弥山とご縁2◇
こんにちは
続きになります
(遅くなりました;)
私はSさんとお山に入り、
自然と一体のなるなり方や感謝して
お山を歩かせていただくことで、
神様は手をひっぱっていただけること、
山を歩くときにはグラウディングするのではなく
センターリング(天と繋がる)ことで身体の
重さが3分の1になること、そんなことを
お話しながら登りました。
言葉で伝えることが
できても同じ感覚を感じていただけることは
なかなか難しいです。。
自然の中はいつも人の生き方を教えてくれます。
同じ土地、同じ空気、同じ環境の中でもそれぞれが
カラフルに自由に独自の表現をし、決して同じ顔はなく、
それでも調和している
それは個々に天命を全うしているからできる業ともいえるのでは
ないでしょうか。
日本の八百万の神様ではありませんが、全ての生命に神が
宿り、自分の中の神を輝かし現すことで自然と天命を全うする
全体と調和し自然と豊かに生きる道を表してくれるのだと思います◇
日本の神道、八百万以外にもいろんな宗派、考え方がありますが、
霊性を輝かせることに宗派はありません^^
人は生命の中で唯一自ら命を絶つといわれていますが
人間の性なのか、これだけ言語が発達し身体も自由に動く・
ですが、(もちろん素晴らしい方もたくさんおられますが)
隣人が苦しんでいても見る目をもち見ようとしない、
聞く耳をもちきこうとしない、話す口をもち話そうとしない、
調和する為の道具がこれだけそろい悲しいことです。。
特殊なスキルがなくとも、話をきいてあげることは
誰にでもできると思います。それが調和となり相手と
自分の救いとなります
みなさんそうなのですが、自分がこれから何をしないと
いけないのか、それは誰よりも自分が一番知っています。
というよりも本来分かっています。
ですがあらゆる情報の中で生活しているうちに混乱状態に
なってしまいます。
話をきいてあげることは、
雲に隠れぼやけているお月さんから
雲をとりのぞき、お月さんをクリアーにしてあげることと
似ており、それだけでハートの魂・霊(たま)が現れ
その本来のポジティブな力は前進する力となって生きる道の
灯火となってくださいます
うんうんと相手の話を一語一語真剣にのみこみ聞いてあげる
それが相手を救い、またその相手に自分自身が救われます
7合目まで来た時に突然Sさんの膝が痛み出し
少し歩いては休憩を繰り返し、なんとか山頂まで
たどり着きました。
この場所は天河大辨財天が最初に舞い降りたと
いわれている、奥宮です。
私はSさんの膝の痛みや、疲れが自分に
流れるように意識のお祈りをし、そこで20分程
休憩させていただきました。
帰りに不思議なことが起きたのですが、
Sさんは元気になりくだりは登りの倍のスピードで
降りられ、私は逆に身体に全く気が流れず、
奥宮の鳥居をくぐった時点で膝に激痛がはしりました。
Sさんを心配させてはいけないと、気力で歩いていたのですが
身体が限界と痛みで、流石に休憩をお願いし、
その間も太陽を凝視したり、木に身体を寄せ自然のエネルギーを
自分に流れるように一体になるのですが、全く充電されません。
こんなことは初めてで、終に脂汗まで出てきまして
これはもう降りられないと、Sさんに途中で道路に飛び出し
そこからSさん一人で降りていただき車でレスキューに
きていただくという流れで、道路まで足を引きづりながら
なんとか出ることができました。
その時点で気絶しそうなぐらい
身体に力が入らずフラフラになっていたのですが、
信じられないことにそこに一台、軽の車が止まっていました。
今散歩に来ておりちょうど帰るところだったと、全く車の通らない
ところに用意され、私は嬉しい反面
自分の弱さや天の助けに涙が溢れました。
また逆に私にこういうことをしてくれる時間があるのなら
すぐにでもアフリカにいって今苦しんでいる方々を救ってくれと
昨年の旅から過保護すぎる自分に情けなさが出てきました。
予定よりも1時間以上早く下りることができ
後で今朝天河神社でお会いした年配の女性Uさんに
電話したところ、夢の中でRealizeさんが怪我を
されるので天河神社に迎えにいってくださいと
言われました。。
なんといいますか・・不思議です;
話はこれで終わらず、その後膝が全くよく
ならないので、Sさんが奈良市内まで送って
くださり、
途中、私の中で特別な丹生川上神社下社に
寄ってお参りしたいとSさんにお願いし、
神社につくといつもお世話になっている禰宜さんが出てこられ
拝殿までご案内してくださいました。
私が最初に前に出て手を合わせた瞬間、突然雷が鳴り
突風が吹き、浄化の雨が一斉に降ってきました。
私は感謝でいっぱいになり、今この世で心が枯れ苦しんでいる
人達にどうしたらこの雨のように心の雨を一斉に降らすことが
できるのか、そんなことを座っている間ずっと考えさせられ、
悩んだ末一つの光がさしてきました。
その時に自分の生き方、これから先のお役目がはっきりと
魂に刻まれ、それを実現する信念のような今までなかったような
力が湧いてきました。
その後禰宜さんと40分程お話させていただいたのですが
私は仏の話をし禰宜さんやM宮司さんは神職の立場で
お話して下さるのでとてもいい気づきをいただけます。
よくお話させていただくことは、今の世には
蜘蛛の糸ではありませんが、仏で苦しんでいる方々を救い、
救われた方々は天(神)のお導きで天に帰依する生き方を
され幸せになっていただきたい。
