心と体と健康と豊かな人生ととことん向き合うブログ 太田 直 -62ページ目

心と体と健康と豊かな人生ととことん向き合うブログ 太田 直

元カイロプラクター&インストラクター

現在は心理学を学び、更にヘルスコンサルタントとしての道を歩んでおります。

皆様の心と体と健康と豊かな人生のお役に立つような情報をお伝えしていきます。

◯勤労美徳
一つは、労働は対価だけではなく成長や学習の場で、そこに参加しない動機付けを与えるのはよくないという考え(これについては「生きがいの喪失・閉塞感」も参照)。また聖書からよく引用される「働かざる者食うべからず」という労働の対価以外の所得を否定する考えで、定額給付金、子供手当て、または各種配当金などの不労所得を否定する考え方に収斂するという意見もある。


ちょっと③の書き直しも含めて書いていきたいと思います。



>労働は対価だけではなく成長や学習の場

これはこれその通りだと思う。

しかし、注意を払いたいのは前提となる「成長や学習の場」のイメージ。

これが是非とも参加したいというイメージであるならば、とっくの昔に参加したい動機付けがなされていることになる。

成長や学習の場に対してのイメージがネガティブであれば、もちろん現行の経済システムであっても参加しない動機は産まれるのである。


システムと動機は別のものとして認識しなければならない。


経済のシステムに関わらず、例えば教育や社会の雰囲気、家庭や学校、会社などにおいて、

「仕方がない」以外に「成長や学習の場」に参加する動機付けが上手くできていない例が存在するということだ。



以上の考えから

>ベーシックインカムを導入することによって「成長や学習の場、、、に参加しない動機付けを与える」という事象が起こる

このような因果関係は立証できていないと考えざるを得ないのです。



「仕方がない」以外に理由が見付からない。その原因が現行の経済システムにあるという可能性も考えられなくはない。

その動機についてきちんと考えられる時間が充分にとれていないことも考えられる。またそれをサポートできる人材達がまだ十分に社会的地位を得られていないという場合もあるかも知れない。

ベーシックインカムを導入することは、人生における思慮を深め、また生涯をとして働きたい仕事との出会いをサポートするかも知れない。

その可能性を私は素敵なことだと思うのです。
◯勤労美徳
一つは、労働は対価だけではなく成長や学習の場で、そこに参加しない動機付けを与えるのはよくないという考え(これについては「生きがいの喪失・閉塞感」も参照)。また聖書からよく引用される「働かざる者食うべからず」という労働の対価以外の所得を否定する考えで、定額給付金、子供手当て、または各種配当金などの不労所得を否定する考え方に収斂するという意見もある。(Wikipedia「ベーシックインカム」参照)


昨日の続きなのですが、

>労働の対価以外の所得を否定する考えで、、、不労所得を否定する考え方

この文も微妙な表現何ですが、2つ程は価値観が混ざっている様な感じなのです。

ⅰ,「定額給付金、子供手当て」要するに只で金をもらうことに対しての反対
食う心配+問題解決処理+人生を豊かにする創造や遊び、これらのどこに分け与えられた金を使うのかが問題になるのかな?
普通のBI推進派なら「食う心配」を先ず取り除きましょうと捉えるのだと思うのだけれども、BI反対派は「遊び」とかにお金を使われたくないとかあるのかも知れない。ギャンブル依存の人とかに基準を合わせて反対だとするなら、国民の大多数の人間がギャンブル依存でなければいけないと思うので、もしこの反対派の見方が正しい或いは近しいのであれば、「基準が間違っていますよ」ということで議論に及ばないと考え得る。
それでも敢えて防止策をということであれば、例えば食品しか買えないとかの制限を設ければ良いだけの話。(IDカードによる管理や商品券配布などの方法がすぐに思いつく)


ⅱ,「または各種配当金などの不労所得を否定する」不労所得に対しての偏見、
オートメーション(自動化)をただ楽をするためだと馬鹿にして捉えるのならそれはただの偏見で差別、或いは自分には出来ないからコンプレックスとかやっかみだと言われてもしょうがない様な意見(BIにすればこんなやっかみとかも必要なくなる)
現行の経済システムがお金を集めることで豊かになっていくように設計されているのだから、各個人がそのように資産運用やビジネスを行った所で何ら問題にする必要がない。
スポーツと同じで選手はルールに従う。そのスポーツに問題があるならばルールから見直さなければならないのは至極当然の話。今のルールは市場経済。問題にするなら市場経済でしょ。
これは「見方や捉え方の間違え」



