
そして
国を挙げて「除染除染」と
あたかも
自然を奇麗にできるような馬鹿なことを叫んでいる。
遅きに失する発表であり、
先の麦わら汚染と同じ、
発生主義的な報道は、
国民の目をただそれだけに注がせ、
他から引き離してしまう
一番卑怯なやり方である。
たとえを言おう。
食品メーカーのクレーム処理は、
100万食製造して
1食にでも異物混入の恐れがあったら、
出荷した100万食を
すべて回収する指示を出すのが当たり前の姿勢。
ところがどうだ。
人の健康を害する恐れのある
放射性物質を含んだ食品は、
○○ベクレル以内は直ちに健康に被害はないからと、
出荷が容認される。
もしこれが、
発がん性のある食品添加物で
ただちに健康に被害がないとしても、
一般食品に使われたことが分かったら、
国は即刻発売中止・全量回収を命令する。
この対応の違いは
一体何なのだ。
放射性セシウムを含んだ食品の
出荷を制限すれば、
対象の生産者に膨大な被害が及ぶから、だとしたら、
明らかに人命軽視である。
発がん性があることは
世界的に証明されているタバコが、
いまだに堂々と販売されているのは、
ただただ、その売り上げが
国家財政に貢献しているからで、
国民の命と引き換えに
利益を優先している結果である。
ミミズ報道は、
麦わら汚染報道と同じで、
きっとこれだけのことで終わってしまうだろう。
だが、
このことは、
昨年3月にすでに全域が汚染されている事を
我々は忘れてはいけないし、
そのつもりで、
全方位に注意を向けていなければいけない。
もし、
この汚染が、
その後に起きたことであると言うならば、
その後の原発から、
垂れ流しで放射性物質が出ている事を意味するから、
3月に一気に放出された現実より、
さらに深刻な問題である。
猛毒の放射性物質が、
際限なく、
近辺の人々の上に
降り注いで来ているのだから、
とてもその辺りには住んでおられない。
ミミズの現象が
いずれの結果から発生したことであったとしても、
危険極まりない放射性物質の報道については、
そのことだけにとらわれず、
全体の流れを見る目を持って、
自分と自分の家族を守ってもらいたい。
幼い命が
ますます危機にさらされている現状を
深く憂えるものである。
(画像と記事の内容は関係ありません)
無二の親友 ~突然の来訪を喜ぶ~
子曰く、
学んで時に之を習う、亦(また)説(よろこ)ばしからずや。
朋(とも)あり遠方より来(きた)る、亦楽しからずや。
人知らず、而(しかう)して慍(いか)らず、亦君子ならずや。
(論語・学而編)
(勉学の大切さ、親友の大切さ、おおらかな心の大切さを説いている)
昨日、
鹿児島の私の無二の親友から、
突然の電話。
同じ学部を卒業後、
1年に2、3回電話で話すだけの友であるが、
でも、
彼とだけは、
いつ話しても
昨日会ったような感じで話ができる。
学生時代からの付き合いは、
家族ぐるみで
一片の嘘隠しもない付き合い。
こんなに信頼のおける友はいない。
そんな友から、
突然の電話。
無二の親友からの
突然の電話は、
決して不幸な電話ではないことが分かっている。
なぜなら、
そんなことだったら
決してお互いに電話はしないからである。
「ひょっとして、今東京?」
推測はぴったりであった。
それに応えて言う。
「明日そこへ行きたいのだが居るだろう?」
こちらの都合などまるで聞いてこない。
そんな関係である。
そして今日、
彼は我が家にやってきた。
昨日も来たような顔をして。
お互いに
「おう!元気そうだな」
この一言で
長い間のご無沙汰は解消。
久しぶりに
積もる話もあるのだが、
何せ昨日も来たみたいな顔をして、
お互いが話すものだから、
深刻な話にはなにもならない。
昼食に、
遠来の客を迎えながら、
うどんなどを食べて、
「この年齢(とし)になると体のあちこちに不具合も出てな」、などと、
「ガン」の話など軽くする。
こちらも驚かない。
「俺も先日背中の腫瘍を切除したが、良性だった。」
「そうかそうか、それはよかった」などとこちらを思いやる。
無二の親友とは
こんなものだと
逢う度に感謝する。
その友は
私の以前のブログに
一度登場願った。
彼のことがよくわかるので、
次のブログを是非読んでほしい。
できれば、
読んでからまた、
ここに帰ってきて欲しい。
この中に出てくる友が
今日突然に私の前に現れた
無二の親友である。
さてその彼が
わざわざ鹿児島から持参してくれたのが、
「さつま揚げ」
地元では
「つけあげ」という。
1864年(頃)
薩摩藩が
琉球(沖縄県)の揚げかまぼこ「チギアゲ(付け揚げ)」を
持ち帰ったことが始まりであると言われる。
いろいろな魚が原料で、
その魚によって味も異なる。
ご飯のおかずにも、
酒の肴にも、
大人にも
子供にも、
男にも
女にも
すべてに好まれる
たぐいまれな食べ物である。
それを
わざわざ鹿児島から
下げて来てくれたことがうれしい。
今夜の酒は
格別においしいものになりそうである。
特別な感謝をこめて、
すぐにブログにアップした。
読んでくれるように彼にも連絡するつもりである。
現在娘さん夫婦のところに滞在中。
ちなみに
付け揚げのメーカーはたくさんあるが、
どこのメーカーでも優劣付けがたい美味しさ。
ただ、
顧客対応がこのメーカーが一歩先んじており、
人気では一番かもしれない。
せっかくだから、
包装紙も開示しましょう。
友の病が全快したら、
今度は夜に会って、
酒を酌み交わしながら語ろうと