世俗的(外的)な楽しみもいいと思うのですが、
内なる幸せに、真の幸せがあり、
外的(物質的)幸せには限界があることに気がついていける
進化の過程にあるのだと思います。
私がこの神社の好きなところは本来の神社の姿がここに
あるからでもあります。
宮司さんも禰宜さんも参拝にこられた方に真剣に笑顔で
お話されます。
本来神社仏閣は生き方が分からず悩める人達がおられたら、
そういう方々を神に繋げる場所としてあり、その中間役の
お役目をいただいているのが神職です。
今、日本の神社庁の流れも本来の姿に少しづつ戻りつつあり
近いうちにある方々で革命が起きると思います
これは余談ですが
どんな宗教でも祈ることの大切さをお話されます。
祈ることも意識の世界ですよね
一週間程前にこんな実験をしました。
15人で輪になり、その中に一人立っていただき
最初に輪の一人に中心の方を持ち上げていただき
次にみんなでその方をピンクの花で意識的にイメージを
していただき、また同じ方にその方を持ち上げてもらいます。
すると中心の方は軽くなり簡単に持ち上がるんですよ
次に黒い花をイメージし、また持ち上げてもらうと
逆に重くなり持ち上がりません。
他にも棺桶やマイナスのイメージ、プラスの白いイメージを
いろいろ試しました。
祈りの力もこれとよく似ており
一人の祈りよりも、二人の祈り、二人よりも三人
必ずその祈りは世界に届き空間の波動を変えていきます
人間の意識の力は簡単に空間を越えていきます^^
神社から帰るときに禰宜さんから今日神様にお供えしていた
梨をいただき、その時に気がついたのですが、もし
足を引きずって弥山を下りていたら間違いなく下山中この
雷とどしゃぶりにうたれており、足を痛めたお陰で
救われました。
最近私が勝手にいっているのですが
神様のタイミングがあると感じています。
神様のタイミングにのれた方はその方が
神社に着くとお祭りがやっていたり、お寺に
いけば御開帳、
その方が建物に入れば雨が降り、外に出れば
雨がやみ日輪が現れる・・・
それは日頃の感謝の大きさが神々のタイミングに
自動調整し、早朝神社の朝拝に参列する、お寺の
説教を聞きに行き一日を始める、また教会で
賛美歌を歌いお祈りをする、そんなリズム、サイクルが
神様のタイミングへ導いてくださるんだと思います
弥山とご縁◇
こんにちは
人生はほんとに面白いと思います。
魂の歩みをし、もうこれで大丈夫!だと
思っていても、天のイタズラなのか因果なのか
ドーンと落とされたり、全てはどう受け取るのかにも
よりますが、平凡を求めていても次から次へと試練が
用意されているように感じます
ですが与えられたものには逃げず一つ一つ感謝して
光に変えながら乗り越えていくことが
今一番にやるべきことなんだと思います
一昨日ちょっとしたご縁で京都の神様と呼ばれている
83歳の女性(Oさん)のご自宅へ行ってきました。
細木数子の神霊師バージョンのような方をイメージ
されると分かりやすいと思うのですが、
弥勒菩薩の化身と呼ばれており、京都駅でその方のお名前を
タクシーの運転手に伝えれば、その方のご自宅へ連れて行って
下さる程有名な方らしいです。
たまたま一昨日は来客が来られなかったので、
Oさんのご自宅で4時間程お話していたのですが、
Oさんのオーラは金色に輝き、見た目は白人
Oさんの考えやこれからの世の中について
お話していたのですが、なぜか逆に考えさせられて
しまいました。
それは彼女のオーラは金色に輝いていますが
彼女の生まれは京都の一等地で2000坪のお屋敷。
手相も素晴らしく、弥勒菩薩の化身はおいておいても
天皇家で生まれた方は天皇のオーラを身につけるように、
彼女もそれに近いものがあると感じ、
その光を神様と呼んでいいのかは分かりませんが、
生まれた環境がその方の波動を作り出すことは
自然なことです。
環境がその方を作り出す。
いい環境であれば、良くなりやすい。
悪い環境であれば悪くなりやすい。
なぜかそこにとても悲しみを覚えました。
Oさんは、まず自分を輝かせようと思ったならば、
一番近いものをいいものにしないといけないと
おっしゃります。
それはまずとても高価な下着を履くことだと
言われました。
どこかセレブに共通するような話が次から
次へと出てきまして、Oさんの娘さんは
小泉純一郎さんや野中さん政治界の方々と
お友達でいろんな写真を見せていただいたのですが、
この日本の中で王家というヨーロッパの貴族では
ありませんが、代々受け継がれてきた血、
それも上流階級というソウルグループが存在するのか、
そんな目に見えない縁が見えてしまい
少し苦しくなってしまいました。
やはり人間は上に立つのではなく、
上に立った者は立たせていただいている
という気持ちで、身を削り、自分から下に
おりていきモノにココロに貧しい人達と
一緒になって励んでいく世の中にならないとと
感じました。
水も上から下に流れていくもの。
どうしても自然界で下から上に這い上がっていくことは
困難です。
最後にOさんがあなたの守護神を見てあげましょうと
おっしゃり、神棚の部屋にご案内され中心に座り
座禅を組んで下さいと言われました。
お経と共に彼女はトランス状態になりその中心に座っている
方の守護神の名前が読まれていくというカタチみたいです。
驚いたのが、彼女が私の守護神の名前をあげていくと
存在する全ての仏の名前が読まれていき、Oさんも
え?何だこれ??
