無駄を大切に!
私たちが「無駄」という言葉を使うはどんなことでしょうか?
「生産性がないこと」
「目的がないこと」
例えば生産性がない時間を過ごすことを「無駄な時間」と言います。
私もサラリーマン時代には、家族との時間や自宅で何もせずボーとする時間は無駄な時間だと思っていました。
お金にもならないし、学びにもならない。
なんて無駄な時間を過ごしているのだろうと・・・
朝早起きして散歩している人を、時間が有り余っているから散歩なんて出来るのだと思っていました。
また目的のないことをするのも時間を過ごすことも無駄な時間でした。
目的のない人間関係や集まりは、すべて無駄な時間。
私は、自分の持っている時間をどれだけ効率的に使うかで、人生の勝ち負けが決まると思っていたのです。
しかし今思うと、無駄を省くのと同時に「人間らしさ」を失っていたような気がします。
生活しているのはコンクリートジャングル
会っているのは、顔の表情がいつも同じで作り笑いばかりの人
食べているのは誰が作ったかわからない、機械的に作られたもの
無駄を省いたそこに人間らしさはありません。
私は癌になって、そして仕事をやめたことで、やっと人間らしい生き方に戻ることができました。
以前とは真逆です。
そして今は、以前無駄だと思っていた時間の中にほとんどいます。
家族で過ごす時間、自分で作る料理、様々な分野の人との出会い、自然の中での農作業、目的のない対話、瞑想や読書・・・・
がんになる前は無駄だと思っていたこれらのもののなかに大切なものがある。
更には「無駄」の中にしか大切なものは無いとまで思うようになったのです。
無駄とは、車のハンドルや、ブレーキなどにある「あそび」のようなもの
「あそび」の範囲はハンドルを動かしても車のタイヤは動きませんし、ブレーキを踏んでも止まりません。
それだけを考えれば「無駄」な範囲です。
しかし、もし「遊び」がなかったら、ちょっとでもハンドルを動かすとすぐ曲がってしまい、軽くブレーキを踏んだだけで急ブレーキとなってしまいます。
そんな状態で車に乗っていたら疲れてしまいますし、事故も多くなってしまいますよね。
つまり「無駄」とは一種の安全装置でもあるのです。
わたしはがんになる前のサラリーマン時代は、仕事に関しては常に100% 全力投球!で「無駄」はありませんでした。
時間がもったいない、無駄を省け、効率を上げろ・・・・
当時の私に限らず、現代社会は、様々な概念や時間に拘束され、生産効率を求められ、無駄を省いて効率を上げろと言われます。
しかし、これでは機械と変わりはありません。
機械ならばそれでも働き続けますが、生身の人間ではいつか必ず壊れてしまいます。
そして実際に壊れてしまったり、壊れかけたりしてしまったのが、癌であり、病であり、うつであり、引きこもり、自殺なのです。
「無駄」
それは生きるために必要不可欠な大切なもの。
だからこそ、そんな状況に陥ったときには、「無駄」というゆとりを楽しむ心が大切なのです。
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