がんフーフー日記 -5ページ目

「ヨメハゲフェス2011」リーフレット原稿 その3~サニーデイ・サービスについて

ここからは出演してくださった方々を、

ダンナなりに紹介していった文章です。


なんで彼らがヨメハゲに出演してくれるのか?

そのつながりのようなものについてのエッセイ。


まずはサニーデイ・サービス。

残りは明日。



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■サニーデイ・サービス

  「どきどきできるかな」



サニーデイ・サービスと出会ったのは23~4のころである。

引き算してみると、もう15年近く経っている。

そう考えると、やっぱり驚いてしまう。


曽我部くんと初めて会ったときのことはよく憶えている。

当時、私は小さな出版社で丁稚奉公のようなことをしており、

先輩編集者の取材に立ち会ったとき、彼と出会った。


会ってすぐに不思議な親近感を感じた。

聞けば同い年。広島、香川と故郷も近く、田舎から出てきて

東京であんまり冴えない大学生活を送っていたことも同じだった。




そこから私たちは取材という名目のもと、

なんやかんやとつるむようになった。

私はかけだしで、彼らはすでに気鋭のロックバンドとして

注目を集めていたが、それでもまだまだ20代中盤、

お互い時間はたっぷりとあり、やんちゃで怖いもの知らずで、

守るものなんて恋人の御機嫌くらいしかなかった頃である。



夜の編集部で勝手にナベをやったこともあるし、

青春18きっぷで香川から東京まで旅をしたこともある。

取材も取材でむちゃくちゃばかりで、あるときは曽我部くんを

金八先生に見立てた「そか八先生」という写真マンガをやったし、

またあるときは多摩川の川原で「原始人の格好をした曽我部くんが、

骨片片手にサラリーマン姿の田中くん&晴茂くんに襲いかかる」という

ブチ殺されそうな設定の撮影を敢行したこともある。

いやー、しかし一体何をやらせてんだ私は(汗)。



そんなくだらない時間をすごしながらも、

私は内心ずっとどきどきしていた。


私にとって曽我部恵一という人物は、いつも一歩先を行く同級生であり、

彼についていくので精一杯だったからだ。

私はいつも彼の背中を追いかけてきたし、

なんとか併走しようと執拗に取材を繰り返した。



そして2000年、サニーデイ・サービス解散。

ぼうぜんと立ちすくむ師走の新宿で、ひとつの季節は終わってしまった。





彼らと再び出会うのは、昨年の冬になる。

再結成してニューアルバムを出すということで、

インタビュアーとして声をかけてくれたのだ。


ちゃんと会うのは10年ぶり。

緊張して向かった下北沢の居酒屋、

扉を開けると一瞬であの頃と同じ空気になってしまったのは、

なんだかビックリで、なんだかおもしろかった。


やはり曽我部くんは深いことを語り、田中くんが合いの手を入れ、

やがて晴茂くんへの説教がはじまる。


そして私は、またも曽我部くんを前にどきどきしている。



これからもそんなふうに続けばいいなと、酒を呑みながら思ったのだった。



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さにーでい・さーびす/曽我部恵一(Vo&G)、田中 貴(B)、

丸山晴茂(Dr)の3人組ロックバンド。94年にデビューし、

『若者たち』『東京』など7枚のオリジナルアルバムを残して2000年解散。

08年に再結成し最新作『本日は晴天なり』を発表。

曽我部は現在ROSE RECORDSを主宰し、

ソロ、曽我部恵一BANDなど多岐にわたって活動中。