と途中で止まり、
すいませんもう一度やりなおさせて下さいと
最初から始まったのですが、何度やっても
やはり同じように全ての菩薩、如来の名前が
読まれていき、最後に釈迦如来と大日如来の
名前が読まれ、Oさんの声が急に裏返り
腰を抜かしてしまいました・・
あなたお釈迦様と大日如来がついてらっしゃるわよ!
とビックリしたように言われ、
逆にそんなにビックリするということは
私が普段出している雰囲気にギャップがあると
いうことでしょうか;
帰りにこれを差し上げますと、宝珠をいただきました。
翌日、天川のSさんが10月にエジプト(サハラ砂漠)
一週間一日40Kmレースに参加されるので、
そのトレーニングを一緒に弥山でしましょうという
ことで、この日は天川神社裏の琵琶に泊まらせて
いただきました。
翌朝、早朝6時20分頃に天川神社の駐車場へ行くと
なぜか以前奈良市内でカウンセリングさせていただいた
年配の女性が車から出てきまして、凄いタイミングにお互いビックリ
したのですが、理由を聞くと昨日夢の中でRealizeさんを
お迎えにいくようにとお告げがあったんですと言われました。。
私も???と
すいません今日は帰りが遅くなると思うので、
神社の朝拝が終わったら帰られてくださいと
お伝えしたのですが・・
全ては意識の世界◇
こんにちは
8月もあっという間ですね
楽しかったことや、悲しかったこと
いろんな思い出があったことだと思いますが
どれも大切な思い出、次に繋がる素晴らしいものに
なりますようお祈りしています
私は先日鎌倉、葉山と二日程ですが
行ってきました
東大寺の大仏さんを見ているので、少し小さく感じられましたが
頭の上にとまっている鳩がとても印象的でラピュタのロボット
の上にも小鳥がとまるシーンがありますが、
人もこれぐらい、自然界に溶け込みあいながら
ぶれず、優しい心で人を動物たちを植物たちを慈しみ
大切にしていくことができたらどれだけ素晴らしいことかと思います
夕方葉山のビーチで意識の世界についてTさんとお話し
していたのですが、そのことについて何か気づきになることが
できたらなと思い書かせていただこうと思います
あまり難しく考えるよりも意識の幅や可能性として
読んでいただけますと嬉しいです☆
私たちは無から生まれ、もし死んで無に戻ることがあれば
何を恐れることがあるのでしょう
無から生まれたのであれば、無は家族のようなもの
そんなに幸せな空間なのであれば行ってみたいものです。
ですがもし今私たちが生きている空間こそが無の空間の中
だったらどうでしょう?そこにはただ意識だけが広がっている
そして私達は生まれてきたと言えるのでしょうか?
唯一神、キリスト教ではヤハウェ、仏教では大日如来
またユダヤでは最初からアルもの。
それならば森羅万象の一部である私達も生まれたというよりも
最初から存在していたということがごく自然なのではないでしょうか
もし私達から飛び出したエネルギー・思念が一人歩きしたならば、
それはその時に生まれたというよりも、私たちの分身の一部
生まれてもなく最初から私たちの中に存在していた。
私たちの存在もこのこととに似ているように思います。
そのときの宇宙の状態によるエネルギーがカタチになったもの
占いでは人を星に例えたり、動物に例えたり、
仏に例えたり、いろんな例えがありますが、それは宇宙の
その時の状態によるエネルギーにすぎず私たちはその中で
生まれてきた。
この地球には不幸な人がいれば幸福な人がいます。
ですがそれも意識の状態です。
今が幸せだと感じられる人は今が苦しくても
それを幸せに変換するでしょう
今が苦しい人はそれは今が幸せな状態でも
それを苦しく変換するでしょう
宇宙は慈悲ですのでどんな人(エネルギー)にも
平等に幸せ(気づきを深めるという意味です)
チャンスを与えます。
宇宙とは
宇(時間)
宙(空間)
を組み合わせたもので、尽きることのない、果てしない
という意味です。
無の中にいるのですから、永遠であって普通なのです
(表も裏もありません。
この世界は表と裏の世界がありますが、
本来は意識の中では一体です。)
ですので何かを乗り越えられなく自殺すると、
そこで意識が強くとまった状態になりますので
来世もその意識が同じ状態を作り出すのです。
宇宙にも私たちと同様
意識があります。意識があるということは意思があるということで、
余談ですが仏教ではこれらを仏法といい
(上からレベルの機能で書いてあります)
識(意識)を如来
神(精神)を菩薩
気(秩序)を明王
精(功能)を羅漢
力(勢力)を諸天
(宇宙は自由ですが、秩序がありますから
それを壊してしまうと宇宙から怒られるということです)