約束して別れる。
彼は約束を守る男だから、
そんな日は、
すぐに訪れるだろう。
楽しみにして待つことにする。
暖かい愛情と、
暖かいお土産を持ってきてくれた
無二の親友に
感謝をこめて。
「ありがとう!」
シジュウカラ・雨中の水浴び ~遂に目撃!~
庭に来る
小鳥たちを観察していると、
氷の張った寒い日だろうと、
雪の降る日だろうと、
シジュウカラとメジロが
水浴びをする姿を
今まで
しっかりと確認できているが、
雨の日の水浴びは、
さすがにまだ見たことがなかった。
人が雨の日に
海水浴をしないのと
同じだろうかとも思ってみたが、
でも、
海水浴と水浴びは
本質的に違う。
人は
雨の日でも
風呂には入る。
鳥は雨が降っても、
表面を覆っているフェザーだって全く濡れないし、
その奥の羽毛は
なおさら濡れない。
雨が降ったからと言って、
シジュウカラの体が
きれいに洗われるわけではない。
だから、
雨が降ることと、
水浴びをして羽毛の手入れをすることとjは、
全く別次元の問題。
鳥が奇麗好きで、
羽繕いが
命を守るために非常に大事な行動ならば、
小鳥たちは
雨の日でも
どこかで必ず水浴びをするはずだと、
確信していたのだが、
今日はその
雨の日の水浴びを遂に目撃した。
武蔵野は
朝から久しぶりの小雨。
チャリでは外出もできないので、
カバーをかけ、
植物がさぞかし喜ぶだろうと、
その雨を楽しみに眺めていたら、
水盤にシジュウカラ。
「なぬ?」
私は、
雨だからといって、
水盤に
雨水を溜まるに任せていることはない。
雨の日でも、
必ず水を入れ替えてやっている。
その水盤に
よもやのシジュウカラの姿。
小雨ではあるが、
チャリにカバーをかけてやった程度の雨ではある。
その中での水浴び。
土砂降りではないが、
雨は雨。
そんな中でも
やはり小鳥たちは水浴びをする。
自分の想定が
当たっていたことを証明するような水浴びの姿。
水盤を置いてあるところから、
カメラを少し引いてみよう。
周りが濡れているのがお分かりだろうか。
小雨なので、
土に染み透るほど濡れてはいないが、
傘をさしたほうが良い程度の雨ではある。
しばらくしたら、このように濡れて来た雨の量。
雨の日が
もし3日も4日も続いたら、
シジュウカラなどは、
きっとフェザーや羽毛の
余分な脂粉が気になってくると思う。
毎日水浴びしている身には、
たまらなく嫌な気分になることは
容易に想像できる。
だから必ず
どこかで水浴びをしているはずだが、
雨に日には、
なにも我が家の庭まで来なくても、
近くの森に
たくさんの水たまりができ、
そこで充分に間にあうのかもしれない。
雨の日でも
風呂に入る人間と一緒で、
シジュウカラもやはり、
雨に日でも水浴びをするのだ、と
確認できた今日の我が家の庭でした。
閻魔スズメの鉄槌 ~子育てで思うこと~
我が家の庭に来るスズメは
多くて10数羽。
2代遡れば
みんな一族なのだと思うのだが、
自分の子供といえども、
巣立ってしまえば
餌を奪い合う敵同士。
弱い生き物だから、
群れてはいるが、
餌を前にすると
敵意がもろに現れる。
スズメの仲間を率いる
閻魔スズメの一面。
「おい!お前はあっち行け!」
あっち行け!ったって、引っ張っているからあっちへ行けない。
「イテテテ!」
どきたくないから一応はこらえます。
動かないと見ると、
閻魔スズメは距離を置くため、少し後ろに下がります。
ひねりを入れて、思いっきり引っ張る。
引っ張られている方は
たまらず白眼を剥きます。
「あっち行け~!」
「あっち行け~っ」、たって、
引っ張ってればあっち行けない。
それって
「こっちこい~!」じゃないの?
「うるさい!」
頑張っていましたが、
たまらず足が離れます。
「イテテテテ!」
咥えたが最後、閻魔スズメは離しません。
閻魔さまは、どこにいても執念深い。
「ウワァ~~ッ!」
引っ張られて前に吹っ飛んで来たものだから、
閻魔スズメもたまらない。
思わず後ろへこけそうになりながら、
それでもかろうじて羽でバランスを取り
威厳を保ちます。
「おっと危ない!お前、急に来るんじゃないよ!」
「そんなこと言ったって、
自分が引っ張っているんでしょう?」
かろうじて落ちるのを防いで立ち直り、
また、
「お前、早くあっち行け!」
「あっち行け」と言いながらこっちに引っ張っておいて、
まだ
「あっちに行け」と言っているんだから
「どっち行けばいいんだよ」、と言いたそうな顔をして、
この後
引っ張られたスズメは
あっちではなくこっちの方へ行ってしまいましたが、
最初の「あっち行け!」で抵抗すると
こうなるようです。
スズメの世界も
仲良く見えて、
決して楽ではなさそう。
それは
スズメに限らず、
人の家族でもみんなそうです。
仲の良い家族に見えたのに、
一夜明けたら無惨な殺人事件。
そんなことが良くあるご時世ですが、
そんな家族は、
寝たら今夜殺されるかもしれない、と
感じているのだろうか。
もし、
なにも感じていない家族に
突然起こる現象であったら、
決してそれは
自分だって
他人事ではない。
子供達に、
指導のつもりで怒っているはずが、
我欲で憎しみをぶつけているだけになっていないか、
もう一度考えてみる必要がある、
・・・・・・・ かもしれない。
だから、
子育ては、
何と言われようと
ありったけの愛情を注いで、
褒めて育てるに限る。
閻魔スズメからは、
いろいろなことを考えさせられた。



















