目で見たもの、心で感じたことを「ありのまま」受け止める。
簡単なようでとても難しいことです。
その一番の理由は視覚や聴覚から入る情報があまりにも多いからのような気がします。
そしてその情報によって主観が出来上がり、見たもの=主観的な囚われとなり、自分で勝手に怒りとか悲しみ、不安、喜びといった感情を作ってしまうのです。
そこに他人という第3者が、その人の主観で割り込んでくるともうにっちもさっちもいかなくなり思考と感情がグルグルと交錯して絡まった糸のようになってしまうのです。
私がガンになった時がその最たるものでした。
〝精密検査の結果、食道がんの進行がんだった”という事実だけで、この宣告を受ける前日と何も変わっていないにもかかわらず、心は大きく揺れ動き不安と悲しみでいっぱいになりました。
私の場合は会社に行かなくてもいい喜びもありましたが(笑)
そしてその翌日から情報漁りです。
とはいってもガン初心者には抱えきれないほどの情報があり、さらには真逆の情報なんて当たり前の世界です。
そこにもって、不思議なことにガンになってみると、いたるところでガン=死の情報が入ってきてしまうんですよね。
それも悲惨なことばかり・・・・・
そこに第3者の情報が入ってくるのでさらにどうしていいかわからなくなってしまうのです。
ああしたほうがいい、こうした方がいいと。
お世話になた人や友人知人・・・・
それぞれがそれぞれの主観に基づき情報も持ってきてくれるようになります。
その人のために、親切で、といった思いやりの気持ちという重りをつけて・・・・
こうなると患者は自分の意思との狭間でさらに苦しむ結果になるのです。
私の場合も、がん告知をうけて1週間で知らぬ間にがん患者になっていました。
自分はがん患者になってしまったんだという現実、もう一方で自分の意志とは関係なくすすで行く病院での治療行為。
そうやって患者の心は自分の意思が届かない無力感に苛まれ、体にも負担がかかる治療で本当の意味でのがん患者にされてしまうのです。
私は以前がん患者会の会長をやっていたので多くの患者さんの本音を聞く機会がありました。
そこで感じた事は、みんながよくなって欲しいと思っているのに、それがどうして患者さんにとって良いことにはならないんだろうということでした。
私が最近得たその答えが〝主観”が入ってくるからということでした。
人は100人いれば100人の主観があり、何が良くて何がようないかという基準の全て違います。
それを一気に受け入れなければいけなくなってしまうのががん患者なのです。
まさに読んで字のごとく癌
様々なものが山になってしまう病気なのです。
そんな経緯を経て私が行き着いたことが、主観を入れず、ありのままを表現すること。
ありのままとは、自分の経験したこと、感じたことだけを表現すればいいのです。
何が正しいのか、何が間違っているのかという判断は患者さんに委ね無理に導かせようなんて思わないことです。
私も以前は導びかないといけないと思っていましたが、それは自分のエゴにしかすぎないと思うなりましたようなりました。
医者や治療家も然り。
つまり主体性はすべて患者さんにあるという意識をお互いが持つことが大切なのではないのでしょうか?
それが患者さんにとって、自分で自分の責任を取るという、主体性を手に入れることにつながると思うのです。
ガンを含めた慢性疾患が治りにくい理由はここにあるような気もしています。