話は戻り
最初から生まれてもいないのであれば、死ぬこともありえません。
もし私達が使っている言葉(死ぬ)という感覚を知ろうと思ったならば、
一番近い知覚は夢を見ている時でしょう。
夢の世界では決して死ぬことはなく、死んだとしても
新しい場面になりそこからまた始まり出します。
すでに亡くなった方も夢の中では当たり前のように生きており
今忘れてしまった高校の先輩や心のどこかでひっかかった人たちも
夢の中では当たり前のように現れ話したりできます。
それが永遠に離れることのないエネルギーのご縁
死は恐れではなく、死は新しい未知なる世界への意識への
旅路です
私は夢の世界を現実に感じ、夢の世界では、この今覚醒していると
いわれている世界が夢の世界に感じ、夢も現実もエネルギーや
次元のチャンネルにしか感じられません。
インディアンのチョクトー族の教えに次のものがあります。
ひとが眠っている間に見る夢は4種類。
起きたときには意味をなさない「無用の夢」
想像が形になった「望みの夢」
↑現実に役には立たないが、
あと二つは
「大いなる神秘」
からのお告げが隠された夢だとされます。
(精神の住む夢の世界。名前の通り聖霊や神が住む世界です)
実際は起きている間も夢を見ています^^
そこのどこにいけるのかが、もしかすると今世での
試練であり可能性なのかもしれません。
私達は何かしら、自然の中に真理や叡智を読み取ることができます。
大小関わらず、それはミクロの世界とマクロの世界が意識で
繋がっているからです。
この世は意識の世界。般若心経では色即是空ともいいますが、
何気なくすごしている日常を意識的に観察していくことで、
意識の中に存在している森羅万象の叡智が読み取れます。
一本の木をみて森をみるのです
では私達が今生活している空間は一体どこなのでしょう?
この宇宙はとてつもなく広い
そんな広い私達のハートが何を傷ついたり、苦しんだり
悲しんだりする必要があるのでしょうか。
私たちは苦しむ世界に存在しているのではなく、
小さな苦しむ世界にしているのは私たちなのです。
そして私たち人間が自分たちの宇宙を小さくしています。
この世界に本来名前などありません。
私にも名前がありますが、私という人間は名前ではありません。
そして人間でもなく自由な存在です
私は奈良に住んでいますが、ここは奈良ではなく、
そしてここは日本ではなく、地球でもなく、果てしない神秘と
未知の世界です
そう考えると、なぜかわくわくしてきませんか?
ここはどこでもなく、宇宙の中心なのか、宇宙の果てなのか
誰にも分かりません。
その方が中心だと思えば中心なのです。
その方が果てだと思えば果てなのです。
答えはどちらでもあるのです。
一つ言えることは、私たちは森羅万象の一部だということ。
人の面白いところは、ここが名前のないどこだか分からない
未知の世界だと思うとわくわくしてくることです
実は意識を少し変えるだけで世界が輝き出します☆
今部屋の中を見渡してください。
ものがあると思いますが、それに名前なんて本来ないんです。
それは一体なんなのでしょう?
未知のもので神秘のオーラに包まれ
私たちを楽しませてくれるものです
それは人も動物も植物も昆虫も鉱物も皆同じ
本来私たちの魂の中には苦しみや悲しみネガティブな
エネルギーなど存在しません。
それは人為的、非自然的に作られたものの中で
生活することで、エゴが生まれ欲望が生まれ
それが自分自身を苦しめさせているんです。
名前とは人為的に作られたにすぎず、非自然的なことは
半分ネガティブなエネルギーをつくり、私たちの意識の枠に
壁をつくってしまいます。
それならば手放し、意識のスイッチを入れ全ての
世界が未知の世界で今始まったばかりのように感じ
外を歩き出されてください
太陽の日差し、木漏れ日、森のささやき
風の音、小鳥のさえずり、自然の音に
耳を澄まし、それらと自分が森羅万象の一部であり
全部で一体だと気付いた時に最高の癒しが訪れます
その感覚、調和を大切にされてください♪
そして枠のない世界を自由に楽しみあなたの好きなように
想像し実現していかれてください♪
(4大エレメントがその創造を支えてくれます)
水
空気(風)
土
太陽(火)
何も決めつけるものなんてありません
それがハートから湧いてくるものでしたら、
全てが素晴らしい豊かさの種となっていきます
(ただ言葉は響きとして最初から空の中に存在していますので、
名前と響きは聖なるものの違いとして
少しでも意識のマッサージになり楽になっていただけたらと思い
書かせていただきました)
気を高め宇宙と一体になる∞自動書記
こんにちは
皆さん夏ばてしていませんでしょうか?
