がんフーフー日記 -7ページ目

「ヨメハゲフェス2011」リーフレット原稿 その1~ヨメハゲフェスについて

ダンナです。



いろんなことが起こっています。

イベントのレポートはもろもろが落ち着くまで

もう少々お待ちください。



そのかわりといってはなんですが、

イベント当日に配布したリーフレットにつづった原稿を、

ひとつずつアップしていきます。


ブログ用じゃない文章なんで、読みづらいかもしれませんが。


まずは冒頭の原稿から。



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■ヨメハゲフェス2011によせて



「ヨメハゲフェス2011」へようこそ!

――と、あやうくフツーに書き出してしまいそうになるが、

フツーに考えればヨメハゲフェス、そんなにフツーなものではない。

なんといってもヨメハゲなのだ。


いわゆる音楽フェスとはあまりにも掛け離れた、

奇妙な形態のイベントである。

ここはいったん立ち止まって、

改めて説明したほうがいいように思われる。



まず、ヨメハゲフェスとは「ヨメを励ますフェス」の略である。
ではなぜヨメを励まさないといけないのか? 

そしてその2011年版が開かれるというのは、どういうことなのか?
 


その答えは私たちフーフが上梓した

書籍『がんフーフー日記』の中にある。






第一回目のヨメハゲフェス、

いわゆる「ヨメハゲフェス2010」は

昨年5月3日、福島県いわき市にある三崎公園で開催された。


当時、私のヨメはがんを患っていて闘病の真っ只中にいた。

結婚いきなりの妊娠中に病気が発覚し、帝王切開で出産。

そのまま私と暮らす川崎のボロアパートを拠点に、

治療を受けていたのである。


そのときのヨメを支えていたのが

「早くいわきのみんなに会いたい」というものだった。


いわきはヨメの故郷であり、愛する家族や友人が暮らす街。

そんないつもの場所でいつものヤツらとつるみたい、

できたてホヤホヤの愛息・ぺ~の勇姿を見せたい――

そういった彼女の願いを叶えるために出てきた言葉が

「ヨメハゲフェス」であったのだ。


1月24日、ヨメの病態を共有するために用意した

ブログ上に私は「“ヨメを励ますフェス’10春”開催決定!!」と記す。

それはヨメに向けての「いわきに帰るぞ」というメッセージであり、

友人に向けての「とりあえず盛り上げてください」という

無茶ブリであるのだが、そんな想いを総体的に

冗談めかした合言葉が「ヨメハゲフェス開催」であって、

つまりこれは「田舎に戻る予定なので楽しく遊びましょう」といった

程度のものでしかなかったのだ。最初は。





だが、そこから事態は思わぬ展開を見せていく。





おせっかいでお祭り好きのいわきフレンズのはからいで、

5月3日、フェス当日に用意されていたのは

ヨメと私の盛大なる結婚式であった。



つけひげの神父、地元ゴスペルグループ、ナゾのオッサンアイドル、

そしてヨメを励ましに集まった50人近い正装の友人たち……

公園の中央を勝手に占拠して行われたその式は

あまりにもド派手で、ドラマチックで、空が青くて、

川崎フーフ史上最強の思い出として今も胸に刻み込まれている。



それが昨年のヨメハゲフェスであったのだ。






そこから1年近くの月日が流れた。あれからいろんなことが起こった。


ヨメは天国に旅立った。

闘病の日々をまとめた書籍を出版した。


すべてはそれで終わるはずだった。




だが、事はまたしても思わぬ展開を見せていく。




今回も、話の発端は出版記念の

サイン会をしようということでしかなかった。

そこにライヴを入れないかという話が持ち上がる。

「おれも出たい」と言ってくれるミュージシャンが現れる。

会場が押さえられる。トークショーまで乗っかってしまう……。


これだけははっきり言っておきたいが、今回のイベントは

完全に周囲の方々の御厚意のみで成立するものである。

そもそも出演者・関係者の誰ひとりとして

私のヨメには会ったことがない。

確かに私はこれまで一介のライターとして彼らと仕事させて

もらってきたが、どう考えてもこんなのは過分すぎる話だ。


だってそうだろ、このメンツ?





私は再び勝手に走り出していくこのイベントを

「ヨメハゲフェス2011」と名付けた。


昨年がいわき編なら今年は東京編。

動力源は引き続きパーソナルなエモーションのみ。

新たなる強力キャストを巻き込んで、まだ物語は続いている。





 
当日、何が起こるかは正直私にもわからない。

どんな雰囲気になるのかも想像つかない。


ささやかな想いが絡まりあった末、いつのまにやら

なんだかわからない大騒ぎになってしまう――

それがヨメハゲフェスの真髄なら、

どうかそれを見届けてほしいと思う。

“ジョーダンから駒”という物語の顛末に、一体何を想うのか?
 

それではヨメハゲフェス2011、はりきってまいりましょう。
 



           「川崎フーフ」のダンナこと 清水浩司