従って

>労働の対価以外の所得を否定する考えで、定額給付金、子供手当て、または各種配当金などの不労所得を否定する考え方に収斂するという意見もある

この部分は「基準の間違え」+「見方や捉え方の間違え」によるものなので、Wikipediaの筆者は配慮して「意見」として持ち上げてはいるものの、「意見らしからぬ意見」ということでこれに対して議論は生じ得ない。



どうしても抽象的にならざるを得ないことは申し訳ありません。価値観同士を比較して整合性をとっていく作業ですのでどうしても抽象的になっていきます。

分かりづらい所や、具体例について質問などあればコメントでも頂けたらと思います。
続いて「精神論的なもの」の項目に入ります



◯勤労美徳

一つは、労働は対価だけではなく成長や学習の場で、そこに参加しない動機付けを与えるのはよくないという考え(これについては「生きがいの喪失・閉塞感」も参照)。また聖書からよく引用される「働かざる者食うべからず」という労働の対価以外の所得を否定する考えで、定額給付金、子供手当て、または各種配当金などの不労所得を否定する考え方に収斂するという意見もある。(Wikipedia参照)



>参加しない動機付けを与える

さっぱり的を得ない考え方と思う。
参加しない動機は今の社会においても充分存在しているので、ベーシックインカム由来のものではない。
対象としては別のものとして捉えなければならない。という意味で的を得ていない。

対象が変わればアプローチも変えて至極当然であると考えている。


例えば疾病をおして社会で働く人や、精神的不自由な状態から大量のストレスを抱えざるを得ない状態で社会に参加せざるを得ない人もいる中で、

社会に参加しなければならない理由付けを強制する現行の経済システムこそ問題ではないかと思う。


休むべき時には休める方が医療費などかけずに自己治療に専念できる。また元気になったら働けば良いのだ。
休むことに価値があるのは休めないからだ。不自由さの中に自由さを求めるのも当たり前。

自分が休んでて、友人達がバリバリ楽しそうに働いていたら「俺も絶対また働いてやる」と思える。十分に休めば気力もまた満ちる、方向性も見えてくる。

経験がない人は一度真剣に休み続けてみるといい、、、と言いたいところだけれども現行の経済システムではなかなかおすすめし辛いので是非ベーシックインカムを選択して休める社会をつくって頂きたいのですがw

自由に休める状態において働くことというのは最高の暇つぶしになりうるということも言っておく。


人の役にたつということが基本的に人生の充実においては不可欠のものであること、これに気付ければ後は自然と働きたくなる(形態は様々であろうが)。

そういう教育も行っていけばよい話だと思うのだがどうだろうか?今の社会にあるものを見て行けば十分に可能なことのように思えるのですよ。



>労働の対価以外の所得を否定する考え

否定する理由が分からない。

少なくとも「聖書に書いてあるから」という理由だけで納得できる感性は持ち合わせていない。

「働かざる者食うべからず」も言葉の一人歩き状態での引用なので、もっと詳しい具体例が出てきたらきちんと検証していきたいと思う。


>勤労美徳

働くことは現行の経済システム上でも、ベーシックインカム導入後でも素晴らしいことだと思うんです。

ただその前提としてあったリスクが小さくなっているということ。
選択肢が増えて希望が見やすくなっていること。
人生が快適になるので不要なストレスが大幅になくなっているということ。
選択して働いているので、より意欲的に働けること。
余裕がうまれるので創意工夫などに積極的に関わっていく可能性のあること。
不幸の種が多く消失するので、人間関係のトラブル(怨み辛みなど)が減ってより健康的な社会になること
自分でも何かに挑戦する人が増えるであろうということ


そういう風になっていくと思うんです。

誰それがこんな素晴らしいことをしました何てNEWSがもっと増えて、

それに刺激受けて俺も頑張ろう~なんてやつらがいっぱい出てくる。

切磋琢磨しながらより良いものを産んでいく。人の役に立っていこうとする。

充分、美徳的な勤労だと思うのですがいかがでしょうか?