夏風邪のほとんどは身体の冷やしすぎ
ということですので、冷たいものの飲みすぎや
冷房のかけすぎには気をつけられてくださいね♪
7の日いつものように深夜大神神社へ行ってきました。
最近疲れてるかな~とか、気が抜けてる、気が落ちてる
という時にここの神社に行くと5~10分程で気を満たしてくれます。
実は私が大神神社を自分の一宮にしているのは、波動が合うのと
ここの神社がとても気と関係しているからでもあります。
クスリの道を歩くと一瞬に元気になれます☆
100年前に桜井の神様と呼ばれた一人の女性がおられました。
その方はあらゆる病気を手かざしで治し昔は顔に青あざの人が
多かったらしく、その女性が触れると一瞬に消えたらしいのです。
その方は一生独身でしたが、養子を受け入れそのご親族の方と
たまたまご縁があり、おばあちゃんが残された誰にも公開していない
という三輪の秘儀的なものをいろいろ見せていただきました。
誰にも見せないと決めていたらしいのですが
私に見せてくれた理由にそのおばあちゃんと
似た波動を感じたからだと言われました。
絵巻の言葉にもとても意味があるのですが、
この絵
神話では太陽から赤と白の二つの卵が産まれ
地上へ降ろされその卵から男女の蛇が産まれ
それが祖先神となった...といわれています。
![星空](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/122.gif)
![台風](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/162.gif)
![ドキドキ](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/031.gif)
![ニコニコ](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/139.gif)
![ひらめき電球](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/089.gif)
![ガーン](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/141.gif)
![キラキラ](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/123.gif)
![天使](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/157.gif)
これほんとうです
![ニコニコ](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/139.gif)
![汗](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/028.gif)
*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆
(開放)
あなた方の聖なる光の道はすでに用意され
それを探す旅をするのではなく、
魂・意識の準備が整った人からその光の道は
天から一人一人与えられるのです。
一度光の道が与えられたならば、あなたは
どこにいてもそこに光の道は開くでしょう
(今与えられていること、今やるべきこと、
一つ一つ感謝してきちんきちんとしていくことが
光の道に繋がります。常に真心をもって誠実に
感謝して歩んでいけば必ず開きます^^)
![ニコニコ](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/139.gif)
波動を高め気を清浄にし上げていきましょう
![アップ](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/173.gif)
お国の方、外国の方関係なくその方を
お山に連れていきそこでみんなで祝詞をあげみんなでその方を許し
![チューリップピンク](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/063.gif)
人生絶対大丈夫!
こんにちは
梅雨に入り自然は生命の恵みを絶え間なく大地に降らせ
これから夏を越えるために必要なたくさんのお水を
お腹に蓄えて、その恩恵で私達も生かされほんとに
大事な季節の中を過ごさせていただいている。
それだけで感謝でいっぱいになります
私は先日神職のお手伝いで生まれて初めて
こんな姿になりました↓
宮司さんからあなたガリガリじゃないの?と
たくさんのタオルを入れられたのですが
やっぱり体格がいい方が褌・袴は似合いそうですね
地鎮祭(外祭)で隣で少しお手伝い+見物していたのですが、
神道ではこれで終わりましたとは言っていけないらしく、
東洋の常識では終わりではなく「あがり」というらしいのです。
麻雀は好きではないのですが、麻雀でもあがり【和了】といいますよね!
西洋では始まりと終わりがありますが、
東洋では始まりや終わりがなく繋がっておりこの辺りがとても面白いです。
祭事がいつ終わったのかわかりません
今日は少し気づきを書かせていただこうと思います
毎日お経を唱え、何度も床に頭をつけ3礼をしていると
とても心が穏やかになってきます。
昔の私でしたらなぜ私は仏に懺悔しなくてはいけないのか?
仏や神とはそんなに偉いのか!?
と疑問だけが残り、もしかすると眉間にしわがよっているかもしれません。
ですが何度も何度もしているうちにみえてきた(気づいてきた)
ことは、チベットの五体投地のように
大地に身を捧げ、自分を投げ出すことで私をあなた(光の存在)に
お任せします、
私を必要な方の為にお使いくださいとお祈りすることで、
エゴや欲を手放しやすい
心境にし、その結果身体や心が軽くなり、からだの中に蓄積された疲れを
大地に流し細胞にしみ込んでいるカルマを浄化していくということが分かりました。
そして気がつくと宇宙の秩序に感謝しています
人生はいい種をまくといい結果が生じます
悪い種をまくと悪い結果が生じます
良いとか悪いとは自分中心で考えていてはなかなかその区別が
分からないものです。
だから魂を浄化しハートで感じ考えることでその区別が自然と
分かるようになってきます
余談ですが、頭(知識)と心で考えることで知恵になります
人にとって最大の力は知恵=叡智を知り身体に沁み込ませることで、
どんな環境であっても最適に変化させることができます。
右脳・左脳・頭・心バランスですね!
最近雨や気圧のせいか
相談メールで死にたいとか私は呪われているんでしょうか?
という内容をよく読みます。
ただ一つ言えることは、死んだらまた同じ状況をクリアー
するまで来世でも同じ状態を用意されます。
そして呪われてなどおりません!
