わ
今朝の中日新聞朝刊 なごや東版に「市民が考える今年の漢字」に選んでいただき、掲載していただきました。
今年の漢字は「転」
今年は様々な意味で「人生の転機」を感じた年でした。
これまでの人生の転機と捉えて、来年以降はどう「結」に向かうかを考えて進んでいきたいと思います。
そんなことで、今の気持ちと今後の活動について書きましたので、最後までお読みいただけると有り難いです。
2024年も残すところ5日となりました。
思い起こせは2年前の年末、2022年の12月22日の眼科検診で「緑内障が非常に危険な状態で発作で失明する可能性もあるから明日、名大病院に行けないか?」と言われ、翌日23日に受診。
そこで緑内障の専門医に「すぐ手術をしたほうがよいのだが、年末年始が入るので年明け5日入院で8日に手術」となました。
その年の9月に緑内障の末期と診断され、手術を勧められていたのですが、東郷食守族のオープンを控えていて入院している状況ではなかったので、薬で様子を見ていたのが、その効果もなくのっぴきならない状態になってしまいました。
それから2年、手術がうまくいき、多くの方の手助けもあって、お蔭で何とかここまでノーマカフェの活動も継続しながら普通に暮らせています。
本当に有り難いことです。
とは言っても、緑内障は治る病気ではなく、実際に視野も視力も少しずつ悪くなってきているので、たぶんこの先は更に多くの方の手助けなしでは生きていけなくなると思います。
しかし、それでも私的には何か人の役になったり、手助けしたりできたらと思っています。
どんな人でも生きているということ自体に、何らかの役割があります。
見えなくなったこの先、どんな役割があるのか?
私が現在、理事長をしている特定非営利活動法人ノーマCafeは設立当初は障がい者の就労準備を目的としていました。
ノーマCafeの名称は「ノーマライゼーション」とは、障害をもつ者ともたない者とが平等に生活する社会を実現させる考え方です。
4年前、この障害という対象を「生きづらさを抱えて生きていると人たち」に置き換えて活動を始めましたが、「結局、ここに導かれたか」と思っています。
私がこの活動で一番実現したかったことは、「支える側も支えられる側もない、すべての人が当たり前に助け、助けられて生きていける地域や社会づくり」
だから自分が視覚障がい者となり、そしてまったく見えなくなってたこの先も、何らかの役割を持ち、できる活動を継続していきたいと思っています。
しかしその為には、できること、できないことを見極め、できないことは辞めていかないといけません。
これからこの活動を継続していくには、今までのように私が主体となっての活動には限界があります。
したがって4月までに「この先、主体となってやっても良い」と言ってくれる人が出てこないものは止めていこうと思っています。
『途中で投げ出して』と言う方もいると思いますが、いつ見えなくなるかわからない今、まだ見えるからといって先延ばしにすることは出来ません。
とは言っても、少しでも見えるうちは何らかの形で関わり、私ナシでの活動としていくためのバックアップをしていきたいと思っています。
その中でもし、見えなくなっても出来ることや何らかの役割があればやっていけれれば有り難いこと。
私個人的には、何か視覚障がい者の活動をやっていきたいと思っています。
2年前までは、目の方はまだまたなんとかなるという願望に近い現実逃避的な思考でやってきましたが、突然の緑内障発作の危険が高くなっての、一昨年正月明け直ぐの手術で現実に引き戻されてしまいました。
そんなことで、この先今年度中に来年度も私抜きでこの活動を継続できるる道を様々な道や手段を探っていきますので、ノーマCafeの活動に関心があり、何らかの形でお手伝いいただける方がいましたら、ご協力いただければ有り難いです。
宜しくお願いします。
メルマガやブログ、facebookなどでのこのような文書での発信は今年いっぱいで書くことは止めて、来年以降はこれまでに出版した著書の文章をそのまま転載して発行していきます。
コメントなどは見たり、返事をしたりすることは可能な限りは続けたいと思っています。
実はこの1年半くらいは、実際にすべて書いていた訳ではなく今までのメルマガやブログでの発信を少し手直しをして発行していました。
しかし、それもスマホもパソコンも一部しか見えない視野では、そろそろそれも限界になってきた。
また、めぐみの会も今年いっぱいでホームページも閉じて、すべて終止符を打ちます。
本当に長い間、ありがとうございました。
この先、さらに移動は困難になってくるので、できる限りは『お米カフェ@東郷食守族』に在籍していようと思っていますので、お時間あれば会いに来て下さいね。
2024年も残すところ5日となりました。
思い起こせは2年前の年末、2022年の12月22日の眼科検診で「緑内障が非常に危険な状態で発作で失明する可能性もあるから明日、名大病院に行けないか?」と言われ、翌日23日に受診。
そこで緑内障の専門医に「すぐ手術をしたほうがよいのだが、年末年始が入るので年明け5日入院で8日に手術」となました。
その年の9月に緑内障の末期と診断され、手術を勧められていたのですが、東郷食守族のオープンを控えていて入院している状況ではなかったので、薬で様子を見ていたのが、その効果もなくのっぴきならない状態になってしまいました。
それから2年、手術がうまくいき、多くの方の手助けもあって、お蔭で何とかここまでノーマカフェの活動も継続しながら普通に暮らせています。
本当に有り難いことです。
とは言っても、緑内障は治る病気ではなく、実際に視野も視力も少しずつ悪くなってきているので、たぶんこの先は更に多くの方の手助けなしでは生きていけなくなると思います。
しかし、それでも私的には何か人の役になったり、手助けしたりできたらと思っています。
どんな人でも生きているということ自体に、何らかの役割があります。
見えなくなったこの先、どんな役割があるのか?
