グリーングリーン
ダンナです。
今日もKZO宅、ASKちゃんとの平和な土曜夜の
遅めの夜食タイムに乱入してPCを占拠しています。
それは、本当は、最初からわかっていたことでした。
ただ、言葉にするのが怖ろしく、
ずっと伏せたままにしていましたが、
きっと誰もがわかっていて、頭の隅にはあったことでした。
ぺ~が母親を亡くしました。
物心というものが、一体どのくらいから芽生えるのか、
ちょっと不明なのですが、
9カ月強の彼のしぐさを見るにつれ、
おそらくまだそんなものは身につけてなさそうで。
つまり、
ぺ~は、母親の記憶すら持たない子になってしまいました。
この世に、たくさんの悲劇や残酷なことはあると思いますが、
親馬鹿ということを差し置いても、
母を知らない男の子
というのは、最上級のそれであるように思います。
私には、それ以上に切ない存在を想像できません。
そのことを思うと、辛くて仕方ありません。
彼に対して、申し訳ない気持ちがいっぱいに溢れてきます。
多くの日本人男性がそうであるように
私もマザコンのケがある人間です。
今回の件で、陰に日向に助けてくれた人間のひとりは
私の母親でした。
そういうときだから、なおさらのこと。
もし、将来ぺ~のヨメさんが病気になったときは
誰が彼を包み込んでやれるのか?
煩雑な式のあれやこれやがひと段落してここ数日、
彼と一緒にすごす日々が続いています。
思えば、彼が生まれてから、こんなにもゆっくりと、
連日いっしょにすごせることはなかった。
9ヶ月越えをしたぺ~は、相も変わらず巨体に物をいわせ
さわるものみなヘトヘトにさせる
デンジャラスなムービングミートローフと化していますが、
それでも表情が豊かになってきたのは明らかで、
はにかむ顔、はぶてる顔、うそ泣き、あまえるしぐさ・・・・など
愛しさは連日最高値を更新するばかりです。
私はやはり人間ジャングルジムとなって、
ずっと彼を体にまとわりつかせ、飽きることなく眺めています。
まだ、何も知らないその存在が、
いつか知る悲しみを思うと、息が詰まります。
昨日も書いたように、まだ今回のこともよくのみこめない私には、
「死」というものがどういうものか、わかっていないのでしょう。
でも「生」がどういうものかは、はっきりわかるのです。
このぷにょぷにょした肉の張り、
このだらだら止まらないヨダレのしたたり、
このずっしりと肩や腕にのしかかる体の重み、
この大人よりちょっと高めの体温の熱さ。
それが、「生」なんだと感じています。
それをぴったりと抱き寄せるときに、
あふれだす愛情と責任を感じます。
にしても、ぶっちゃけて言うと、
いったいどーしてくれんねん、って話ではあります。
オッサンみたいな0歳児と、リアリスティックなオッサン、
たよりない男2人残して、この先どーせえゆうねん。
なあ、ヨメよ。
音楽の授業で習った「グリーングリーン」のように、
この世に生きる喜びと悲しみ、
いつか語り合うのかな。
今日もKZO宅、ASKちゃんとの平和な土曜夜の
遅めの夜食タイムに乱入してPCを占拠しています。
それは、本当は、最初からわかっていたことでした。
ただ、言葉にするのが怖ろしく、
ずっと伏せたままにしていましたが、
きっと誰もがわかっていて、頭の隅にはあったことでした。
ぺ~が母親を亡くしました。
物心というものが、一体どのくらいから芽生えるのか、
ちょっと不明なのですが、
9カ月強の彼のしぐさを見るにつれ、
おそらくまだそんなものは身につけてなさそうで。
つまり、
ぺ~は、母親の記憶すら持たない子になってしまいました。
この世に、たくさんの悲劇や残酷なことはあると思いますが、
親馬鹿ということを差し置いても、
母を知らない男の子
というのは、最上級のそれであるように思います。
私には、それ以上に切ない存在を想像できません。
そのことを思うと、辛くて仕方ありません。
彼に対して、申し訳ない気持ちがいっぱいに溢れてきます。
多くの日本人男性がそうであるように
私もマザコンのケがある人間です。
今回の件で、陰に日向に助けてくれた人間のひとりは
私の母親でした。
そういうときだから、なおさらのこと。
もし、将来ぺ~のヨメさんが病気になったときは
誰が彼を包み込んでやれるのか?
煩雑な式のあれやこれやがひと段落してここ数日、
彼と一緒にすごす日々が続いています。
思えば、彼が生まれてから、こんなにもゆっくりと、
連日いっしょにすごせることはなかった。
9ヶ月越えをしたぺ~は、相も変わらず巨体に物をいわせ
さわるものみなヘトヘトにさせる
デンジャラスなムービングミートローフと化していますが、
それでも表情が豊かになってきたのは明らかで、
はにかむ顔、はぶてる顔、うそ泣き、あまえるしぐさ・・・・など
愛しさは連日最高値を更新するばかりです。
私はやはり人間ジャングルジムとなって、
ずっと彼を体にまとわりつかせ、飽きることなく眺めています。
まだ、何も知らないその存在が、
いつか知る悲しみを思うと、息が詰まります。
昨日も書いたように、まだ今回のこともよくのみこめない私には、
「死」というものがどういうものか、わかっていないのでしょう。
でも「生」がどういうものかは、はっきりわかるのです。
このぷにょぷにょした肉の張り、
このだらだら止まらないヨダレのしたたり、
このずっしりと肩や腕にのしかかる体の重み、
この大人よりちょっと高めの体温の熱さ。
それが、「生」なんだと感じています。
それをぴったりと抱き寄せるときに、
あふれだす愛情と責任を感じます。
にしても、ぶっちゃけて言うと、
いったいどーしてくれんねん、って話ではあります。
オッサンみたいな0歳児と、リアリスティックなオッサン、
たよりない男2人残して、この先どーせえゆうねん。
なあ、ヨメよ。
音楽の授業で習った「グリーングリーン」のように、
この世に生きる喜びと悲しみ、
いつか語り合うのかな。