全ての状態は感謝し己を知り(悟り)自らの力で
良いエネルギーを作り、一人でも多くの方に奉仕し
魂を磨く為にあります
(魂は人の役にたつことで磨かれていきます)
今の社会は、弱い人、弱い精神または肉体の人には
その弱い箇所を短期間で強くしないと乗り越えられないような
環境が多々用意されていますが、
これからの社会でまず最初に
しないといけないことは自分の弱い箇所、また相手の
弱い箇所を優しく癒してあげることです
そして自分の弱さを知り、ブロックしているところをほぐしていき
それから少しづつ少しづつ教えてあげ強化していってあげられる
環境にしていかないと、今のままではなかなか生きづらい社会です。
パジャマを着たことのない子供に大人が厳しく
早く着なさいとか、こんなこともできないのかと
焦らせ罵声をあびせることは、その子供に障害をつくり
トラウマや無意識の不安をインプットさせ、その責任を
カルマというカタチで背負うことになります。
みんな何も知らないんだと思い面倒でも一から優しく教えてあげる
ことで、教える方も仕方ないなーという優しい気持ちになっていきます
そして少しづつ、楽しく面白くしていくのです^^
逆にそれだけの心の余裕がなければ、その方は誰かのハートを
傷つけなにかしら因縁を背負うことになります。
話は今すでに傷ついている方の立場になり、
私はまだ若いですが今までの経験で一番自分を鍛え
肉体や心を浄化し良いエネルギーのまま前進させて
くれる秘訣は呼吸にあると感じています。
人が原点に戻る為に、自分を癒し一からスタートする為に
最も最初の段階はやはり呼吸です
ご飯を一週間以上食べなくても、服を買わなくても
遊びに行かなくても命に別状はありません
ですが呼吸ができなくなると、これのどれもできなくなります。
人生は呼吸に支配されているということは
呼吸をコントロールできるようになってくると自分の
人生をコントロールできるようになってきます
焦っていたり不安になると呼吸が速くなるので、
そういう時にこそゆっくりとした深い呼吸です
今あなたの呼吸ははやくなっていませんか?
ゆっくり ゆっくり ふか~く 深くです
そして
(自分自身が傷ついている時、自分の弱さを克服
したい時、本番に弱い時、あがってしまう時、肉体の
チャクラを強くし肉体を強化したい時、エネルギーを
前進させたい時)
この現実社会で強く生きていく為に最も効果的
なのが呼吸の中でも
丹田呼吸だと思います
(私自身まだまだ修行中で偉そうなことは言えませんが)
昔から肝っ玉母さんと言われたりしていますが
ここぞという時に踏ん張れる、ぶれない精神や決める時には決める
現実的に強く生きていくためには、肝を強くする
丹田を強くするということです
他にも胆(はら)が据わるとか、人生の羅針盤となる
信念が出てきます♪
この世が精神または魂だけで生きていければそんなことを
する必要はないのかもしれませんが、
どうしても肉体があって生きることができる世界
肉体の火は丹田にあります
丹田に火がないと病気になったり、チャクラが
安定しなかったり、弱弱しい人生を歩むことになります
ですがいったん火ができれば、その火は燃え続けます
生きるなら強く健康的に前向きに楽しく
生きていきたいですよね
丹田呼吸ですが、アバウトに説明しますと
丹田はおへその6cm程下にあります。
丹田のエネルギーを感じられなくても
丹田はそこにあると思われてください。
(感じ方としては、下腹部があつくなる。
あったかい。お腹がちりちりする。
お腹がどっしりする。胆(はら)が据わってきた
感じがする・・・)
鼻から吸いお腹を膨らませ、ゆっくりと丹田から肛門に
かけて息を吐き出していくイメージです。
鼻から息を吸う時には早く一気に吸い込み、ゆっくり
丹田から吐き出しても構いません。
「長息は長生き」と言われるように
少しでも呼吸の数が少なくなっていくと
大河のように、またクジラのようにゆっくりと
ダイナミックに生きていくことが可能になると思います
ネットで検索してもいろいろ出てくると思いますので、
騙されたと思って一度継続していただければと思います^^
人生不安があってもその後に必ずいいことはあります
その時はなにもかもうまくいかなくても、必ず良い変化は
起きます
ですのでその時の現象だけを見てマイナスに全てを
判断するのではなく、悪いことが起きたら出てってくれて
良かったな~と一つ一つ感謝して受け止めることで
波動は良くなりその先は信じられないくらい明るくなっていきます^^
エネルギーは物質化します
心で思ったことが、時間が経過すると現象として
起きてきます
それならば
ご自身の為に明るくポジティブな思いやりのある心を育ててください
それだけでも大きなご奉仕です^^
(バーゲンズ昔ファンだったのですが、最近また活動再開したらしく
良かったら聞いてみてください♪)
愛と調和の世界◇
こんにちは
人は先に進んだようで、もし一部の歪みの中で間違いが
真実だと認識され先に進んだとしたら、人間の人生のように
時には振り返り原点を見直すことが必要なのかもしれません。
何かいい気づきになればと思います。
私は毎日朝日と夕日を凝視していると知らず知らずのうちに
やってしまうことがあります。
それは自分自身を太陽の中心に念で投げ入れ全てを
焼き尽くすのです。
なんて恐ろしいことを!?と思われるかも
しれませんが、その後には愛と調和に包まれ
奉仕の精神が拡大されます。
太陽の中では毎日このようなことが起きています。
(以前 蓮華
さんからいただいたものです)
これは実は日本神界○ゝとよく似ていることに