私が現在、理事長をしている特定非営利活動法人ノーマCafeは設立当初は障がい者の就労準備を目的としていました。
ノーマCafeの名称は「ノーマライゼーション」とは、障害をもつ者ともたない者とが平等に生活する社会を実現させる考え方です。
4年前、この障害という対象を「生きづらさを抱えて生きていると人たち」に置き換えて活動を始めましたが、「結局、ここに導かれたか」と思っています。
私がこの活動で一番実現したかったことは、「支える側も支えられる側もない、すべての人が当たり前に助け、助けられて生きていける地域や社会づくり」
だから自分が視覚障がい者となり、そしてまったく見えなくなってたこの先も、何らかの役割を持ち、できる活動を継続していきたいと思っています。
しかしその為には、できること、できないことを見極め、できないことは辞めていかないといけません。
これからこの活動を継続していくには、今までのように私が主体となっての活動には限界があります。
したがって4月までに「この先、主体となってやっても良い」と言ってくれる人が出てこないものは止めていこうと思っています。
『途中で投げ出して』と言う方もいると思いますが、いつ見えなくなるかわからない今、まだ見えるからといって先延ばしにすることは出来ません。
とは言っても、少しでも見えるうちは何らかの形で関わり、私ナシでの活動としていくためのバックアップをしていきたいと思っています。
その中でもし、見えなくなっても出来ることや何らかの役割があればやっていけれれば有り難いこと。
私個人的には、何か視覚障がい者の活動をやっていきたいと思っています。
2年前までは、目の方はまだまたなんとかなるという願望に近い現実逃避的な思考でやってきましたが、突然の緑内障発作の危険が高くなっての、一昨年正月明け直ぐの手術で現実に引き戻されてしまいました。
そんなことで、この先今年度中に来年度も私抜きでこの活動を継続できるる道を様々な道や手段を探っていきますので、ノーマCafeの活動に関心があり、何らかの形でお手伝いいただける方がいましたら、ご協力いただければ有り難いです。
宜しくお願いします。
メルマガやブログ、facebookなどでのこのような文書での発信は今年いっぱいで書くことは止めて、来年以降はこれまでに出版した著書の文章をそのまま転載して発行していきます。
コメントなどは見たり、返事をしたりすることは可能な限りは続けたいと思っています。
実はこの1年半くらいは、実際にすべて書いていた訳ではなく今までのメルマガやブログでの発信を少し手直しをして発行していました。
しかし、それもスマホもパソコンも一部しか見えない視野では、そろそろそれも限界になってきた。
また、めぐみの会も今年いっぱいでホームページも閉じて、すべて終止符を打ちます。
本当に長い間、ありがとうございました。
この先、さらに移動は困難になってくるので、できる限りは『お米カフェ@東郷食守族』に在籍していようと思っていますので、お時間あれば会いに来て下さいね。
「怒り」それは毒
怒ってばかりいること、それは自分で毒を飲んでいるようなもの。
親や家族、上司や部下、行政や政治家・・・・・
・
以前の私もすべて当てはまる。
毒をも飲んでいれば心や身体がおかしくなるはずだ。
当時を振り返ってみると怒りの根源には自分への囚われがあったように思う。
自分の思い通りにしたい
期待通りになってほしい
でも他人が自分の思い通りになるはずがない。
怒りと言う武器を使って思い通りにしようとする。
信じていたのに裏切られたと怒る。
勝手に自分が信じただけなのに相手が悪いと・・・
すべて他を拒絶している。
その原因は自分に囚われているから。
私は癌になって「自分は何も悪いことをしていないのにどうして」と怒り
思い描いた未来を奪った癌に対して怒りを覚えた
しかし15時間の手術を終え人工呼吸器に繋がれたとき自分の意思では何もできない無力な状態になったとき、私を生かせてくれたのは他人なのだと気付いた。
何も出来ずに苦しんでいる自分
そんな私に笑顔で接してくれ力つけてくれるる他人
自分への囚われが取れた瞬間だった。
このときの体験があったからこそ、今がある。
他人がいなければ、今私は生きてはいない。
そう思うと病にならなくても人は他人なしでは生きてゆけないのは当たり前のはず・・・・
でもそんなことを思ったこともなかった。
どうしてか?
