先週5月12日(日)は視覚障がい者スボーツ ブラインドボクシングの練習でした。

最近はなかなか動けていないので、月に1回の練習はなかなかハードです。 


 この日は練習参加者が、4人だったので、ミットやスバーリングの順番が早く回ってきて、最後はバテバテでした。


https://youtube.com/watch?v=RLB5rkVn-XE&si=J-0adm4GC48JPAc6






 現在、練習は愛知県体育館のボクシング室で開催していますが、建て替えで使えなくなってさしまうそう。 


 先週木曜日に総合リハビリセンターの体育館7月の利用調整会に行きましたが、競争率が激しくて取れませんでした。 


 どこか練習できるところ、ないかなぁ? 



私は常に物事を「楽観的」に考える習性がある。

 

楽観的とは、ものごとがうまくゆくものと考えて心配しないこと。

 

でも、がんになった当初は「楽観的」に考えるなんてこと出来るはずもなかった。

 

がんになってすべてがうまくいかなくなり、将来の自分や家族の心配は募るばかり・・・・

 

楽観的とは間逆の悲観的にばかり考えていた。

 

それが変わったのは、サラリーマンを辞めたとき。

 

これまで歩んできた自分の人生にピリオドを打ったのだ。

 

今というときは過去の延長線上にある。

 

その延長線上を歩んでいてがんになったということは、これから先もこれまでと同じ事をやっていたら、同じところに向かっていたら・・・・・

 

結果が変わるはずもないと思った。

 

なので、これまでの自分の生き方と向かっていた方向へ歩むことにピリオドを打ち、新しい人生という文節に入ったのだった。

 

その時から、がんになった時までの人生は過去ではなく、新しい文節を良いものにするための資源となった。

 

では私が描こうとして新しい文節のストーリーは?

 

がんになったことで、素晴らしい人生を得たというものだった。

 

小説を書くときストーリーは自分の思い通りに書くことが出来る。

 

なら、どんなストーリーが良いか?

 

楽しい方が良いに決まっている。

 

だからそれ以来は、すべて楽観的なのだ。

 

過去という足かせを取ったのだから、あとはどうなろうと今を楽しみ、まだ来ぬ未来も楽むしかない。

 

過去が資源となれば、そこから巡らすストーリーは思い通りだ!

 

 

 

ガンになった人生、良く良く現実を見てみれば、そんなに悪いことばかりでもないはず。

 

だって今こうやって生きていられるのだから。

 

支えてくれる人も、応援してくれる人もいるし、生きていられるだけの機能はちゃんと揃っている。

 

人工呼吸器に繋がれていたときから比べれば、 雲泥の差だし、どんどん出来ることも増えてきた。

 

 

 

私はそうやって小さな出来たこと、良かったことに可能性を見つけて、一歩一歩前に進んできただけなのだ。

 

そんな経緯を経て思うこと。

 

楽観的とは、どんなことでも可能性につなげるという、人生を楽しむ姿勢。


つまり悪いことや、出来ないことを肯定的に捉えやってみようという姿勢のような気がする。

 

 

以前、こんなタイトルの本を買って読んだことがありました。

 

その内容はあまりよく覚えていませんが、私は闘病という言葉は嫌いです。

 

まぁ、格闘技大好きで、仕事でも勝ち組になるために必死に頑張ってきた私が言うのも何ですが、闘って勝って、その後にいったい何が残るのでしょうか?

 

今日はそんな私が、闘うことや勝つことに価値を見出すことをやめた理由、そしてガンと闘うな!という訳を書こうと思います。

 

 

私はサラリーマン時代、競争社会にどっぷり首まで浸かっていた。

 

強くなりたい!勝ちたい!、1番になりたい!そんな気持ちの塊だった。

 

なのであえて闘いに向かって進んでいった。

 

サラリーマンになって上司や先輩の言うことに屈しなければいけない屈辱を晴らすために、ボクシングを始めてプロになでなったというくらいの闘い好きだった。

 

今では想像つかないでしょ(笑)

 

当時は闘うことでしか、自分が自分でいることはできないと思っていた。

 

だから、がんになった当初はまた病気や現代医療を新しい敵と捉えて闘った!

 

しかし、あるとき闘いというステージにいる限りは、勝たなければ前に進めないとうことが解った。

 

また、闘っているときは前には進んでいないことも解った.

 

そして、たとえ勝ったとしても、勝ったことでまた敵が出てきて、闘わなければいけなくなる。

 

それは勝ち続ける限り永遠に!

 

癌と闘う!