後から気がつきました。
今も昔も太陽程生き方を教えてくれる先生は
おりません。
人が迷わないように人間の生きる道を太陽は絶えず
導いてくれますが、何より生命の始まりに全ての私達の
基本となる生き方・生きる術が隠されています。
もしかするとこれから書くことは今の政治家さん達が
知るべき情報なのかもしれません。
私達の生命の始まりは受精によって起こります。
現代では性に対する認識が大きく歪んでしまったためか
あまり深く考えることは恥ずかしいものだという認識に
されてしまったように感じます。
性とは聖
少し探求していきます。
一般的に精子が無数にある理由は
優良なものが生き残り、劣悪なものがひとりでに滅びていくこと
だと思われてきました。
また学校でも精子は子宮を通って卵子に出会う長い道程の中で
、弱いものはほろび一番強いものだけが卵子に到達できるのだと
教わったと思います。
ですがこれはもちろん真実ではありません。
受精は、一番に到達した精子が行うのではないし、無意味に多数の精子が
存在するわけでもありません。
まず最初に、子宮に入った無数の精子は、リズミカルな子宮の
収縮運動によって輪卵管の近くまで集団で運ばれます。
精子は自力で泳ぐというより、母胎の共動により卵子まで運ばれます。
ですがここからが大変で、卵子には卵子の成熟を手助けしていた
何百という濾胞細胞がついており、これをとりはずさないと受精は
できません。
これは一つの精子では無理で、卵子に到達した無数の精子たちは、
これを共同で行うのです。
そしてやっと裸状態になった卵子にはさらに卵膜という強い城壁があり、
やはりこれも一つや二つの精子で破ることはできないのです。
何百という精子が一斉に頭部にある、卵膜をやわらかくする物質で
働きかけ、卵膜を突破できるほどもろくするという共同作業に取りかかります。
そしてやわらかくなった卵膜の箇所にいた精子が、はじめて卵子に交わるのです。
受精はこのような無数の精子の調和ある共同活動の結果であり、
精子は早い者競争や生き残り合戦をしているわけではなく、
そこに見られる精子の活動は、
競争や優良なものが生き残り、劣悪なものがひとりでに滅びていくこと
ではなく「和」なのです。
無数の精子は、すべて一つの目的のために各々の役割を奉仕的に演じます。
生命の原点は、精子や卵子に見られる、一体性・活動性・奉仕性のたまものです。
ですのでダーウィンの式の弱肉強食といった発想は、私達の観念に
大きな歪みをもたらしました。
企業と企業、また国と国が対抗し合い、人と人が競争し合い、
もし自然界がほんとに弱肉強食であれば、これだけ
多くの生命はここに存在していないだろうと思います。
自然界の生き物達は譲り合い、必要以上のものを奪わず
調和を大切にし、必要な時には身を捧げそれは弱肉強食という
より、愛そのもののカタチです。
もし受精が
優良なものが生き残り、劣悪なものがひとりでに滅びていくこと
であれば、今生まれてきた私達はきっと強固な肉体に強固な
パーフェクトな精神を皆していることでしょう。
ですが実際はどうでしょう?
腕力の強い者もいれば、弱い者もいる。
記憶力のいい者もいれば、そうでない者もいる。
五体満足の者もいれば、生まれつき不自由な者もいる。
また肉体、精神の弱い者もいる。
それは受精の時に皆(精子)が奉仕の精神で犠牲になり
他のものを生かそうとするその行動のたまものなのでは
ないでしょうか。
だから私達は生まれたのではなく、生かされたのです。
何兆個という中間達の犠牲のお陰でここに誕生してくる
ことができたのです。
生まれてからも生き方が変わるわけではありません。
この地球に次は平和を実現するために皆で支えあう為に
生まれてきたのです。
無駄な人は一人もおりません。
それに取り組む奉仕の姿が愛そのものなのです
あなたの命は他の人の為にあり
他の人の命はあなたの為にあるのです。
それが神(宇宙)の意志でもあります
そういう生き方をしていれば、犠牲になった何兆個の
中間達がきっとあなたのことを支えてくれます
男性は女性を強く守り
女性は男性を優しく包む
そこに愛と調和が生まれます
変化◇
こんにちは
常に懺悔の日々でございます。
先日大安寺に行ったところお坊さんに
収蔵庫にお入りくださいと言われ、
なぜかそのまま入り口の門を閉められ、
観音様とお釈迦様、四天王のお部屋に
1時間程閉じ込められてしまいました。
お陰で仏様と向き合うことができたのですが
なんとも不思議な体験でした。
その後すぐに薬師寺の宮司さんから電話があり、
これから奈良町で会食をしたいということで
あなたに重要な話をしたいから今から来てくれないかと言われました。
この宮司さんは今70歳で春日大社の葉室 頼昭宮司の下で
10年以上ずっとご奉仕(勉強)してきた方です。
何だろうと?行ってみると、私の後に宮司になってくれないかと
頼まれ社務所や住まい白衣、生活費は用意しますと言われました。
なぜこんな若い私なんですか?と聞くと
今サラリーマンから定年退職し名誉が欲しくて神職の資格をとって
宮司になる者がいるがそういう方々では日本の神社が駄目になってしまう、
若いあなたのような人が必要なんですと言われました。
私は凡人として平凡に生きていき、小さな幸せを大きく感じて
生きていきたいので宮司なんて職はいりません。
しかもどちらかというと仏の慈悲の世界に惹かれますからと言うのですが
とりあえず薬師寺は神仏集合で神職だけでもやっていただけないかと言われました。
神社庁に登録している神社では神職の資格がないと
神職の服装にはなれないのですが、神社庁に登録していない
