おれたちの不謹慎プラスワン
ダンナです。
まだ、ネットカフェです。
だんだんここに住みたくなってきました。
今回はくだらない話。
ヨメが亡くなっても、どうして私たちは日常に横柄する
くだらない冗談から逃れられないのか? について。
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ヨメの遺影が置かれた部屋、電気もつけない薄暗い部屋から
ギテーの声が聞こえてきました。
横には同級生の友人が正座しています。
低く、押し殺したような声で、それは聞こえてきたのです。
「うそみたいだろ……死んでるんだぜ……」
一瞬、姉を亡くしたギテーの悲しみに胸が詰まりそうになりましたが、
ふと、冷静になると、猛烈にツッコミを入れたい衝動に駆られました。
それ、『タッチ』やん。
(もちろん有名な、和也事故死のシーン)
さすが、わがギテー。
血はつながらずとも、
強烈なシンクロニシティを感じる重要な場面として
私の胸に刻みつけられています。
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かくいう私も、みんなが寝静まった家のリビングで、
ギテーとビールを飲みながらこんな話をしていました。
「すぐに、新ヨメを連れてきたら、どうする?」
ここでいう「新ヨメ」とは、もちろん年末の「ガキつか」スペシャルで
登場した鮮烈キャラ=「新おにい」である。
それはたとえば、ものすごいギャルかもしれず、
ものすごい年増の方かもしれず、
または、ものすごい東南アジア出身の方かもしれず。
そんな女性を私が「新ヨメ」としてこの家に連れてきたら
(また、ものすごく仲がよくて、常にチュッチュしている状況)、
はたしてギテーはどうするのかと問うてみたわけだ。
彼は戸惑いながらも、はっきりと答えてくれた。
「いや、まあ……祝福しますよ」
血はつながっていないけど――(以下略)。
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またこれは別の日、
KZOくんがこのブログが「闘病」チャートで20位代になっていると、
驚いたように伝えてきた。
もしかしたら、これはさらなる上位を狙えるかもしれない。
しかし、重要なシーンはほとんど終わってしまい、
今はだらだらと惰性で更新されていることは火を見るより明らかだ。
だとすれば、こういうのはどうだ?
ある晩、突如黒雲が湧き出してきて、
ガガーン!とヨメの墓石に雷が落ちる。
そして、ズボッ!と地面から突き出される、あのなつかしい腕。
まるで墓場鬼太郎のごとく、ヨメ復活!
そしてばったばったと妖怪どもを倒していく、
スリリングなシーズン2がスタートする……。
これは人気出るのではないか?
しかし、はたと気づいた。
はたしてそれが「闘病」チャートにいていいのか。
血はつ――(以下略)。
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残念ながら生きているので、
不謹慎なことばかりしてしまう。
さすがにここまでやると、
案外コンサバティブなヨメも、
マジ顔になって怒りだすかもしれない。
でも、最後にもうひとつだけ、忘れられないエピソードを。
東京に戻る日、ギフのCゲトさんが私に1冊の本を手渡してくれた。
江藤 淳 『妻と私』 (文藝春秋)
その帯には「愛とは、かくも苛烈なのか」
「僕も一緒だよ」という文字が刻まれている。
私はうっすらとしか知らなかったが、
著名な文芸評論家であった著者が、
最愛の妻(やはり、がん)との闘病生活を
記した1冊であるらしかった。
Cゲトさんは読書家で文学に詳しい人だ。
きっと、現在同じ状況にいる私に、
1冊の書籍でメッセージをくれようとしたのだろう。
その押し殺された心づかいが、胸に染みた。
ただ、ひとつ……
ギフにこういうことを申し上げるのは大変心苦しいのですが……
江藤 淳、妻が死んだ翌年に自殺しちゃってますから!
そういうの参考にするのもちょっと気が引けるんですけど!
同じく文学好きだったヨメも、
このネタなら笑うだろ。
絶対笑う。
せっかくのネタなのに、話せなくてつまらんわい。