がんフーフー日記 -45ページ目

新盆

ダンナである。



いわき→那須→再びいわき。

そして昨日から新盆に入った。


迎え盆である昨日の晩、ヨメの実家に友人たちが集まった。


家に友人たちが集うのは、亡くなってすぐの週末の7/10~11、

ヨメの誕生日でバーベキューをやった7/25に続く3回目になる。



集まったみんなと話しながら、少し雰囲気が変わったな、と思った。

みながまとっている空気が、ちょっとだけ乾いたように感じたのだ。


もちろん、ヨメの話も出るのだが、私たちが話した話題は主に、

近づく誰かの結婚式の話であり、

近づく誰かの出産についての話だった。

ほかにも誰かの横恋慕の話、誰かの新婚旅行の話、

子どもの写真のみせあいっこ、結婚できない理由について……

深夜に向かうにつれて、話題は次第にいつも同様

どうでもいいようなものへと変わっていき、やがて深酒と話し疲れで、

みなはちりぢりに、またねと手を振り別れていった。


なにか、時間が流れているんだということを感じさせる時間だった。



時折、淋しい想いはこみあげてきたが、

不思議と、すがすがしい気持ちのほうが強かった。


そういうものだし、それでいいのだ。





この晩みなが集まったのは、夜に「じゃんがら」を呼んでいたからだった。

じゃんがらというのは、いわきに昔から伝わる念仏踊りで、

なかなか情緒があるということで、

ギフが私たちに見せたがっていたものだ。


夜の8時過ぎに若い衆が玄関に現れ、車をどかした駐車場に

15人程度の踊り手たちが列を作った。

みな太鼓や笛や鉦(かね)を抱え、一斉にリズムを奏で、踊りだす。


最初ギフから話を聞いたときは「じゃんがら? ラーメン?」と思ったし、

踊りの集団が来ると知って正直、面倒にも思ったが、

いざその音楽を前にすると、素直に心が洗われていくのを感じた。



打ち鳴らされる太鼓と、チンチンいう鉦が心音と同化し、

そこにどこか物悲しい、むせび泣くような笛の音がからんでいく。


私はヨメの位牌を抱えて、目の前の暗い駐車場の中に

浮かびあがるそれに見入っていた。

訪れてくれた友人たちも、暗闇の中でそれを聴いていた。

いつしかまわりには音を聞きつけた近所の方々が群がり、

ちょっとした人だかりができていた。


夏の風物詩、か。

それは帰ってきたヨメにとっても、懐かしいメロディーなのだろう。




いわきの夜は、もう、ずいぶん涼しい。


ふと、もう夏も終わりだな、という想いが湧いた。

つい、ほんのちょっと前に「もう夏だなぁ」と感じたような気がしたが、

それにしても、これだと、あまりにもあっけなさすぎる。


でも、よくよく考えてみれば、夏なんていつだってそんなものだった。

気付いたときにははじまって、うずうずしているうちに、

いつのまにやら終わりの気配に包まれているのだ。


そして、勝手に次の季節がはじまろうとしているのだ。