普通の人は絶望と希望は対極にあると思っているが、私は同じところにあると思っている。


読んで字のごとく、絶望とは望みを絶たれた状態で、希望とは望みを希(ねが)っている状態。



言い換えれば希っていた望みが起たれた状態が絶望なのだ。

私も癌になって絶望感を味わった。

今まで希っていた人生設計が絶たれたと思った。

しかしその希いは自分で勝手に作って、自分で勝手に絶ったことに気づいた。

希望への山を登っていて、絶望という谷底に落ちたのではなく、同じところにいるのに振り返って谷底を見てしまい恐怖と不安に囚われたのだ。

自分が勝手に谷底を見ただけで自分の状態は何も変わっていない。

私が絶望感に浸りきっていた時も、よくよく考えると結局は癌宣告されただけで他には何も変わっていなかった。

その後、手術をして「体を切り刻まれたが、体も意識も存在していたし、周りの環境もなにも変わってはいなかった。

すべて自分で望みを絶ってしまっただけなのだ。

ではそもそも望みって何なんだろうか?

私の場合は、ああなりたいこうなりたいという願望であった。

願望を希望とを一緒にしてしまっていた。

そして希望も絶望も同じ位置にあり、希望を持つとは希望の方を向いている状態ということだけなのだ。

つまり希望とは持つものではなく、生きる姿勢のようなもの。

希望は必ずあると信じて前を向いて進むこと。

あるけど希なので非常に小さくて気づかないだけなのだ。

だから人生はその、希なものに気づくためにあると思うようになった。

だから私は希望を持てとは言わない。

だって既に自分の中にはあるんだから。

それを探すために積極的に生きることが希望を持って生きることだと思う。