神社であれば神職の服になり、緑または紫の袴を穿くことは自由なのだそうです。
神職の勉強も全て教え宮司の職のハンコも私が保証しますと言われ、
半ば強引に巫女さん達に挨拶に行き薬師寺のお坊さん達を紹介されました。
人にご奉仕し、神様にご奉仕する生き方は賛成ですが、
自分の命をここで使わせていただくべきなのだろうか?とまだ少し悩んでいます。
最近こんなことを思います。
運命や宿命が人の潜在能力によっていつでも自由に変化できるのであれば、
過去からの魂の(心のクセ)(クセは結局潜在能力に影響を与えます)
から開放され、いつでも自分の自由のままに動いたり引き寄せることができます。
たまたまヒプノセラピー(催眠療法)の患者さん達とお話する機会がありましたので、
なんとなく見えてきたのは、過去何十回、また何百回と転生している
人生の中で蓄積された、それぞれの人生の中で一番心また生活を占めていた部分が
今世という一番新しい人生に収縮され1年1年この時の運命や出来事は
過去のあの時の人生、また次の年に起きる現象は過去あの時の人生という
ようにバイオリズムというものが、自分の人生の総まとめの連鎖運動のように
なっていると気付いたのです。(難しい表現ですいません)
(となるとこの瞬間の成功がいかに大きいことなのか分かります。
人生その小さな成功の大切さ繰り返しの意味もよく分かりました。)
そして一つ前の前世の記憶の中で自分が乗り越えられなかったことが
今世そのまま起きていることが分かり、今世頑張りそれを乗り越えたら
また新しい課題が与えられる。
その最終段階がやはり悟りの世界でありまた境地であり、カバラでいう
1~9までの段階が正に起きているのだと感じるのです。
最終悟りというものは、目指すというよりも自分の境地というものが
自然とその境地にならないと頭で考たり、イメージしてもなかなか分からないものです。
ただ人生の課題の面白いところは、一人で乗り越えないといけないもの。
また夫婦で乗り越えないといけないもの。
また家族で乗り越えないといけないもの。
また友達で乗り越えないといけないもの。
様々な組み合わせが用意してあり、全てのご縁や絆は自分の為であり
またその相手の方の為であり無責任に人とお付き合いすることは
せっかくのチャンスを無駄にすることだと思います。
人生とは楽しむこと、
最後には神・主(宇宙)に帰依すること。
ただ人生、帰依するまでには様々な幻が待ち構えているなと
思います。
これからの私達の目指す世は幻ではなく、真の心と真の目の世界。
幻とは蜃気楼のようなものでもあります。
あくまで表現ですが
太陽に向うのに現れた日輪を追いかけるように
人が身につけているブランドでその方を見ずに
ブランドを追いかけそれに素晴らしいと感じるように
それは自分という流行や思い込み、何かの洗脳によって
形成されたエゴや我が、かりそめの目で世界を見、それが
真の道なんだと錯覚し追いかけようとすることであって、
魂の見ている世界とは程遠い・・
その先には達成したつもりが、達成感を感じられない
またいばらの道が待っています。
例えると晴れた日に永遠と続くコンクリートの先に見える
逃げ水(蜃気楼)の水を身体が欲し、どれだけ追いかけても
追いかけてもたどり着かないことと似ています。
幻で幻を追いかけるようなものです。
真・また真理を求めたどり着くためには、自分自身も
かりそめの着物を脱ぎご自身の大いなる魂の声を
信じることです。
私は自分の体験から話しますと魂の声とは
時には現実性を全く帯びない時もあります。
この先どう考えてもそれでは生きていけないのではないか?
そう思いながら、魂の声に従うとその先に豊かさが広がります。
それを奇跡といいますか、魂そのものが奇跡の泉
なのかもしれません。
今のこの物質世界(資本社会)で私のような生き方は
なかなか受け入れにくいものなのかもしれませんが、
読者の方にはある程度の現実的なバランスをしっかり
とられ幸せに生きていただきたいなと思います。
潜在意識は物事を引き寄せます。
お金に関して、お金がほしければ
「私は、お金が好きです。私はお金を賢明に、よく考えて使います。
必要なときには、私はお金を喜んで手放します。やがてお金は何倍にも
増えて、私のところに戻ってきます。お金はいいものです。私は本当に
お金が好きです」
こう潜在意識にインプットすれば自然とお金が入ってくるでしょう。
また自分自身が光たければ
「夜も昼もあらゆる面で私は栄えます」
こう潜在意識にインプットすればいいことが次々と起こるでしょう。
またそれ以外にも自分は何々ができる。また何々を手にすることが
できると、紙に書かれ毎晩寝る前に何十回も何百回もそれを信じ
繰り返し読まれることで、必ずそれを手にすることができるでしょう。
究極的な私の感じていることは若干違いますが、
ただ
毎日太陽を見ていると私に聞こえてくるのは、
ネガティブもポジティブも、良いも悪いもなく
無の世界・・・それこそ南無ー 私は魂のままにです。
そこには100%奉仕の世界だけが広がっています。
ただ今の世に一つ必ず言えることは
世界の人々は愛に飢えています。
世界を救えるのは同胞愛だけです。
そして世界の意識を上げることです。
意識を上げるにはまず肉体と精神が
癒されていないと変化が起きません。
ですので
人々、また国と国お互いの小さな欠点や
失敗を探してはいけないのです。
つねにお互いのいいところ、美点に注目し、
それをほめ合うようにしましょう。
そして相手が今必要なものを与えましょう
それをまず隣人に始められてください。
それが世界の意識を変えていきます