がんフーフー日記 -18ページ目

下北沢「洋食屋マック」

ダンナである。



昔、といっても、ほんの3年前まで下北沢に

「洋食屋マック」という店があった。


それは南口商店街をちょっと歩いたところにある店で、

当時の下北通のあいだでは、「下北のマック」といえば、

駅前のマクドのことではなく、こっちを指すのが普通だった。



たくさんの人に愛された店だった。


決してキレイな店ではない。

雑居ビルの地下に続く、あんまり明るくない階段。

それを降りたところにある古びたドアをあけると、

テーブル3つ、カウンターぎゅうぎゅうで6人程度がやっと座れる、

小さなスペースがある。


店の一番人気はハンバーグだ。

牛と豚の合挽きに、ケチャップをベースにしたソースをかけて

フライパンでかるく煮込む。

だからふわふわ、ハシで切ると肉汁がとろーり。

それにキャベツの千切り、トマトひとかけ、きゅうりが数枚。

完全にふにゃふにゃのくせに、ミョーにクセになる

マヨネーズあえスパゲッティも、皿には添えられている。

うれしいことに目玉焼きもついているから、

まずはそれを丼に乗せ、ちょっとつついて黄身をごはんに垂らしながら

食べるのが、また絶品なのだ。

味噌汁は、わかめと玉ねぎに少しの溶き卵。

なんかしらんが、これもうまい。


以上、定番メニューのハンバーグセット、650円。

30年以上前の開店以来かわらない、おどろきのバリュープライスである。


まあ、簡単に言えば、男子が好きそうな

安くて満腹、ガッツリ系の店である。

ハンバーグ以外にも豚しょうが焼、カツ、魚フライ、エビフライ、鶏もも焼き、

など、書いてるだけでヨダレが出そうな品ばかりがメニューにはある。


だけど、この店は女子にも人気だった。

いやいや男子も女子も、子連れも商店街のご近所さんも、

みんながこの店を好きだった。


なぜなら、そこにマスターがいたから。

厨房の中に、いつもマスターがいたからである。




マックのマスター、

みんな彼のことを憶えているだろうか?




スティーブ・マックイーンを愛し(店の名はそこから)、

白髪交じりの頭をいつもビシっと角刈りにそろえ、

無口で、武骨で、仕事に厳しく、職人気質ばりばりで、

愛想なんてぜんぜんないのに、時折笑った顔は意外とかわいく、

ハンバーグを焼く合間には、まるでガンマンみたいな手さばきで、

チャッカマンでショートホープに火を点けていた、

そういう人が、あのころの下北沢にはいたのだ。


マックに来る人たちは、

もちろんマックのハンバーグが食べたいから来るのだけど、

それに負けないくらい、

マスターに会いに来てる人も多かった。


会いに来てるというと、語弊があるかもしれない。

彼らはカウンターにひとりで座り、マスターの仕事っぷりをじっと眺め、

黙ってハンバーグを口にし、去り際ちょっとだけ

「ひさしぶりだね」「ええ、今日久々にシモキタ来たんで――」と

照れたような会話を交わし、またひとりで去っていくような、そういう人である。


みんなは、マスターを見るためにこの店に来ていた。

30年間何ひとつ変わらず、背筋の伸びた姿勢で、

だまって一枚一枚真剣にハンバーグを焼き続ける、

その姿を見るために、この店に足を運んでいた。


今日もマスターはハンバーグを焼いている。


その姿だけで、仕事というものに対する意識をありありと表現し、

男の生き様、在り様というものをびりびりと感じさせ、

何もしゃべっていないのに、いつしか店を出るときには、

「おれもがんばらないとな」と、しおれた心をシャンとさせてくれる、そういう人。


そういう意味では、

FCバルセロナが「フットボールクラブを超えたフットボールクラブ」だとしたら、

間違いなく、マックは「定食屋を超えた定食屋」であった。

ただ、うまいメシを食わすという以上の(もちろんメシはうまい)大切な何か、

ハンバーグを焼くという行為を通じて、タマシイの奥底に触れるような何かを

見せてくれていた、日常ど真ん中のくせにいつのまにやらスピリチュアルな、

そういう稀有な店だった。




さて、ここはフーフー日記である。

なぜここでそんな定食屋の話を、えんえんと書いているかといえば、

それには当然理由があるのである。


マスターは私たちヨメとダンナにとっての結婚保証人だった。


私はハタチの頃、この店でバイトを始めた。

そこで知り合ったいわき出身のバイト仲間の幼なじみがヨメであり、

つまるところ、私たちはここからすべてが始まったという場所なのである。



そこから月日が流れた。

さまざまな理由から、マックは惜しまれながら3年前に店をたたんだ。

マスターは2年前、この世からいなくなってしまった。

ヨメも昨年、鬼籍に入った。

再開発が進む下北沢、今はもうかつてマックのあった雑居ビルも

更地に変わっているという。



昨日、5月17日、マスターの3回忌だった。


マスターの家族と、あの頃のバイト仲間と、

富士山麓にあるというマスターの墓に墓参りに向かった。


その墓地は、富士山の山すそのにあって、霧が立ち込め、

きれいに整備されていて、昨日はツツジが咲き乱れていた。

墓のある場所からは、眼下にうっすらと街が見下ろせ、

静かで、花にあふれた、いいところだった。

私はまだ行ったことはないけれど、「まるで天国みたいだな」と

ぼんやりと思った。


最近は、生きている人のことと死んでしまった人のことを

同じくらい考えているな、と思う。

そして、生きている人のことと死んでしまった人のことを

同じような感覚で想っている自分が、不思議だとも思う。



墓参りを終えた私たちは、近所の日帰り温泉に直行する。

座敷を一室借り切り、昼間っから御殿場高原ビールを飲み、

腹いっぱいメシを食い、露天風呂で肌をふにゃふにゃにして、

平日なのにタタミでごろごろしながら、くだらない話に笑いあう。

原発こわいねーなどと言いながら、

俗世のシアワセってやつを、めいっぱいエンジョイさせてもらう。


あれからまる2年か。

もしもヨメが生きていれば、きっと思い出話でもらい泣きで

わんわんやったことだろう。


マスターのことを思い出せば、ヨメのことも思い出す。

私の中でマスターのストーリーとヨメのストーリーはつながっていて、

あの下北沢から始まった大長編は18年たった今も

しぶとい生命力で更新されている。

同じ物語が、ずっと続いている。



マスターの墓には、花屋でぱっと見つけてぱっと買った

赤紫の芍薬を1本、供えてきた。

マスターと芍薬は、よく考えるとまったく似合わないのだが、

それでもなぜか直感的にしっくりくるような気がしたのだ。


買ったときにはつぼみだった芍薬だが

もう大振りの花を咲かせているだろうか。

いま川崎は深夜1時。

昨日見た黄泉の国みたいな風景の中、

まっくらな墓地の前に1本の花が燦然と開いているシーンが、

まるで見てきたもののように今、見えている。



マックのマスター、

みんな彼のことを憶えているだろうか?