すべて自分の視点からものごとを見ていたからだ。
当たり前だけど他人がいるということの根本には自分の存在がある。
自分がいなければ他人も存在しないことになる。
しかし現実は自分がいなくても他人は存在するのだ。
集中治療室のベットの上で人工呼吸器につながれている自分は何もできずただそこに存在していた無力な私。
その周りであわただしく動いている他人。
この人たちの目に私はどのように映っているのだろうか?
そのとき、なぜかもう一人の自分から全体が見えたのだ。
多くの患者さんを見ながら、仕事をしながら、私のことを見てくれていた。
それが仕事だと言えばそれまでだが、まったく無力な私には何よりも有り難かった。
以後、私は自分への囚われをなくそうとしてきたがこれは結構難しい。
そのためにト身に着けている囚われの元を少しづつ捨て、仕事も捨てた。
するとやるべきことが勝手に降りてきた。
今まで何も考えずにそれをやってきただけ。
その過程でなんども「囚われ」がよみがえってきたこともあったが、私には病院のベットでの原点があったから、捨てることができたと思う。
いまは元気ななった自分。
それは何もできなかった時にいたたくさんの人のおかげ。
そんな状況からここまで来れたのもたくさんの人のおかげ。
だから、多くの人から頂いたものや自分の体験をとおして感じたことを多くの人と分かち合うことが、元気になった自分の命の使い道だと思っている。
そう思って、この18年間、様々な活動をしてきたが、目の病もありそろそろこれから先、出来ること、出来ないことを選択していかないといけない時となってきた。
今年最後の発信となる明日、そのあたりをお知らせしようと思います。
明日はクリスマスイブ、ワクワクしてますか?
私もさすがにこの年齢になるとクリスマスだと言ってもワクワクすることまではありませんが、食守族の利用者さんには愉しんてもらおうと思い、クリスマスプレゼントをお届けしようと思っています。
私はこれまで自分がワクワクする生き方をしてきましたが、いつの日からか周りの人にもそれを広けて生きたいと思うようになり、わんぱく族や音楽族などの活動をスタートさせました。
その理由は、それが私の魂が喜ぶ生き方。
そしてそれが、ガンを超えて生きることになると思ったからでしそ。
人間の一番免疫が高い状態とは、魂を開放し、今という瞬間を「魂が喜ぶこと」をすること。
すなわち「嬉しいこと」「楽しいこと」「人から喜ばれること」をすれば免疫は自然に上がるのです。
でも、普段の生活や環境の中ではなかなかそれができない・・・・
だから、免疫が下がり病になるのです。
私がガンになる前を振り返ってみると、楽しい、嬉しいなんて感情はほとんど失い、怒りや焦燥感、そして無気力になっていたような気がします。
魂と共感しているかどうか?
それを知ることができるのが「ワクワク感」
私はこれまでの経験から、ワクワクする気持ちこそが魂の喜び。
そして、その逆で胸がモヤモヤする気持ちが魂の悲しみ。叫び。
私はそんなことを感じ始めて、常にワクワクする方向に進み、モヤモヤするときは一度立ち止まって歩みを違う道に変えるようにしました。
すると不思議なことに、その時は「本当に大丈夫かな?」と不安になることはありましたが、信じて前に進むと、最終的にはよい結果に結びつくようになったのです。
そしてワクワクしている時はガンという病からも、離れている時だということも解りました。
ワクワクしている時は、楽しくて不思議に頭の片隅にもガンのことはなくなっているのですよね!
その逆でモヤモヤしているときは、何か不安でどうしても悪いことを考えてしまいますよね。
そして楽しことをしていれば、副交感神経が優位になり免疫はあがり、自ずと自然治癒力もアップします。
また、モヤモヤしているときは心も不安定で交換神経が優位になり、病になりやすくなるし、病も治り難くなるということになります。
そう思うとモヤモヤ、イライラという感情は、今の自分が向かっている方向に対しての「本当にこれで良いの?という自分からの警告」
ワクワクは「このまま進め!」というエールだと思うよい結果になりました。
この心からのメッセージは本当に有難い道標になりますね。
病に焦点を当てて闘ったり、逃げたりするのではく、自らに焦点を当てて生きる力を養うという意識を持つことが、良い人生を送ることに繋がるような気がします。
たとえ病があったとしても。
まもなく新しい年を迎えますが、来年も魂が喜ぶ生き方をしてゆきましょう♬