 

それは私が否定してきた癌治療とまったく同じ考え方だったと気づいた。

 

闘いは怒りや憎しみを生み、さらに敵を作る。

 

怒りと憎しみで、がん細胞はさらに増えていく・・・・

 

私は闘いに終止符を打つことを決めた。

 

それなので、以前の患者会を辞めた。

 

癌という敵を見つけて戦っていたら前に進めないし、ずっとその敵と一緒に過ごすことになるではないか。

 

だから私は癌や敵に囚われず自分の人生を前に進むことにした。

 

そうすれば、癌や敵は必然的に遠ざかり、見えなくなるはずだと思った。

 

その結果、今 私の近くには癌も敵もいない。

 

とはいっても私たち人間の体にはがん細胞は必ずあるから、決してないわけではなく、私の目には入らない。

 

つまり無敵ということなのだ。

 

現在、ノーマカフェでは多岐にわたり様々な活動をしていますが、そのすべての活動の中心にあるのが「関わりをつくること」


東郷町で家族のような関わりを創出していく「ささえあい家族プロジェクト」を進めているのです。

 

今日は私が思う「関わり」の大切さを書こうと思います。

 

それはすべて他とのかかわりで成り立っていると思う。

本来、自分だけで得られるものなんてない

土地、食べ物、すべての物質、時間、自分の身体でさえ自分だけで得られるものではない

その証拠にすべて自分の思い通りにはならない。

なのになぜか「お金」が介在するとそれが「当然」「当たり前」と権利を主張するようになる。



お金を払ったから「わたしのもの」と

そしてお金があれば幸せ
なければ不幸せ・・・・

しかし私は思う

お金で買えないものの大切さを

それは目にみえないもの


それを一言で言うと“かかわり”

すべてのものは“かかわり”によって成り立っている

人と人、人と自然、自然と自然

土地、食べ物、すべての物質、時間、そして自分

かかわりがなかったら存在していないのではないか?

それなのにお金、つまり経済性を優先するあまりに、その大切なかかわりが見えなくなってしまってるのが現在だと思う

今のかかわりはほとんどのものに“お金”とのかかわりが介入している

そして本来大切なかかわりが見えなくなってしまっているとおもうのだ

ということは、お金がなければ大切な”かかわり”が見えてくる

とはいってもお金が要らないと言っているわけではない

お金の価値を“物質”ではなく“かかわり”にみつけるようにならなければいけないと思う

そうすれば様々な問題は解決するような気がする

環境、教育、家庭、医療、食料・農工商のありかた・・・・

質より量や価格

中身より外見

深いより浅い

関係性より体裁

実践より情報や知識

みんな、かかわりが 薄いものばかりが優先するされているような気がするのは、私だけだろうか?

かかわりを大切にすると、金儲けにはならないようになってきてしまったような気がする。


みんな昔と比べると、便利快適になった分、“かかわり”が少なくなっているのでは?

だから、私はノーマカフェやめぐみの会で、一過性ではなくちゃんと〝かかわり〟を作っていく活動に切り替えた。

人と人との、かかわり

人と自然との、かかわり

人とものごととの、かかわり

たぶんそれば、ちゃんと地に足をつけて、同じところ、同じ人と、同じ時間を過ごすことを大切にすることで、みつかる新しい価値となっていくような気がします。

17年前ガンになり、当初は「なんとか生き残りたい!」「死にたくない!」と必死にあれこれ学び、情報を得て、実践もしてきた。


しかし、あるときから「適者生存」という言葉を知り、必死に探したり、あれこれ頑張るより、自分が変わることが一番必要だと思うようになった。

「適者生存」とは、イギリスの哲学者・社会学者ハーバード=スペンサーによって提唱された生物進化論で、生き物は、環境に最も適したものが生き残り、適していないものは滅びるということ。

今、日本では2人に1人ががんになり3人に1人はがんで命を落としている。


さらにその数は毎年1万人近く増え続け男性のがんで命をなくす人はは2人に1人に限りなく近づいている。

私はこの状況は「適者生存」という言葉に当てはまるような気がするのだ。

「もっとも強い者、最も賢いものが生き延びたのではない。
変化に適応したものが生き延びたのだ。」


とダーウィンがいったという説があるが、これが適者依存という言葉を表現しているような気がする。

人間が作った今の時代の環境に人間は適応できなくなってしまい、がんや原因不明の病などが増えつつけ命をなくす人が増え続けているような気がするのだ。

自分たち人間が作った環境に、生き物としての人間が対応できなくなりがんや難病が右肩上がりに増え続け絶滅に向かっている。

いくら対処療法で一時的に症状を抑えたり無くしたりしても、結局は再発するのは発病した環境や生き方という人間が対応できない環境に戻っていってしまうからに他ならない。

その証拠にがんが治った多くの人は、環境を変えたり生き方を変えたりして、自然に近い人間に適応した環境や生き方に変化している。

そこに気づかなければどんなに医療が進歩しても、がんは少なくならないし本当の意味での治る病にはならない。

そして私たち人間もこのままいった恐竜のように絶滅してしまうかもしれます。

それを避けるためには、人間が強く賢いという意識を手放し、自然という生き物が生きる上で一番適した環境でいきるひとつの生き物に過ぎないということを認識しなければいけないと思う。

今の社会環境はすでに生き物が生きていくために適した環境ではなくなってしまっている。


きっとそのストレスがガンという病を導いたような気がする。


だから、私は自然なものを食べ、自然に近い生き方に変え、そして今こうやって生存している。


今の時代、あまりにも自然から離れすぎた変化に対応できなくて多くの人が病になってしまっているのでは?


人も自然の中の生き物の一つの種。


だから、生きる上で一番適した環境は何なのか?を省みなければいけない。


特にガンになったときこそ。


そんな意味でもう一度「適者生存」という言葉を考えてみる必要があると思う。