続いて「精神論的なもの」の項目に入ります
◯勤労美徳
一つは、労働は対価だけではなく成長や学習の場で、そこに参加しない動機付けを与えるのはよくないという考え(これについては「生きがいの喪失・閉塞感」も参照)。また聖書からよく引用される「働かざる者食うべからず」という労働の対価以外の所得を否定する考えで、定額給付金、子供手当て、または各種配当金などの不労所得を否定する考え方に収斂するという意見もある。(Wikipedia参照)
>参加しない動機付けを与える
さっぱり的を得ない考え方と思う。
参加しない動機は今の社会においても充分存在しているので、ベーシックインカム由来のものではない。
対象としては別のものとして捉えなければならない。という意味で的を得ていない。
対象が変わればアプローチも変えて至極当然であると考えている。
例えば疾病をおして社会で働く人や、精神的不自由な状態から大量のストレスを抱えざるを得ない状態で社会に参加せざるを得ない人もいる中で、
社会に参加しなければならない理由付けを強制する現行の経済システムこそ問題ではないかと思う。
休むべき時には休める方が医療費などかけずに自己治療に専念できる。また元気になったら働けば良いのだ。
休むことに価値があるのは休めないからだ。不自由さの中に自由さを求めるのも当たり前。
自分が休んでて、友人達がバリバリ楽しそうに働いていたら「俺も絶対また働いてやる」と思える。十分に休めば気力もまた満ちる、方向性も見えてくる。
経験がない人は一度真剣に休み続けてみるといい、、、と言いたいところだけれども現行の経済システムではなかなかおすすめし辛いので是非ベーシックインカムを選択して休める社会をつくって頂きたいのですがw
自由に休める状態において働くことというのは最高の暇つぶしになりうるということも言っておく。
人の役にたつということが基本的に人生の充実においては不可欠のものであること、これに気付ければ後は自然と働きたくなる(形態は様々であろうが)。
そういう教育も行っていけばよい話だと思うのだがどうだろうか?今の社会にあるものを見て行けば十分に可能なことのように思えるのですよ。
>労働の対価以外の所得を否定する考え
否定する理由が分からない。
少なくとも「聖書に書いてあるから」という理由だけで納得できる感性は持ち合わせていない。
「働かざる者食うべからず」も言葉の一人歩き状態での引用なので、もっと詳しい具体例が出てきたらきちんと検証していきたいと思う。
>勤労美徳
働くことは現行の経済システム上でも、ベーシックインカム導入後でも素晴らしいことだと思うんです。
ただその前提としてあったリスクが小さくなっているということ。
選択肢が増えて希望が見やすくなっていること。
人生が快適になるので不要なストレスが大幅になくなっているということ。
選択して働いているので、より意欲的に働けること。
余裕がうまれるので創意工夫などに積極的に関わっていく可能性のあること。
不幸の種が多く消失するので、人間関係のトラブル(怨み辛みなど)が減ってより健康的な社会になること
自分でも何かに挑戦する人が増えるであろうということ
そういう風になっていくと思うんです。
誰それがこんな素晴らしいことをしました何てNEWSがもっと増えて、
それに刺激受けて俺も頑張ろう~なんてやつらがいっぱい出てくる。
切磋琢磨しながらより良いものを産んでいく。人の役に立っていこうとする。
充分、美徳的な勤労だと思うのですがいかがでしょうか?